相模湾からたった2㎞の里

初めて子安の里へ行ったのはだいぶ昔のことだが、そのときは北部にある上山口の棚田へ寄ってから、湘南国際村(*)方面へと歩いた。棚田から先、山の中腹を回るような道を行くと、超現代的で人工的な家並みに驚いた。それが湘南国際村で、その村の下方には、古くからの本来の村があった。子安の里と呼ばれ、平家の落人が開いたといわれる村だ。

その後、相模湾に面した秋谷から子安へ古道が通じているというので、山道を歩いて向かったこともある。子安の里はなぜこれほど昔の風景というか、雰囲気が残っているのか不思議でならない。三浦半島の相模湾からたった2㎞にも満たない距離しか離れていないのにだ。

理由を勝手に考えてみた。

その一、標高は低いけれど、意外と山が険しく谷間も深い。昔は山道を歩いてしか行けなかったので、距離は近いが隔絶していた地だった。だからか平家の隠れ里ともいわれる。

その二、昔は海の幸のほうがありがたかったので、あえて不便な山には入らなかった。そんなこともあって子安の里は残ったのではないか。

* 湘南国際村
横須賀市と葉山町にまたがるエリアで、国際会議場や企業の研修所などと一般住宅が立つ最先端エリア。もともとは自然豊かな山だったが、ゴルフ場開発のために山を削られ、あげく開発は断念。その後、神奈川県が80年代に構想して再開発したが、途中バブルがはじけてまた断念。そんなこんなで開村したのが94年になる。バブル時に構想されたものはなかなかうまくいかないようである。

子安は何も変わっていなかった

今回は逗子駅から出ているバスに乗ってまっすぐ国際村へと向かった。

着いたバス停からは葉山方面の相模湾が遠くに見える。展望のいい村である。あまり車の来ない県道を進んでいくと、ヤシの実が何本も立つお店。ほとんど異国の地だ。その先には階段の両脇にそびえる大きな建物群。そして子安の里方面へ県道を下りて行くと、道脇にはしゃれたカフェの類が3、4軒建っていた。予期していなかったものが林立。子安の里はひょっとしたらもうないのではないか、と思った。

湘南国際村は訪れるたびに装いを変えている。今回はとくに県道217号沿いに新しい店が4~5軒。どれもしゃれたお店で、少々うろたえてしまった。面影はなし。
湘南国際村は訪れるたびに装いを変えている。今回はとくに県道217号沿いに新しい店が4~5軒。どれもしゃれたお店で、少々うろたえてしまった。面影はなし。
県道沿いの店。まるでアメリカのカリフォルニアにあるような。
県道沿いの店。まるでアメリカのカリフォルニアにあるような。

異世界の県道から左の道に入る。関根川の先の風景が現れた。山々に囲まれた畑と民家。いまにもつぶれそうな、家というより、掘っ建て小屋のような建物。本当は野菜の直売所なのだが、どうみても掘っ建て小屋にしかみえない。それが子安には似合う。以前と変わらぬ風景にほっとした。

県道から子安の集落のほうへ入ると、野菜の直売所が変わらずにあったのでひと安心。直売所の奥は国際村の家並み。
県道から子安の集落のほうへ入ると、野菜の直売所が変わらずにあったのでひと安心。直売所の奥は国際村の家並み。

「国際村ができたころから店をやっているんですよ。店といっても店の名前はないんですが。名無しの野菜直売所です」

名無しの店のおばあさんは軽部姓。

「このへんはみんな軽部ですよ。あっちの大きな長屋門のある家も軽部です」

おばあさんと話していると、直売所に野菜を卸している近所のおばさんが話に参加してくれた。

子安の里ではよく知られている軽部家の長屋門。長屋門のある家は県道の反対側にもう1軒ある。
子安の里ではよく知られている軽部家の長屋門。長屋門のある家は県道の反対側にもう1軒ある。

「道からこっちへ入ると、昔とおんなじ。なにも変わってはいないよ、子安は」

子安には家が何軒くらいあるんですか? と聞くと、「そうね」といいながらおばさんは指で数えはじめた。

「1軒、2軒……、20軒くらいかな」

子安の全部の家が頭に入っているようだった。人口はよくわからないとのこと。たぶん54 人のようである。赤ちゃんはゼロで、いちばん小さな子で小学校1年生がひとりだそうだ。

直売所では近隣の農家から作物を集めて販売している。店には冬瓜、イチジク、サツマイモ、栗……と見るからに新鮮な野菜が並べてあった。

「お客は近隣の人ですか?」

「遠くからの人もいるんですよ。横浜から来る人もいるよ」

話していると、お客が入れ代わり立ち代わり。みるみる野菜は減っていく。

するとまた新しいおばあちゃんが話に参加してくれた。聞くところによると、親戚がこの直売所の近くに住んでいるらしく、ときどき子安に遊びにくるそうだ。お歳は80代なかば。

「私はね、子安で遊んでもらっているんですよ。いいところですから、この辺りを散歩してまわるんです」

おばあさんが住んでいる葉山の友人たちは、子安に遊びに行けてうらやましいと言っているそうだ。いつのまにやらおばあちゃんはいなくなった。たぶん遊びに行ったのだろう。

かつて平家の落人が住んだ頃からここは桃源郷だった

ここで子安の里の歴史を少し。

子安には軽部姓が多く、その祖先が開いた集落、また平家の落人が開いた平家の隠れ里ではないかという伝説もあるが、定かではない。村内には庚申塔が多く、江戸時代初期から明治にかけてのものが多いようだ。

直売所から少し国際村のほうへ歩くと、古い長屋門がみえてきた。門脇の板塀ははがれていて、さらに風格が増しているようだ。門を抜けて声をかけてみるが、返事はない。畑にでも行ったのか、どうも留守のようだ。子安には長屋門のある家がここと、県道の反対側にもう1軒ある。

長屋門から引き返して子安のなかでも一番標高の高いところへ。鬱蒼とした樹林のなかを抜けると、青空が広がり、道脇に電柱が2本。ひとけのないやや曲がった道が正面に現れた。なんの特徴もないその風景が心にしみてくる。いいところだと思う。

子安の里の最高地点付近。相模湾の奥に晴れていれば富士山もみえる。
子安の里の最高地点付近。相模湾の奥に晴れていれば富士山もみえる。

その正面の道をすすむと、ぽつんぽつんと道端に彼岸花が咲いていた。さらに上へ行くと、畑と斜めになった1本の電柱、その先に少し霞んだ海がみえてきた。このあたりが子安の最高地点。

明治の頃から炭焼きをやっている

道の左手に無人販売所があった。炭から作った木酢液2ℓ 400円、炭一俵2400円とあるが炭はなく、値段表だけ。炭を販売しているのは珍しいので、家に声をかけて話を聞いた。

「おじいさんの代から炭焼きをやってるんですよ。定年後に私が後を継いでやってます。裏に窯があるのでみてみますか」

家の裏手の畑のほうへ行くと窯があり、炭をちょうど焼いているところで、煙が上がっていた。窯の正面には大楠山と裾野が広がっている。自然に囲まれた眺めのいい場所で焼いた炭はどんなものだろうか。

炭は地元でもけっこうな人気で、店などでよく売れるそうだ。子安では、明治の頃は炭焼き、畑、水田などが生業だったという。

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久留和の海岸へ出る旧道の途中に関根不動尊がある。裏山から湧き出す水を引いていて、不動尊で飲むことができる。水は水質がいいようで、とくに胃腸にいいといわれている。

不動尊に近づくと車で水汲みに来ている先客がひとり。中年の男性で、葉山からときどき汲みに来るそうだ。

「この水をもう7年ほど飲んでますが、子どもは元気になるし、僕も体調がよくなりました。飲み水のほか生活用水全部に使ってますよ。近くにこんな水があって本当に助かっています」

子安には野菜や木炭だけではなく、水の恵みまであった。平家の隠れ里は小さな桃源郷で、それは落人が住み着いたころからそうだったのではないかと思う。

おばあちゃんがときどき遊びに来たくなるように、僕もまた子安で遊ばせてもらおうと思った。

眺めがいいといわれる久留和漁港にて。学校帰りに釣りにきた親子連れ。
眺めがいいといわれる久留和漁港にて。学校帰りに釣りにきた親子連れ。

子安の里(神奈川県横須賀市)

【行き方】
JR逗子駅から京急バス「湘南国際村センター前」行き約20分の「湘南国際村間門沢調整池」下車。あるいは京急汐入駅から京急バス「湘南国際村センター前」行き約20分の「湘南国際村間門沢調整池」下車。

文・写真=清野 明
『散歩の達人』2022年11月号より