友人夫妻と、無事にカフェで会うことができた。
友人の夫は日本語が話せず、私は英語がさっぱりだ。
そこで私は、例の暗渠地図を取り出した。
「昔は流れていて、今は地下にもぐってる川が好きなんです。under the ground!」と言ってみる。通じているのか・・
「川が好きなんだね。近所の川を知っているよ」
「そうなの?」
突然、友人夫おすすめの川を見に行くことになった。
彼はどんどん北上する。
この先は千川用水があった?いやいやそこも通り越し、着いたところに川があった。
石神井川だ。
(なんと1キロ以上も環八を北上)
全然暗渠ではなかったけれど、いい所だった。
集合があって、足の長いブルーの給水塔が青空に映える。
公園のトイレは、上にタンクがあって、ひもで流すタイプだった。久しぶりにお目にかかった。
あとで調べたら、長光寺橋公園というところだった。
給水塔があったのは、都営住宅南田中アパート。
練馬区に入っていたのだった。すぐそこには、西武池袋線の高架が見えた。
この往復でだいぶ歩いたけれど、「井草川の暗渠も見なくっちゃ」と出かけた。
井荻駅の近くの住宅地の中に暗渠の入り口があった。
車止めも3つもあって、暗渠らしさを盛り上げている。
暗渠は遊歩道になっている。
井草川暗渠が不思議なのは、小刻みにカクカクと折れ曲がっていることだ。
そしてすごく迂回しながら流れている。
『東京暗渠散歩』にも、「街の区画に合わせるようにジグザグに伸びている。これは、流れに人の手が加えられていることを示している」って書いてある。
暗渠に詳しい方のブログを読むと、四宮森公園に井草川の説明板があって「江戸時代に千川用水の分水から水を取り入れて、田方用水に使われた」と書いてあるという。明治時代には、井草川の両側は水田だったらしい。
途中でどこを歩いているのかわからなくなったけれど、穏やかでいい道だった。冒頭の写真のような景色。
ノーベル賞を受賞した小柴昌俊博士の散歩道だったので、「科学と自然の散歩みち」とも呼ばれ、岩石やビオトープなども置かれていた。私たちも、区民センター横のビオトープで、カエルの卵をしゃがみ込んで眺めた。
井草川暗渠は妙正寺公園で終わっている。この公園の妙正寺池から、妙正寺川が始まる。
中学生の時、この友達の家に何人かで遊びに来て、ここに来たのだった。もう何も覚えていないけれど、久しぶり!妙正寺公園。
友達と別れたあと、せっかくだからと荻窪まで歩いた。
まだ歩くのか、と自分に問うのだけれど、「清水の井戸」というのを見たかったのだ。このあたりに湧いていた湧き水の一つだったそうで、小さな竹林の中にあった。湧いた水は、水の温度が低すぎて、田んぼではなく畑に使ったのだという。
井伏鱒二が住んでいたあたりと、太宰治が住んでいた家の跡を眺めて、やっと荻窪駅へ。最近、『荻窪風土記』
を読んだら、荻窪地理情報満載で面白かったので、見ることができてよかった。
長い長い散歩で、一番覚えているのは、石神井川の給水塔だった。
散歩って、予想していなかったものがインパクト一番になることが多い。