小学生の時、棒高跳びでオリンピックの代表に選ばれた卒業生が講演に来て、体育館で1時間ほど話を聞いた。自分が幼すぎて理解できなかっただけかもしれないが、「先生と同じような普通の話だな」としか感じられなかった。以来、もし自分が大人になって母校へ凱旋(がいせん)講演へ行くなら、どんなことを言うだろうと時々想像するようになった。

私は学生時代の大半、鬱屈(うっくつ)とした気持ちを抱えていた。自分は人とは違うと思いつつ何か特別な結果を示せるわけでもない。勉強にも部活にも打ち込む気になれない。

そんな私に、生徒全体へ向けた教師の話は響かなかった。自分なら、たとえばいじめられっ子や教師に気に入られない子、学生生活の中で何者にもなれずもがいている、クラスの隅っこにいる生徒が「自分のための言葉だ」と思えるような、魂を震わすメッセージを伝えられる気がした。

そんなある日、母校である香川県立丸亀高校で教師をやっている人からインスタグラムのDMが届いた。丸亀高校では現在、東京方面への大学キャンパスツアーを毎年開催しているという。そして早稲田大学へ見学に行く際、OBである私をぜひ特別ゲストとして招きたいという話だった。

いつか母校で話をしてみたいと空想していたとはいえ、大きな成功をしたわけでもない現段階の私が生徒の前に立つのは時期尚早ではないか。しかし今後私が今以上の成功を遂げる保証は何もないし、このような機会は二度とやってこないかもしれない。

少なくとも現在の私は、堅実な進学校である丸亀高校の卒業生の中にあってかなりレールから外れた生き方をしているのだ。だからこそ「勉強をしていい大学に入り、いい会社へ就職する」という規定ルートに違和感を持っている一部の生徒へ何かを訴えかけられるのではないか。

また我がバンド、トリプルファイヤーは一般的に無名とはいえ、日本のインディーズ音楽をディグっている一部の高校生には届いているはずだ。現に最近では、制服を着た高校生がライブに来てくれることもちょくちょくある。

そして丸亀高校の図書室は当欄コラムをまとめた『ここに来るまで忘れてた。』を含む私の著書3冊を置いてくれているらしいし、それを読んで感化された生徒も学年に数人はいるだろう。そんな生徒が1人でも参加しているのなら、いろいろと至らない現在の私だとしても、高校卒業後の特殊な例としてくらいには役に立てるはずだ。以上のようなことを考えた結果、私は誘いを受けることにした。

乾いた拍手の中で

8月上旬の昼間、早稲田大学の指定された教室に入る。高校生はまだ到着しておらず、DMをくれた先生と、丸亀高校卒業生の男女3人だけが集っていた。私以外のOB、OGはみな現役の早稲田生らしい。確かに考えてみれば、平日の昼間にこんなところに集まれるのは大学生くらいのものだろう。いい年をして昼間からプラプラしている自分の身の上が恥ずかしく感じられてきた。

20分ほど待機していたところに、到着が遅れていたキャンパスツアーの高校生たちが続々と入室してきた。その数30人ほど。

生徒たちが席に着くと、司会役の先生が「今日はなんと、特別ゲストとしてトリプルファイヤーの吉田さんに来ていただきました!」と紹介してくれた。乾いた拍手の中で生徒全員の表情を見渡す。おそらく、私のことを待っていた生徒など1人もいないことが見てとれた。いろいろな大学を巡って疲れているのか、彼らはみな眠そうであった。

簡単な自己紹介の後、高校生たちからの質問タイムが始まった。

「せっかくの機会だからどんどん質問しましょう」と教師が呼びかけてもほとんど誰も反応しなかったが、真面目そうな一部の生徒が手を挙げた。

「早稲田の受験の歴史は難しいようですが、どのような勉強をしましたか?」
「おすすめの問題集はありますか?」

誰が答えてもいいような質問ばかりだった。終盤にはもうストックがなくなったのか「高校時代で記憶に残っている学校行事はなんですか」と、もはや早稲田とすら関係のない、無理やり捻(ひね)り出したような質問しか来なくなった。

「球技大会でソフトボールをやった時、ファールライナーが頭に直撃した女の子が気を失って倒れててびっくりしましたね。まあしばらくすると元気に立ち上がってたので安心しましたけど」と特殊なエピソードを引っ張り出してみたものの、若干引かれただけだった。ここに至って少しでも爪痕を残そうとする自分が情けない。

1時間弱のゲスト出演を終えた結論として、私に1人の早稲田大学OB以上の興味を抱いている生徒は誰もいなかった。どうやら成功した先輩として母校で講演するのはまだ早かったようだ。

「呼んだのになんかスイマセン」という表情の先生に別れを告げながら、何かもっと人生の頼りになるような成果を残したいと久しぶりに思った。

『ミュージックステーション』に出れば母校で講演ができるだろうか。いや、やはり紅白まで行かないと難しいか。ここから何かのビジネスで成功する方が早いかもしれない。

具体的に考えれば考えるほど、母校に凱旋するなどという計画は荒唐無稽なものにしか思えなくなっていた。

新譜『EXTRA』配信中のほか、2枚組CD発売中。
新譜『EXTRA』配信中のほか、2枚組CD発売中。

文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2024年11月号より

高級ブランドの服など一着も持っていない私だが、高級ブランドのパーティーへ行ったことは2度ある。ファッション関係の仕事をしている友人が「タダで飲めるからみんなで行かない?」と2次会的ノリで連れて行ってくれたのだ。
知人の飲み会で一度だけ会った文芸誌の編集者から連絡があり打ち合わせをすることになった。コーヒーをすすりながら「最近は何やってるんですか」「実家にはよく帰るんですか」と世間話のような質問に答えていたら数十分が過ぎていた。相手は私に仕事を頼むつもりだったのに、私の返答のレベルが低すぎたせいで「やっぱこいつダメだ」と見切られてしまったんじゃないか。そんな不安がよぎり始めた頃、編集者は突然「吉田さん、小説を書いてみませんか」と言った。私は虛をつかれたような顔をして「小説かあ……いつか書いてみたいとは思ってたんですけどね。でも自分に書けるかどうか」などとゴニョゴニョ言いながら、顔がニヤつきそうになるのを必死にこらえていた。本当は打ち合わせを持ちかけられた時点で小説の執筆を依頼されることに期待していたのだ。「まあ……なんとか頑張ってみます」と弱気な返事をしつつ、胸の内は小説執筆への熱い思いで滾(たぎ)っていた。
政治家の裏金問題や賄賂、オリンピックに絡む中抜きのようなニュースを見るにつけ、世の中にはうまいこと仕組みを利用して楽にお金を得ている人たちがたくさんいるのだなあと思う。私だって楽にお金が欲しいが、そのための仕組みを作るのが面倒で、手っ取り早く小金を稼げるアルバイトなどをしてその場をしのいできた。そんな無計画な人間はいつの時代も搾取され続ける羽目になる。