岡田喜秋が記した朝日根の美しさ

手元に1冊の本がある。紀行作家の岡田喜秋著(*1)、『山の賛歌』(朋文堂)である。奥付をみるとなんと昭和34年発行と記されているから、60年ほど前に出版されたかなり古い本になる。

その本の「堂平山(どうだいらさん)」の項で、笠山から堂平山に登った際の印象が書かれている。

「笠山にしろ堂平山にしろ、期待ほどではなかった」ということだが、そのときみた西側の大霧山とその中腹に点在する集落の風景に心を奪われたようだ。

朝日根の南東側にある堂平山からの遠望。右下が朝日根の集落。左上が大霧山になる。
朝日根の南東側にある堂平山からの遠望。右下が朝日根の集落。左上が大霧山になる。

「この山旅でも永く忘れそうもないひとつの風景はあった。それははるかに眺めた山村の美しさだ。(中略)谷をへだてて西の山腹にみえた絵のような山村、大霧山の中腹にある朝日根という名の部落……」とあり、さらに「遠くからみる美しさ」について触れている。

岡田氏は遠くからみるからこそ朝日根は美しいと思ったのだ。

当時の家々はおそらく藁葺き屋根だろうから、さらにいまより美しさは増す。これは行かねばなるまい。60年前の古い情報だが、ぼくにとっては最新情報になる。ちなみに岡田氏がその後、朝日根に足を踏み入れたどうかは不明。遠くからみるからこそ、と思ったのなら、朝日根には行っていないのかもしれない。

 

*1 岡田喜秋
大正15年(1926)〜。紀行作家。東北大学から日本交通公社に入社し、月刊誌「旅」の編集に携わり、後に編集長。退職後は横浜商科大学教授。全国を旅して多くの紀行文などを執筆した。50冊以上の単行本を出版。現在、昭和30年代前半の旅の記録となる名著、『定本 日本の秘境』などヤマケイ文庫から数冊刊行されている。

天界に咲く花に囲まれたお墓

朝日根の玄関口は東武東上線の小川町駅。ひところ栄華を極めた「小京都」の残り火が、町の古い家々にみられる。

駅前からバスに乗り、小川町から東秩父村に入る。バスはほぼ槻川(つきがわ)沿いに走り、落合橋で左へ。さらに槻川を遡る。窓外に山上に立つ柴の集落がみえてきた。ここの風景もいい。「小安戸」のバス停で下車。槻川を渡ってから、車のあまり通らない槻川左岸の道を歩くことにした。

ほどなく左手に新田の家並みがみえてきた。手前の畑などに、点々と彼岸花が生えている。クロアゲハだろうか、大きな黒いチョウが彼岸花に吸い付いては、またゆっくり大きな羽根を揺らして隣の花に移動している。

朝日根集落の中心部には、まさに彼岸にあるような彼岸花に囲まれたお墓があった。
朝日根集落の中心部には、まさに彼岸にあるような彼岸花に囲まれたお墓があった。

ヤマメの里親水公園から、やや急な坂道になる。昔、この道を朝日根の子どもたちは毎日学校に通ったんだろうか。(後でわかったが、この道ではなく登山道のような山道を歩いて、長慶寺の脇にあった学校へ通ったそうだ。その道はもう廃道になっているという。)

くねくねと曲がった舗装路を上がっていく。下の県道からおよそ300mの標高差を上がると朝日根の八幡神社に到着する。この300mを通学で毎日上り下りするのが昔の子どもの務めだった。足腰が鍛えられるのはもちろん、精神も鍛えられたのではないか。

村の上のほうに立つ八幡神社。文和2年(1353)に村の総鎮守となり、明治3年(1870)には村社に。毎年11月には獅子舞が奉納される。
村の上のほうに立つ八幡神社。文和2年(1353)に村の総鎮守となり、明治3年(1870)には村社に。毎年11月には獅子舞が奉納される。

朝日根の集落に入って歩いていくと、季節は秋だったので、色鮮やかなコスモスの花、彼岸花が咲き乱れる場所があった。背景は真っ青な空。きれいな景色だ。しばし花の園にみとれ、また腰を上げて先へ行くと、今度はびっくりするほど多くの彼岸花に覆われたお墓があった。

彼岸花は曼珠沙華(まんじゅしゃげ)ともいい、サンスクリット語では「天界に咲く花」という意味もあるそうだ。このお墓の風景は、まさにそんな感じで、彼岸(この場合は極楽浄土の意味)にあるような風景にみえた。そばの観音堂の脇に猫が1匹眠っていた。猫も極楽浄土が好きなようである。

お墓の前でのんびり昼寝する猫。近寄っても眼も開けなかった。
お墓の前でのんびり昼寝する猫。近寄っても眼も開けなかった。
彼岸花に吸い寄せられたクロアゲハ。
彼岸花に吸い寄せられたクロアゲハ。

牧場を作るために山の木を切った結果が、水田の消滅に

朝日根最高所に住む旭吉彦さん(80歳)に話を聞いた。
朝日根最高所に住む旭吉彦さん(80歳)に話を聞いた。

「朝日根に来た人はたいがい、『いいところですね』といいますよ。ここはいいところです。でもそれは冬のことを知らないからいっているだけだと思います」

朝日根の集落でも一番上に住んでいる旭吉彦さんの話である。

朝日根では雪が30㎝積もれば、大変なことになる。雪上車が雪をかいたあとは雪面が平らになり、それが凍りつくとアイスバーンになる。人も車も滑る。10年前は大雪で1mも積もったという。そのときの写真を見せてもらった。それをみて「いいところですね」とはいえない。

10年ほど前の豪雪の年。旭さんの家の前では1mは積もったという。1週間ほど閉じ込められたそう。
10年ほど前の豪雪の年。旭さんの家の前では1mは積もったという。1週間ほど閉じ込められたそう。

朝日根。現在の住所表記は、埼玉県秩父郡東秩父村皆谷(かいや)になる。村には古くから人が住んでいたようで、八幡神社の由緒をみると文和2年(1353)に村の総鎮守となったとあるから、それ以前から神社があり、人が住んでいたのだろう。

「県が力を入れて、1973年にこの上に牧場を作ったんですが、牛の糞などで水が汚れる可能性があるので水道をひいた。それはいいんですが、木を伐採したものだから、山に保水力がなくなってきたんです」

これが問題で、それまで出ていた山からの水が出なくなった。それで水田ができなくなり、田んぼから畑に変わるしかなかった。もともと畑が多かったようだが、これで田んぼは消滅したという。

村の中心部にあるお墓のすぐ近くにある畑。牧場のために木を伐採したので、山の水が枯れて田んぼを作れなくなった。
村の中心部にあるお墓のすぐ近くにある畑。牧場のために木を伐採したので、山の水が枯れて田んぼを作れなくなった。

2019年の台風19号では鉄砲水が集落を襲った。これもきっと木を切ったせいだろう。鉄砲水はたびたび起きるという。

「堂平山からみると、ここは美しい村なのかもしれないけれど、その現地ではいろいろ問題があるんですよ」

さらに2019年の9月、秩父市の下吉田の養豚場で豚コレラが発生し、そこだけでは足らず、汚染物をここ朝日根の上の県の牧草地に村民に知らせずに埋めた事件もあったという。フレコンバッグ(1tも入る大型の土嚢袋)252袋という膨大な量を埋めたそうだ。旭さんは焼却した豚も入っていたんじゃないかと疑っている。長くなるので書けないが、ほかにも生々しい話をいろいろ聞いた。

過去ではなく現在の村だった

岡田喜秋が書いた60年前の美しい朝日根は、もうほとんど忘れられた存在の集落だと思ってやってきたが、実際はいま日本が直面している様々な問題が山積しているまさに“現在”の村だった。旭さんと一緒に住んでいた長男が家を建てるというとき、お孫さんの教育のこともあるし、朝日根から下りたらどうか、と旭さんは進言したが、息子さんはここ朝日根に住むと答えたそうだ。小さいころからどこかに出ていくということはまるで考えていなかったという息子さんだが、その意志は固かったようだ。

「若い人はみんな朝日根を離れていく。この村にせっかく生まれたのだから、ひとりくらい村に残ってもいいかと思ったんでしょう。古い考えかもしれないが、親をおいて出て行くわけにはいかないとも思ったんでしょうか。長男だしね」

旭さんの息子さんは、代々生まれたところに住むという、昔なら当たり前のことをしているだけなのかもしれない。

息子さんはいま、朝日根の中心部にあった、あの彼岸花に囲まれたお墓のすぐそばに家を建てて住んでいる。

朝日根の集落(埼玉県東秩父村)

【行き方】
東武東上線小川町駅からイーグルバス「白石車庫」行き25分の「小安戸」下車。帰りは「不動橋」からイーグルバス「小川町駅」行き27分の終点下車。

【雑記帳】
「小安戸」バス停ではなく、「皆谷」バス停で降りて八幡神社へ上がり、「不動橋」へ下りれば時間はかなり短縮できる。イーグルバスは平日になると便数が少なくなる。

文・写真=清野 明
『散歩の達人』2021年11月号より