自転車は近代五輪の定番競技
自転車が競技として近代オリンピックに加わったのは1896年、第1回アテネ大会の時のこと。以来、21世紀まで途切れることなく実施されている、数少ない定番競技の一つだ。種目は、着順を競うレースタイプのものもあれば、日本発祥の「ケイリン」など個人のタイムを競うものなどさまざま。
パリオリンピックでは、「トラック」「ロード」「BMX」「マウンテンバイク」の4カテゴリーに分類されていて、7月27日から8月11日にかけて連日行われる。種目が多いだけに、大会期間中ほぼ毎日メダルが決まる試合がある点で、かなりレアな競技といえる。屋外を走るロードレースに至っては、エッフェル塔の脇やシャンゼリゼ大通りなどを通るコースが予定されており、映像で試合を見るだけでも、パリ散歩気分が楽しめちゃいそう!
一方、パラリンピックの自転車競技は1984年ニューヨーク大会から実施。今回のパリ大会でも「トラック」と「ロード」の2カテゴリーに分かれて行われる。日程は、8月29日〜9月1日(トラック)・9月4〜7日(ロード)だ。
自転車の形を愛でる
試合の見どころを細かく語ることは割愛し、今回は、初見の素人でも楽しめる自転車競技の見どころを、あえてパラリンピックの自転車競技「パラサイクリング」に絞って紹介したい。
まずは自転車の「形」。
形と言ってもせいぜいフレームのデザインとか素材とか、ちょっとしたバリエーションでしょ、と思ったら大間違い。パラサイクリングの試合では、さまざまな形状の自転車を見ることができるのだ。
大きくは、選手の障がい・状態に応じて4タイプ。
1つ目は二輪自転車。これはさすがにわかる……と思いきや、普段両手を伸ばした先にそれぞれあるハンドルが、真ん中に集約されているものもあってビックリ。頭から地面に突っ込みそうな、踏ん張りが効かなそうな気がするが、体を小さくして空気抵抗を減らし、スピードを上げることが狙いらしい。車輪のフレームがレコード盤のように黒で覆われているのも同じ目的。当然、高度なバランス感覚が求められる。オリンピックの自転車競技にもみられるタイプだが、パラサイクリングの選手は、片足のみでこれを乗りこなしている。すごすぎ!
2つ目は三輪自転車。トライシクルと呼ばれるもので、体に重度の障がいがある人向け。基本的には後ろが2輪になっていて、形状は子供の三輪車のような感じ。ただし、そのイメージで競技を見るとたまげる。爆速なのだ。三輪のポテンシャルたるや!
3つ目はタンデムと呼ばれる二人乗り自転車。これは視覚障がい者向けの競技に採用されていて、前にパイロットと呼ばれる先導役の健常者が乗り、後ろに障がいがある選手が乗る。後ろの人はストーカー(stoker)と呼ばれるが、これは英語で機関車に石炭をくべる火夫のこと(つきまとう stalkerとは異なる)。こちらも2人のパワーがエンジンとなり迫力満点! すんごいスピードで、湖畔をカップルで走る観光地のそれとは全くの別次元。
最後はハンドサイクルもしくは手こぎ自転車。これは下肢に重度の障がいがある人向け。態勢はほぼ仰向け。身体が横になったままの状態で、手の力だけでペダルを漕ぎ、上り坂もものともせずスイスイと進んでいく。こんな自転車あったんだ!
区別するからいい、同じだからいい
「自転車は足で乗るものと思っていませんでしたか?」と、これらの自転車のタイプについて詳しく教えてくれたのは、日本パラサイクリング連盟ハイパフォーマンスディレクターの権丈(けんじょう)泰巳さん。権丈さんは、「パラサイクリングには常識がくつがえる面白さがあります」と話す。足がなかったら手で漕げばいい、手がなかったら足でギアを変えればいい。両手がなくても、両足が動かなくても自転車はできる。「乗れないはない」のだ。
また、自転車のタイプに加え、さらにその中でも障がいの程度によりクラス分けがされている点もパラサイクリングならでは。「クラス分けされているからこそ自分の障がいの重さを理由にできないし、逆に異なる障がいを持っていても同じクラスに入ることで、互いに切磋琢磨できる環境があります」。区別するからこその良さもあれば、同じだからこその良さもある。ただ一つ言えるのは「できないことはない」ということ——。なんだか哲学的で、社会や人生に通ずるものがあるようにも思える。
各国の選手団は実は仲よし
自転車の形もさることながら、もちろん注目すべきは選手。
パラリンピックの選手は、幼少期から競技に打ち込んできたエリート中のエリートみたいな人はものすごく稀で、多くは人生のどこかのタイミングで体の一部に障がいを抱えた人たち。誤解を恐れずに言えば、選手になるための英才教育を受けてこなかった我々の“仲間”だ。
そうした人たちが、たとえ何歳であっても、自転車というこれまたおなじみのツールをバティとし、より速く、より遠くへと進んでいく姿、世界の一流の中でプロの選手として活躍する姿を見ると、なんというか自分の平凡な日常の先に、もっと違う新しい世界があるのではないか、という気分にさせられる。
「日本人選手ももちろんですが、例えば両手片足がないおじさん選手など、世界にはもっともっとすごい人たちがたくさんいます。ぜひいろんな選手を見てほしいです」と権丈さん。競技の世界というと、バチバチな争いを想像するかもしれないが、世界大会でしょっちゅう顔を合わせる各国の選手団はとても仲がよく、互いに自国から持ってきた食材を交換するほどだという。さらに大会中に自転車の調子が悪くなった時には、部品や修理道具を貸し借りすることなんかも。こうした国境を超えた交流が、大舞台での輝かしいパフォーマンスを支えているのかもしれない。
パラサイクリングは最先端
さらに権丈さんは、選手団同士だけではなく、自転車を通じたコミュニケーションの輪をさらに広げていきたいと話す。日本パラサイクリング連盟の本拠地である福島県いわき市で取り組んでいる、地域を散歩するように自転車を楽しむプロジェクト「散走」もその一貫だ。
子供からお年寄りまで、手足がなかろうが、目が不自由であろうが、誰でもどこでもいつでも参加できるのが自転車の魅力。「“ダイバーシティ”“SDGs”なんて言葉を最近はよく聞きますが、詰まるところそれってパラサイクリングなんじゃないかなって思っています。考えようによっては最先端なのかも」。事実、近頃は自転車の活用に注目した自治体から相談を受けることも増えてきているという。19世紀に近代オリンピックが始まって以来、脈々と競技として受け継がれている自転車は今、人々のコミュニケーションツールとして、さらには街の散策ツールとして新たな道を進もうとしている。
鍛え抜かれた体でトップオブトップを争う世界大会。選手のレベルが高すぎて、五輪観戦はどうしてもそのパフォーマンスを観るだけの受動的な行為となりがちだ。しかし中には、自転車のように、日常的に触れている案外身近なものもある。素人上等。自分の生活・散歩の延長として何か取り入れられる要素はないか。あるいは自転車選びの参考に、バランス感覚を鍛える参考に、とさまざまな角度から眺めることだって全然アリ。オリンピック・パラリンピックの楽しみ方に正解はない。まずは、今まであまり気にしたことがなかったかもしれない自転車競技を試しに観てみるところから。今回は、ちょっぴり前のめりで世界の祭典を味わってみてはいかがだろうか。
取材・文・撮影=町田紗季子 写真提供=日本パラサイクリング連盟