人の手が入ってこそ“川”になる

日野の集落を流れる沢井川。夏休みに入ったからか、川では子どもたちが遊んでいた。
日野の集落を流れる沢井川。夏休みに入ったからか、川では子どもたちが遊んでいた。

相模湖に注ぐ川のひとつに沢井川があり、登山者に人気の陣馬山が源流部となる。その沢井川に沿って歩いてみようと思った。この道をバスで何度か通ったことがあり、気になる風景があったからだ。

藤野駅から上河原までバスで入り、来た道を戻ろうと考えた。が、ここもバス便が減少し、平日は朝の便が少ない。しかたなく現地まではタクシーで入った。

取材前に、なんとはなしに地図を眺めていた。すると、沢井川の右岸に広く平らな土地がある。大日野原(*)と記してある。読み方は「おびのっぱら」。別の地図には「大日野原農業団地」ともある。段丘上にある台地にしてはかなり広い。畑の面積は20haというから、だいたい500m四方の大きな畑である。この畑もみてみたいと思った。

 

* 大日野原
沢井川右岸、標高250m付近の台地に広がる土地。周囲4㎞ほどの電気柵に囲われた畑になっている。縄文時代(推定5000〜5500年前)の土器が発掘されており『相模原市立博物館』に常設展示されている。

上河原のバス停で車を降りた。沢井川の両側に山々が迫っている。養蚕と炭焼きによって暮らしてきたところなのだろう。古い養蚕農家の家が残っていた。人は誰も住んでいないようだ。そんな家が何軒か残っていた。

集落を過ぎるとまもなく上沢井の集落がみえてきた。沢井川にかかる小さな橋におばあさんが立っていた。

上沢井集落に住む清水文子さん。足腰が弱くなったとはいえ、いまだに畑仕事をしている。
上沢井集落に住む清水文子さん。足腰が弱くなったとはいえ、いまだに畑仕事をしている。

「川は草がぼうぼうで水面がぜんぜんみえないでしょ。以前はときどき草を刈ってたけど、みんな年とっちゃって、川に降りるのも大変になって……」

お婆さんは清水文子さん。80歳は越えている。水面がみえる場所もあるにはあるが、沢井川はほとんど草の川に変貌していた。川が川たるには、地元の人たちの力がなければ川にみえないことを初めて知った。

花嫁は道志の村から歩いてきた

清水さんの畑から沢井川下流のほうを眺める。
清水さんの畑から沢井川下流のほうを眺める。

お婆さんのあとについて、住まいの裏にあるという畑に案内してもらう。「ここが茶畑だったところ。草に埋もれてるけど、あれがイノシシを捕まえる檻」

最初、それがなんであるかひと目ではわからなかった。捕獲檻はほとんど周りの自然と一体化していた。イノシシを捕まえるという本来の目的が忘れさられてから何年たっているのだろうか。

「あそこの山の上にも畑があるんですよ。全部で一町歩くらいの畑で、いい作物が採れるんですけど、誰ももうやっていない。畑に行くのが大変でね」

車で行ける道がなく徒歩で行くしかないので、放棄地になったのだろう。清水さんも茶畑はもうやめたそうだが、スイカ、キュウリ、ナス、トマトなどの野菜類をつくっている。里芋畑から南側の藤野駅方面を眺めると、山間に澄んだ青空が広がっていた。

畑は動物たちとの戦いの場所

栃谷(とちや)川が沢井川に合流するところが落合の集落。ここから大日野原の畑へ上がる狭い道が通じている。標高差で数十m上がると、フェンスが現れ、畑に入る扉があった。いよいよ大日野原のなかに入る。

ここには小屋が何軒かあるが、家は建てられないそうで、とにかく広い畑だけの台地。周囲はほとんど山、山、山だ。陣馬山、鷹取山、遠くには不老山などもみえる。畑の上には空、空、空。いってみれば天空の畑のようなところである。

畑の真ん中の道を歩いてみる。おじいさんが草刈りをしていた。

「ここは広くてなんだか気持ちのいいところですね」

「そうなんです。リタイアしてからずっと畑をやってます。このブルーベリーはそのときに植えたんですよ」

中村孝親さんは言う。

畑の中に入ってブルーベリーをいただく。朝採れどころではなく、採った瞬間に口に入れる。新鮮すぎる味だ。

「もう畑をやっていない人が多いんですよ。草がぼうぼうなので、草刈りだけでもやってくれるといいんですけどね」

畑は持っているが、農作業はやらない、いや高齢のためやれないのだろう。土地の地権者は80名ほどだが、耕作している人は半分もいないという。

「畑の作業は野生動物たちとの戦いです。シカ、イノシシ、サル、ハクビシン、キツネ、テンまでいますから。電気柵があってもフェンスの下に穴を掘って入ってくる。埋めるとまた穴を掘る。いたちごっこですよ」

大日野原の畑。左側の平地は耕作されていない畑。この周りを電気柵で囲ってある。
大日野原の畑。左側の平地は耕作されていない畑。この周りを電気柵で囲ってある。

中村さんはいろいろ罠を仕掛けている。罠にかかったキツネの写真をみせてもらった。キツネは駆除できないので放してやるそうだ。

「スイカやカボチャが動物に食べられ全滅したことがあり、それで2002年に周囲4㎞ほどを電気柵で囲ったんですよ」と話してくれたのは下の落合にある『鈴木商店』の鈴木彰さん。以前は藤野町の、合併後は相模原市の職員だった。

「フェンスの上に7000Vの高圧電流が流れています。以前、サルがそれに触れたら5mも吹っ飛んで、学習したのか来なくなりました」

縄文時代の昔からいい場所には人間が住みついてきた

この大日野原はずっと畑だったわけではない。じつは人が住んでいた。それも昔も昔、縄文時代のことだ。縄文時代各期の土器も発掘されている。つまり昔からいいところなのだろう。この連載でもここはいい場所だな、と思うところはたいてい縄文人が住んでいたように思う。

「大日野原へ4mほどの広い道を沢井隧道のところから通す計画がありました。当時はバブルで予算もあったのでそんな計画も出たんですが、残念ながら地権者が反対して道はつくられなかった。でもいま考えると、それでよかったと思います。広い場所なので刑務所をつくるなんていう話もあったんですから」

刑務所ではなくても工場くらいはできたかもしれないと鈴木さん。縄文の頃から人が住んできた天空の地は、天空の工場地帯にならずにすんだ。

鈴木さんの商店の前には沢井川が流れている。川をよくみると小さな魚が泳いでいた。ヤマメが戻ってきているようだ。沢井川には魚道をつくっていて水もきれいなので相模湖からヤマメが遡上してきているのだそうだ。その川でライフジャケットを着た近くの園児たちが20人くらい川遊びをしていた。なんかとてもうらやましい。

中里集落を流れる沢井川。このあたりの流れもきれいだ。
中里集落を流れる沢井川。このあたりの流れもきれいだ。

鈴木さんは毎朝6時、目の前にある沢井川に下りて川を見守っている。

「川をきれいにしていると、バーベキューなどをした人も、不思議なことにきれいにして帰ってくれるんですよ」

鈴木さんはさしずめ、墓守りならぬ沢井川の川守りである。

『鈴木商店』の“川守り”鈴木彰さん。毎朝、川を見守っている。家の前を流れる沢井川にて。
『鈴木商店』の“川守り”鈴木彰さん。毎朝、川を見守っている。家の前を流れる沢井川にて。

沢井川は落合から中里、日野へと流れて相模湖へと注ぐ。川沿いをたどって日野の集落へ入ると、自転車が何台か道脇に転がっていた。下のほうをみると川のなかでは中学生だろうか、上半身裸で仲間と戱れていた。

夏休みのひととき、みんなで川遊びができる。この沢井川の場所はきっと、大日野原といっしょに縄文人が愛してきた場所なのだろうと思った。

沢井川と大日野原(神奈川県相模原市緑区)

【行き方】
JR中央本線藤野駅から神奈川中央交通バス「和田」行き8分の「上河原」下車。

文・写真=清野 明
『散歩の達人』2022年9月号より