『ミッキー』の前に「ミッキー」があった
『ミッキー』があるのは、矢口渡駅から歩いて10分ほどのところ。こじんまりとした商店街を拔けたあたり。まわりは小規模なオフィスや工場、そして住宅が半々といった感じだが、人通りも少なくひっそりしている。
とはいえ、町パンは近隣住民が主な客層なので、商店街などの繁華街になくとも、あまり問題はない。きっとここも、昔から変わらぬ味を提供してきた店なのだろうと思っていたのだが、話を聞いてみると、そうシンプルなものではなかった。ここに『ミッキー』というベーカリーが昔からあるのは間違いない。しかし、途中で一度、経営が変わっているのだ。
『ミッキー』の現店主は、高橋努さん。努さんの父親は川崎で洋菓子店を営んでおり、若い頃の努さんも別の洋菓子店で職人として働いていた。
しかし父親の洋菓子店の経営が傾き、そのタイミングで旧「ミッキー」が商売をやめるという話を聞く。
洋菓子をやめて旧『ミッキー』の物件を買い取って居抜きで入り、ベーカリーを始めようと考えた
しかし、自分はパンの経験はゼロ。そこで努さんの弟を旧『ミッキー』で勉強させて、継承させようとしたのだが、その弟が挫折してしまう。そこで父親は努さんを呼び、2人で新『ミッキー』として始めたのだという。これが25年前のことだった。
店を買ったはいいが……
とはいえ、父親も自分もパンの経験はゼロだし、旧「ミッキー」の店主はすでに引退。父親がすでに高齢だったこともあり、努さんが独学でパンを焼き始めた。洋菓子を作っていたため、ある程度はできたそうだが、それでも最初は試行錯誤の連続だったという。『ミッキー』のパンは食パン、菓子パン、コッペ類と基本的なものだが、他のパンにまで手がまわらなかったというのが大きいという。
さらに店を買い取ったときの借金も返さなければならない。なかなかの苦境。前の店主もやめようと思っていた店だっただけに、始めた当初は厳しかったようだ。それでも紆余曲折を経ながら25年間、店を続けてこられたわけだが、努さんはその理由を「たまたま」だったという。
子どもたちに人気
実は『ミッキー』には、商売を続けられる条件が、たまたま揃っていた。駅から離れた、住宅や小さなオフィスがあるエリア。ここで求められるのは、天然酵母が使われたハイエンドなフランスパンではなく、日常的に食べられるプレーンなパンだ。手がまわらなかったがゆえの、オーソドックスなラインナップだったが、それがこのエリアの需要にフィットしたのではないだろうか。
また、近くには保育園があって、子連れのお母さんたちもよくやってくるそうだ。店内には小さい子どもたちが好きそうな菓子パン類が充実している。たまたまだが、こちらもうまく需要にフィットしているのだ。
子どもたちに『ミッキー』が好かれているのは、壁に貼られた、さまざまな作品を見れば分かる。『ミッキー』では500円ごとにシールがもらえ、それを30枚集めると、キャラクターを模したジャンボパンがプレゼントされるのだ。あるとき、集めたシールを貼った紙に絵を描いてきた子どもがいたらしく、それを貼ったところ、それを見たほかの子どもたちも絵や手紙を添えて持ってくるように。壁に貼られているのはそれらの作品群なのだ。
「続けられたのは運が良かっただけ」と努さんは言うが、商売を続けるには運も大事だ。うまく重なった「たまたま」を活かして、これからも続けてもらいたいものである。
取材・撮影・文=本橋隆司