創業者は元芸者の寿々さん。常連の夫婦が引き継いだ老舗喫茶店
江戸通りから路地に入ると、石壁と木の外観が風格を感じさせる『喫茶 寿々』にたどり着く。1959年(昭和34年)創業で、その昔から日本橋でも有名な喫茶店として知られていた。食通としても名高い小説家・池波正太郎の小説にも登場するという。
「創業者は鈴木寿々さんという元芸者さんで、兜町の伝説の相場師といわれた佐藤和三郎という方の愛人だったそうです。佐藤さんは、渥美清さん主演で『大番』というドラマのモチーフにもなったんですよ」と語るのは、店主の赤木安子さん。
創業当時は現在のコレド室町の場所に店があり、2012年にオープンしたコレド室町の開発を機に徒歩5分先の新日本橋駅近くに引っ越してきた。
「2代目は寿々さんの甥っ子さん(マスター)が継いでいたんです。うちの主人と私はこの近所の貿易会社で働いていて、この店の常連だったんですね。マスターはうちの主人をすごくかわいがってくれていたので、『引退するんだけどこの店を買わないか?』とお声掛けくださって。私たちはすごくこの店が好きでしたし、当時私は会社をやめて子育ても落ち着いていたのでお店を譲り受けることにしました」。
かくして1997年に赤木安子さんは3代目『喫茶 寿々』店主となった。最初はコーヒーなどのドリンクのみを提供していたが、「それでは私がやっている意味がない」と、自宅で作っていた煮込みハンバーグや息子さんが中学生のときから大好物のドライカレーなどでランチも始めた。
毎朝4時には出勤しモーニングとランチの仕込みをするという赤木さん。「お客様の『おいしかったよ』っていう言葉がうれしくて。そのひとことで疲れも吹き飛ぶし、やっててよかったと思えるんです」と語る。
赤木家の定番レシピ。バターソテーの玉ねぎたっぷり! やわらか〜い煮込みハンバーグ
11時から始まるランチメニューは全4品。赤木さんのお茶目な部分がところどころに垣間見える「ランチめにゅう」をしみじみと眺めた。
「どれも人気ですよ」とおすすめされたが、なかでも一番人気という煮込みハンバーグ定食850円をオーダーした。食後のコーヒーも付けよう(セットで1000円)!
ハンバーグのたねには牛と豚の合い挽き肉を使用し、冷凍保存して存分に甘味を引き出した玉ねぎのみじん切りのバターソテーをたっぷり練り込む。そのあとたねを軽く焼いて取り出し、デミグラスソースで軽く煮たらそれをタッパーに移しておき、ランチタイム前に再び煮込み始めるのだそう。仕上げにかけるデミグラスソースは別に作っておくのもこだわりだ。
「ずっと煮込んでいるとお肉のおいしさが全部出ちゃうんですよ。だから1回取り出しておくんです」と赤木さん。家庭料理とは思えないくらい丁寧に調理をしている。
オーダーして間もなくテーブルに運ばれてきた。さすがランチ激戦区の日本橋。提供が早い。これはおいしそう~。カメラのピントを合わせるとハンバーグとばっちり目が合った。胸が……じゃなくてお腹がキュンキュン言っている。まだまだ色気より食い気の筆者。いただきます!
ハンバーグはとてもやわらかくて、箸を入れるとほとんど抵抗なくスッと切れたので驚いた。口の中にいれるともっとびっくり。はんぺんみたいにやわらか〜いのです。肉汁たっぷり&肉々しいワイルドなハンバーグもいいけれど、こんななめらかなのははじめてだ。
いやコレ、大袈裟じゃなくて噛まずに飲んじゃう人もいると思う。ハンバーグにたっぷりデミグラスソースをまとわせてご飯をパクパク。ピカピカで粒立ちのいい米は秋田・大潟村のあきたこまちを精米してすぐ送ってもらっているそうだ。ハンバーグに合う〜。好き〜!
続いてスパゲティサラダ。野菜の汁気がしっかり切れていて、過不足なくマヨネーズが絡んでいる。この加減が実に絶妙。ファンも多く、「申し出があれば大盛りにしちゃいます」という赤木さんの心意気にもアッパレ。
絶賛する筆者に赤木さんが「よく“マネして作ってみたけどうまくできない”って言われるんです。きゅうりやにんじんにお塩を振ってよく絞ることと、塩ゆでしたスパゲティは扇風機で冷ましてからマヨネーズと具材を混ぜているんです。マヨネーズは卵黄だけのものを使ってる、それだけなんですけどねぇ」と教えてくれた。
コーヒーを飲んで食後の余韻に浸っていると、「こんな家庭料理で大丈夫なんですか〜?」と赤木さんは心配そうだ。それがおいしいからスゴイんじゃないですか。これがしょっちゅう食べられるなら、筆者は赤木さんちの子になってみたい。
亡き夫が願いを込めて密かに梁に忍ばせた2つのフクロウ物語
赤木さんは毎日夜中から働き、日が暮れる前に家に帰って家事をキッチリこなすという。店を大切に守るのには、移店したあとすぐに亡くなったご主人の存在があった。
「この店がなかったら、私は多分死んでたと思うんです。彼をすごく愛してたので、亡くなったときは本当に悲しくて。主人はサラリーマンをしながら店の経理などをやってくれてたんですよ。会社が店の近所だから、毎朝一緒に店へきて一緒に仕込みをして出社時間になったら会社へ、そして夕方になると共に帰る……という生活でした」。
体調が悪くなったご主人は、入退院を繰り返すようになった。最初の頃は店を続けていたが、絶対に後悔するのは嫌だと思った赤木さんは店を休業して看病に専念。毎日、病院に通ったという。しかし、「亡くなってから、1回も主人の夢を見ないんです。みんなに『なんでこんな薄情なんだろうね』って言うと、それだけ尽くしたからやり残したことがなかったんだよって」。そう言われて納得したそうだ。
ご主人が亡くなって10年以上経つが、つい最近店のなかである発見をした。店の入り口の梁のあたりに木彫りのフクロウを見つけたのだ。
手のひらサイズの木彫りのフクロウは、玄関の方向を向いていてちょうど穴があいているところにはまっているので建材の一部かのように見える。
これを見つけたのち、周囲を見渡すと対をなすように店の中を見守るフクロウも発見。こちらはレリーフのような薄型で、大きな目がじっと見据えている。
「見つけたときはびっくり。だって、全然知らなかったの! 主人はフクロウが大好きでしたから、きっとこっそり隠したんだと思います(笑)」。そう言いながらうれしそうに大切なフクロウたちを指差した。ご主人が赤木さんを案じて「フクロウ(不苦労)」のおまじないをかけたのだろう。美しい夫婦愛がじーんと胸にきた。
「もう私はいろんなところにガタがきているんですけど、主人が亡くなって落ち込んでいた時、あの人と大切に守ってきた店があったからなんとか立ちあがり、毎日『おいしかったよ』と言ってお客様が元気にしてくれたと思ってるんです。だから体が動く限り、なるべく続けたいと思うんです」と語っていた。
今度訪れるときは人気上昇中の豚シャキ丼を食べつつ、再びフクロウたちを見上げたい。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=パンチ広沢