ニッポン面影散歩

“ニッポンの面影”、それは、郷愁を感じる日本の原風景的なもの。古くても新しくても、見たこともなくても、変わらない人間の暮らしや営みを感じ、懐かしさを覚える風景がある。そんな場所を探して歩いてみる連載です。

最新記事

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茅葺き屋根の残る古刹と縄文の風が吹く田んぼ【ニッポン面影散歩/安楽寺と乙黒耕地】
青梅市の北部にある成木地区。昔から石灰を産出し、江戸城の改築にも使われた漆喰の原料を提供してきた。その近くには、何度も洪水に見舞われてきた田んぼがあり、自然農法で米づくりに挑んでいる人たちがいた。

この連載の記事一覧

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田んぼには、人間が暮らしてきた痕跡がある【ニッポン面影散歩/富岡の棚田】
すでに失われつつある風景のなかに残像のように残っている古い日本的な風景。そんな風景は実は首都圏にもある。しかし、残されている時間はあまりないかもしれない。その残像を探しにいく本連載。初回は、山梨県上野原市・富岡の棚田を巡る。
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辺鄙な道志川沿いの集落は、天上の地だった【ニッポン面影散歩/北丹沢の山麓、青根集落】
神奈川県の屋根、丹沢の北側と山梨県南東部の道志山塊の間を道志川が流れている。その川沿いに、かつて青根村といった集落がある。いまは青根といい、河岸段丘上に棚田や畑が耕され、頭上には大きな空が広がっていた。
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四方を山に囲まれた隠れ里から開拓の村へ【ニッポン面影散歩/寄(やどりき)から高松】
鍋割山を源流とする中津川が村落の中を流れている。その地には古くから人が住んできた。周囲を山々に囲まれている隠れ里のような集落は、かつて自給自足の生活をしてきた。そこから峠を越えて戦後入植した開拓の村へ歩いてみた。
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段丘上の天上の畑は縄文からの贈りもの【ニッポン面影散歩/沢井川と大日野原】
陣馬山の登り口に沢井集落がある。集落は沢井川沿いに南北に点在している。川の右岸の段丘上には縄文のころから人が住んでいた痕跡も残る。いまは電気柵に囲われた畑だが、その地は天空に近い広い畑だった。
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日当たりのいい山村では和紙を作ってきた【ニッポン面影散歩/養沢川から軍道】
御岳山方面から流れ出る養沢川沿いの谷間には、集落が点在している。川は戦後、フライフィッシングの国内発祥の地となり、いまでは聖地のような存在である。その川沿いをたどり、軍道という山里を訪ねてみた。
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洪水によって生まれ、洪水によって消滅した村【ニッポン面影散歩/幻の村と元荒川】
暴れ川の異名がある埼玉県の荒川は、江戸時代初期に流路を変えた。残った河川敷に集落ができ、江戸との舟運で栄えたが、昭和に入ってから村は無人の地になり、いまは田んぼと畑に。元の荒川には希少種の魚が生きていた。
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60年前に“美しい村”と書かれた村の現在【ニッポン面影散歩/朝日根の集落】
東秩父村に大霧山という山がある。その南東にある同じような高さの堂平山という山から大霧山を眺めると、山の中腹に集落がみえる。ここを60年前に「絵のような山村」と書いた紀行作家がいた。その文章に導かれてその山村へ向かってみた。
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最先端の村と古い村が共存する不思議な場所【ニッポン面影散歩/子安の里】
三浦半島の中央部に不思議な場所がある。ゴルフ場を造成しようとして頓挫。代わってそこに“国際村”という名の最先端の村ができた。先端村の下方には昔から変わらぬ里山の風景が残っている。そこは子安の里と呼ばれていた。
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いろんな生き物が集まる、豊かな‟隠れ棚田“【ニッポン面影散歩/名古木の棚田】
秦野市の東側に、隠れ里のような“隠れ棚田”がある。長年、田んぼは放棄されて藪のようになっていたが、そこに手を入れて復元している人たちがいる。代々耕作されてきた棚田を未来に残そうとしているように思った。
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武甲山の麓に縄文から続く恵みの土地がある【ニッポン面影散歩/寺坂棚田】
秩父盆地にひときわ大きな山がある。上部が石灰岩を採掘するために削り取られた姿の武甲山である。その山麓には縄文時代から集落があった。鎌倉時代になると棚田になり、800年の長いあいだお米がつくられてきた。
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房総の突端は神話の里で、絵画の聖地だった【ニッポン面影散歩/布良(めら)の海岸】
今から二千数百年前、房総半島の南の突端に海から上陸してきた人たちにより、神話が生まれた。随分と時が流れた後、画家たちがこの地に惹かれて訪れ、絵を描いた。それからさらに百年後、風景はそのまま残っていた。
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茅葺き屋根の残る古刹と縄文の風が吹く田んぼ【ニッポン面影散歩/安楽寺と乙黒耕地】
青梅市の北部にある成木地区。昔から石灰を産出し、江戸城の改築にも使われた漆喰の原料を提供してきた。その近くには、何度も洪水に見舞われてきた田んぼがあり、自然農法で米づくりに挑んでいる人たちがいた。
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