100年超続く書店業のはじまり
「熊沢家はもともと、神奈川県の寒川に住んでいました。明治23年(1890)に八王子市八日町に移ってきて、本屋兼新聞販売店を始めたのが書店業のはじまりです」。そう話す熊沢真さんは、じつは自分が何代目かはよく分からないという。「日中戦争に従軍して当時の当主・義雄が日米開戦の前にあたる昭和15年(1940)に41歳で亡くなっているんですが、その人がたぶん3代目なんですね。その妻がわたしの祖母で、社長を継いだので、わたしは6代目か7代目だと思います」。
現在、くまざわ書店の本部がある場所が創業の地で、当時は「熊沢開文堂」という屋号だった。1890年のことだ。のちに「株式会社くまざわ」として会社を設立したのは、1952年。「第二次世界大戦のときに、八王子は空襲に遭って焼け野原になり、うちも丸焼けになったそうです。わたしが産まれたのは1957年ですが、当時は3階建ての木造の店でした。そのころは書店業だけではなかったんです。時期が同じではないんですが、書店と兼業で、レストラン、文具店、レコード店、写真店などをやっていたこともあります」。
八王子駅前に移転してきたのは、1967年。現在の八王子店の場所だ。「父が言うには、当時の地価は、移転前の土地より駅前のほうが安かった、と。甲州街道に近い八日町のほうが繁華街だったんですね。移転当初は木造の2階建てで、現在のビルになったのが1975年です。谷内六郎さんの壁画も、そのときに設置しました」。
出店する土地を調べ、店をつくりあげていく
くまざわ書店は、系列のグループ会社も合わせると、北海道から沖縄まで全国に220店舗(2023年9月末現在)。「どこででも本屋をやろうと思っています。規模も20坪の小型店舗から1100坪の大型店舗まで」。出店するときには必ず現地に行き、朝昼夜の時間帯で人の流れを見て、店に来るまでの交通手段が車なのか、鉄道なのかなどを調べるという。社長が自ら足を運ぶことに驚くと、「社長のいちばん大事な仕事だと思っています。たとえばスイーツの店だったら、おいしいケーキであればアクセスが多少不便でも、お客さんは来てくれるかもしれない。でも書店では、自分たちではなく出版社がつくった、価格も内容も同じものを売っている。だから、この地域では何が売れるのか、地域にどうやって合わせていくかがポイントになります」。
くまざわ書店では、大部分の店舗に新聞の書評コーナーがある。新聞各紙の書評欄を掲示し、その周囲に取りあげられた本を並べている。「ある程度、価値のある本を置きたいと考えているけど、本の価値は多面的です。社会問題や科学など、その分野の専門家が書評を書き、認めたものであれば、意味がある本の並びになるんじゃないかと思っています。売れないですけどね」。
故郷八王子で本を売って生活する
熊沢さんは八王子で生まれ育った。八王子でお気に入りの場所をたずねると、「小学生のころは、浅川の河原を自転車で走るのが好きでした。大雨が降ると、川の流れが変わったりするんです。あとは富士森公園。全体が高台にあるんですが、一段と高くなった山のようなところがあって、そこから八王子市街が見渡せる。好きな場所です。いまは開発されて見えなくなりましたが、以前は名前のとおり、富士山がよく見えました」。八王子は、都心より富士山が大きく見えるのだそうだ。
「正直なところ、本屋さんは今はどこも厳しいですよ。小売業全体が厳しいです」と熊沢さんは話す。だが「ものの見方が一面的にならず、批判精神をもって考え直してみるためには、本を読まなくてはならない」と確信している。大学3年生のときに入社して以来、書店業一筋。創業の地、八王子から全国へ、街の本屋さんを広める覚悟はできている。
取材・文=屋敷直子 撮影=加藤熊三
『散歩の達人』2023年11月号より