『さばのゆ』創業者・須田泰成さんの軌跡

植草甚一の本に影響を受け、1997年から経堂に在住。業界紙記者などの経験を生かしてウェブサイト「経堂系ドットコム」を運営し、界隈の個店の紹介やイベントプロデュースに力を注ぐ。2007年にサバ缶を使った街おこし「さば缶フェア」を実施。09年、『さばのゆ』を開業。東日本大震災で被災した『木の屋石巻水産』の泥だらけの缶詰25万個を有志と手洗いし、義援金と交換するという支援活動が「希望の缶詰」として話題を呼んだ。

「希望の缶詰」の取り組みをまとめた著書もある。
「希望の缶詰」の取り組みをまとめた著書もある。

「店をなくしたら、思い出も消える気がして」

泰成さんは「利他の人」として知られていた。経堂を愛し、界隈の店を愛し、いつも誰かのために動いていたのだ。『さばのゆ』も「コミュニティーのハブになる、人が集まる場所を」と願いを込め、地域を盛り立てるために始めた店だ。

「泰成さんのポケットには、いつもサバ缶が入っていたんですよ」と、目を細めるのは妻の直子さん。二人の出会いもサバ缶だというのだから、運命とはかくも数奇なモノである。

直子さんは映画や演劇などのビジュアルを中心に活躍するグラフィックデザイナー。
直子さんは映画や演劇などのビジュアルを中心に活躍するグラフィックデザイナー。

泰成さんは2015年、とあるウェブサーバー管理会社のノベルティとして「サーバー屋のサバ缶」を製作した。これが2022年、リニューアルすることとなった際に「インパクトあるデザインを」と抜擢したのが、グラフィックデザイナーとして活躍していた直子さんだった。職人気質な二人は意気投合し、2023年1月30日に交際を開始。さらに、商品の納品日の3月8日が交際38日目ということに気づき「38(サバ)婚」をしてしまう。なんたる芸術点の高さ!

店内にはサバ缶がズラリ。
店内にはサバ缶がズラリ。

一方、客同士のコミュニケーションをウリとしていた『さばのゆ』は、コロナ禍で大打撃を受けていた。二人は店内改装や商品開発など、力を合わせて方向性を模索する。ついに新たな名物・ビリヤニが誕生し、再スタートを切った矢先の2023年12月24日。泰成さんが店で倒れた。脳幹出血だった。駆けつけた直子さんは救急車で「明日のラジオ中継をキャンセルしてくれ」と言づてされた。それが、泰成さんの最期の言葉となった。「店を辞めるのが一番楽だったと思います」。しかし、迷いの中で、泰成さんとの記憶が頭をよぎる。

「自分の好きな店がなくなるのを、とても悲しむ人でした。そんな彼が愛していた『さばのゆ』をなくしてしまうのは、私自身も、すごく悲しくて」

泰成さんの意志を絶やさぬよう、思い出を消さぬよう、直子さんは今日も店に立つ。「彼が大切にしてた優しくてフラットな雰囲気を大事に」。これからも『さばのゆ』の物語は、夫婦二人によって紡がれてゆく。

棚に並ぶ書籍は、泰成さんの私物や常連たちの関連書籍がほとんど。
棚に並ぶ書籍は、泰成さんの私物や常連たちの関連書籍がほとんど。

新名物はビリヤニ&コロッケ

「サバ缶を使ったビリヤニがうまくいって」と、直子さん。いろいろな食材とコラボしやすいビリヤニは店のテーマ「つくると つなげる」とピッタリ。コロッケは「台風コロッケ」というインターネットのネタが元。落語会などのイベントも不定期で開催している。

住所:東京都世田谷区経堂2-6-6 plumboxV 1F/アクセス:小田急電鉄小田原線経堂駅から徒歩3分

取材・文=どてらい堂 撮影=丸毛 透
『散歩の達人』2024年9月号より