一見大福だが甘くなく、ほんのり塩味『塩あんびん』[埼玉県北東部]
まずは「塩あんびん」。埼玉県北東部の街を実際に歩くと、久喜市、加須市、鴻巣市などの和菓子店では販売している店が複数。中でも販売店が多かったのが久喜市だ。今回取材で伺った『田中屋菓子店』は、40年ほど前に塩あんびんの製造・販売をはじめたという。
「もともとこの周辺は農村で、塩あんびんも農家が家で作るものでした。80代の方には家で作って食べていた方もいて、田植えを手伝ってもらう際に渡す習慣もあったと聞きます。昔は砂糖が貴重で、薄い塩味になったそうです」
そう話すのは店主の田中稔さん。作る習慣がなくなった農家から「また食べたい」との要望もあり、販売を始めたそう。「作り始めたころは、何も知らずにおみやげで渡された方から、『おたくの大福、砂糖入れ忘れてない?』と電話もかかってきたこともありました(笑)」
小豆を釡で茹で、搾り、塩を加え混ぜる。それを、糯米をきめ細かく搗いた餅で包む。作り方はいたってシンプル。
「何も付けずに食べる人もいますが、砂糖や砂糖醤油を付けて食べる人も多く、甘くないからこそ多種多様な食べ方があるんです。手作りのため、夕方頃には餅の表面がこわばってきますが、それからは焼いたり汁物に入れたりしてもおいしいですね。砂糖を足してぜんざいにもできますし、私は味噌汁にも入れます」
中には「フライパンで揚げ焼きにしてシナモンパウダーをかける人もいる」そうで食べ方は無限大だ。筆者が気に入った食べ方は砂糖醤油。小豆自体の素朴な旨味が甘い醤油で引き立てられ、また違うおいしさが楽しめた。
赤飯×まんじゅうのめでたい郷土料理『いがまんじゅう』[埼玉県北東部]
お次は「いがまんじゅう」。地域は塩あんびんと重なるが、こちらは店ごとに個性が違う。久喜市や加須市では、ちょこんと赤飯をのせた店が多いのに対し、鴻巣市や羽生市では赤飯で全体を包む店が目立った。鴻巣市の『田嶋製菓』は、大きく食べごたえのあるいがまんじゅうを作る店の代表格だ。
重箱に敷き詰め嫁入りの祝いにも
「戦後すぐに店を始めた祖父は、当初から注文を受けていがまんじゅうを作っていたそうです。店頭で売るようになったのは30年ほど前からですね」
そう話すのは店主の田嶋隆幸さん。田植えの後や稲刈り後に、周囲の農家に配る習慣もあったそう。「嫁入りの際にも、重箱に赤飯、まんじゅう、赤飯と、何層にも重ねたものを持っていったそうです。当時は赤飯が貴重で、まんじゅうでかさ増しができたからというのが誕生の背景だと聞きます」
そう話すのは隆幸さんの母の宏子さん。『田嶋製菓』のいがまんじゅうは、モチっとした赤飯、ふわっとした皮の生地、中に詰まった柔らかなあんこのバランスも、甘さを引き立てるごま塩の加減も絶妙。見た目のインパクトだけでなく、食べてもしっかり満足できる郷土料理だった。「東京のお菓子のように体裁の良いものじゃないですが、この田舎風が好まれているんでしょうかね」と宏子さん。
なお、いがまんじゅうのPRに最も力を入れている自治体は羽生市。ゆるキャラ「いがまんちゃん」もいて、羽生駅にはオブジェも。市内のキャラクターミュージアムではぬいぐるみも売っていた。
おかずのようにご飯にあんこをのせる『ぼたもち』[茨城県南部]
最後は「ぼたもち」だ。同名の郷土料理は全国にあるが、他の地域のぼたもちは、あんこで半搗き糯米を包む形状が普通で、「おはぎ」と呼ぶ地域も多い。
茨城県南部のように糯米の上にあんこをのせる食べ方は極めて少数派だ。地域の和菓子店も注文販売のみ対応の店が多かった。石岡市の『高野菓子店』は、店頭販売する貴重なお店。「茨城でも北の地域からの注文では、『おはぎのように握ってほしい』と言われるんですよ」と店主の高野共子さん。
「昔は各家庭で作っていました。ごちそうだったので、作るのは楽しみでしたよ。嬉しくて朝から小豆を煮てねぇ」
わらじにぼたもちを塗る風習は今も残る
この地域では、赤ちゃんが生まれた3日後に「三つ目のぼたもち」として配ったり、三十五日、四十九日の法要で配ったりするそうだが、驚くべき習慣も。
「三十五日法要のときは、わらじにぼたもちを塗ってお供えします。田植えや稲刈り後に食べるのも、亡くなった人にお供えをするのも、『栄養のある食べ物で力をつけて元気に過ごしてほしい』という思いからなんでしょうね」
そんなぼたもちは、糯米に合わせてあんこも柔らかく練り上げられ、やさしい甘さが染み渡る。農家の人たちはこれで体を癒やしてたんだなぁ……としみじみしていたら、高野さんが「よかったら食べてって」とできたての揚げ餅まで出してくれた。人の健康や幸せを願って作られ、贈られてきた郷土料理は、その思いも乗せながら、こうした地域の店で今も受け継がれている。
取材・文=古澤誠一郎 撮影=本野克佳
『散歩の達人』2019年12月号より