吉田靖直(達人)の記事一覧

吉田靖直
達人
吉田靖直
ロックアーティスト、文筆家
1987年、香川県生まれ。早稲田大学在学中に結成したトリプルファイヤーのボーカル。著書に『ここに来るまで忘れてた。』(交通新聞社)『持ってこなかった男』(双葉社)がある。https://triplefirefirefire.tumblr.com/
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受験で姉の家に泊まり込んだら、何気ない話し方で金を要求された
大学受験の時期、滑り止めなども含めて2週間ほど東京に滞在する必要があった。ちょうどその頃10歳上の姉が東京で会社員をしていたので、しばらく姉の住む高円寺のアパートに泊めてもらうことになった。東京に行ける時点で高揚していたが、雑誌「たのしい中央線」や大槻ケンヂのエッセイでよく知っていた高円寺で短期間でも暮らせるというのは私にとって現実離れしたうれしいことだった。東京の大学を受験するクラスで仲がいいメンバー3人と羽田に着き、モノレールで浜松町に向かうと東京タワーが見えた。誰からともなく、せっかくだから昇っていこうか、ということになった。東京タワーの安い方の展望台に昇り、360度の景色を見渡す。「いやあ、東京って感じやなあ!」「大学受かったらマジでここに住むんやで」「ほんま絶対受かろな」互いに鼓舞し合い、がんばった成果を全て受験にぶつけることを誓う。友人たちと別れ、やる気が漲った状態で高円寺に向かった。高円寺駅に着くと姉が迎えにきてくれた。久しぶりに会う姉に実家の近況などを話しながら『天下一品』のラーメンを食べる。そのまま姉の家に着き、移動疲れでダラっと壁にもたれて座っていたところ、姉は極力こちらに違和感を抱かせまいとするような何気ない話し方で言った。「あ、そうや。お母さんからお金もらってきた?」。面倒な話になる予感がした。「え、何のお金?」「しばらく私の家におることになるやん。そのためのお金」「あ、お金かかるんや?」その言い方が姉の気に障ったようだった。「あんたは社会に出てないからわからんかもしれんけどな。人の家にしばらく住まわせてもらうってことはタダでは済まんことなんやで」と言う。「光熱費とか水道代やってかかっとんやで!」。何か言うと姉を刺激してしまいそうだった。「ちなみにいくら払えばええん?」「2週間やったら6万……いや少なくとも4万やな」。その最初に少し高めの値段を提示するやり方に不信感を持った私は、そもそも抱いていた「ただの知り合いやったらそんなんせないかんかもしれんけど、家族やったら別にええんちゃうん?」という正直な思いを口にした。姉は「あんたな、それはちゃうで。家族やからこそ、そういうところしっかりしとかないかんのや」と真っ直ぐな目で答えた。早く話を終わらせたかったので「わかったお母さんに聞いとくわ」とその場をしのいだ。ふと姉が中学生のとき2000円くらいしそうなウォーリーの本を突然買ってきてくれたことを思い出した。姉はこんなにお金にうるさい人だっただろうか。
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あのベテラン警官から受けた、高圧的職務質問が忘れられない
警官からの職務質問、いわゆる職質を受けたことが過去に4、5回ある。職質を受けるということは、「こいつは何らかの罪を犯しているのではないか」と疑われているということだ。警官は疑うのが仕事なので仕方がないのだろうが、やはり人から疑われるのはいい気がしない。しかし警官のそういった活動のおかげで日本の治安が守られているのだろう。なので私は職質されても変に不機嫌な顔をせず、穏やかに微笑みながらポケットの中身を見せる。2、3分も普通に対応していれば何事もなく解放される。しかしそんな善良な一般市民の私にも、腹が立ちすぎて「逆に悪いことしてあいつらを困らせたい」と非行少年のような気持ちにまでさせられた、忘れられない職質が一度だけある。
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撮影現場の女性スタッフ2人と足利から東京まで電車で帰る気まずい2時間
役者として映画やドラマの撮影に参加したことが何度かある。正しい演技の仕方も役者の醍醐味も今のところよくわからないが、とりあえず仕事にしては楽しい部類である。撮影中、寒い日は周りがサッカーの控えが着るようなベンチコートを着せてくれたり、お茶を持って来てくれたりする。恐縮しつつも、慣れないVIP待遇がうれしい。ドラマに出たと言うとガールズバーなどの店員が一目置いてくれることもある。
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なぜ私にだけ客引きが寄ってくる? そのシステムについてのツラい考察
自分は他人に軽んじられやすい方だと思う。それを初めて認識したのは小学校低学年の頃。仲の良い友達の家に遊びに行ったら、別に親しくなかった同級生も交え、鬼ごっこをすることになった。その同級生に「お前、どこ住んどん?」とたずねられたので自分の地区を教え、その後で「お前は?」と聞き返した。彼は「俺はこの近くやで」と答えながら、どこか釈然としない顔をしていた。鬼ごっこをしている途中、タッチが当たったかどうかという議論になった。「お前の手、絶対届いてなかったやん」「いや、届いとった」「服にかすっただけやろ」「いや、ちゃんと当たっとったし」「噓つくなよお前〜」などと言い合いしたとき、彼は一瞬ためらった後、少し言いづらそうに「ていうか、お前って言うのやめろや」と言った。それまでずっと気になっていたのを我慢していたようだった。
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絶対向いてないIT企業に就職し、一年半辞めることだけ考えた
できるだけ労働を避けて生きてきた私だが、一度だけ就職したことがある。五反田の小さなIT企業にシステムエンジニアとして新卒採用されたのだ。プログラミングの知識も経験も全くなかった。まあ働き始めれば何とかなるだろうという考えは甘かった。
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ボルダリングジムで出会った気持ちいい若者との気まずい時間
地元の香川で、車で栄えた街へ行く時にいつも通る国道がある。国道は善通寺市を通過する。祖父母が住んでいたのでよく遊びに行った場所だ。今では道沿いの店が様変わりしていて、憧れていたレンタルビデオ屋も古本屋もない。
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岡村&小出の夢のセッションを見た直後、虚を突かれた話
私のような一般的に認知度の低いインディー・バンドマンでも、たまにはメジャーなミュージシャンとかかわる機会がある。特に印象に残っているのは、岡村靖幸さん、Base Ball Bearの小出さんと一緒に飲みに行った夜だ。
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神職の資格を取った次の日、友を失い、恋が残った
色々なところで言っているが、私の実家は神社である。長男の私は、幼少時代から親族や近所の人に「早く立派な神主になれよ」と言われ続けてきた。そのたびヘラヘラしながら「そうっすねー」と受け流してきたが、大学生にもなると圧が高まってくる。親から電話がかかって来るたび「早く國學院大學に通って神職の資格を取れ」と言われるようになった。
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こいつにだけは負けたくない!と初めて思った窪塚気取りの暗いやつ
高校生の頃、将棋部に入っていた。とは言っても、練習に参加したのは3年間で5回にも満たない。いわゆる幽霊部員だ。将棋自体は小学生の頃からたまに遊びでやったが、系統的に学んだ人には全く歯が立たない。「穴熊」「矢倉囲い」などの初歩的な戦術すら理解していないレベルだった。
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全日本3位とダンス対決という危険な賭けに出た夜の西麻布
地元の友達に誘われ、初めてクラブに行ったのは20歳前後の頃だった。連れて行ってもらったのは出会い目的の客ばかりの、いわゆる「チャラ箱」だ。友達は女の子に次々と声を掛け、10分もすると仲良くなっていた。羨ましかったが、ゴリゴリした色黒の男たちの中で場違いな存在としか思えず、一人黙ってクラブを退出。渋谷駅前で喉の限界までタバコを吸い、数時間始発列車を待ったのである。
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