佐原駅
駅前の観光案内所に寄り、大鳥居の手前を右折してまっすぐ行けば揚水機場。
↓ 15分
両総用水第一揚水機場
来た道を戻り大鳥居をくぐり坂道を上がる。石段から諏訪神社。尾根道から諏訪山展望台へ。
↓ 25分
諏訪神社
坂道を下って街中へ入る。酒造を見学したりして街の中心部へ。古い家が多くなる。
↓ 30分
忠敬橋
中村屋商店のところが忠敬橋。樋橋のところが忠敬の旧宅。戻って香取街道を行けば八坂神社。
↓ 15分
八坂神社
戻って忠敬橋から右手の小野川沿いを行き、JR成田線の線路を越えて北賑橋まで。
↓ 35分
北賑橋
来た道を忠敬橋まで戻り香取街道へ。八木清商店の角を右折し千葉銀行の角を曲がって駅へ。
↓ 55分
ゴール
佐原駅
郷愁度:★★★
歩行時間:3時間5分
歩行距離:約7㎞
アクセス:東京駅からJR総武線で成田駅、JR成田線に乗り換えで佐原駅、約2時間。
※東京駅前から佐原駅北口まで高速バスもあり、所要約1時間20分。
忠敬の街へ
佐原は坂東太郎(利根川)によって商業が栄えた街だった。いや伊能忠敬がいた街だったというべきか。
忠敬は酒造業の伊能家に養子に入り、家業を発展させ財を成し、50歳で隠居。江戸へ出て天文学を学び、55歳から私費で測量をして60歳で町民から幕臣となり、72歳まで歩き続けて地図を作製した驚くべき人物。歩いた距離は4万キロ。ちょうど地球1周分を測量で歩いたことになる。地図も作れない(今は作る必要もないが)我々とは大違い。こちらはただの気晴らし歩き。その忠敬の街へ。
佐原は「お江戸見たけりゃ佐原へ御座れ、佐原本町江戸優り」と江戸の戯(ざ)れ歌に唄われたほど栄えた町だ。もとは香取神宮の門前町で、江戸時代以前から市場町としてにぎわっていたが、江戸期に利根川水運の河港として年貢米の集散地になると、物資が集散する商業町へ発展する。
そのおかげで、小野川沿いの通りや街道に立派な土蔵造りの商家の建物が残っている。建物だけではなく、現在も家業として引き継いでいる商家が多い。いわば“生きた街並み”といえるのが佐原の特徴だ。
江戸時代から生き続ける水運の街
駅から諏訪神社へ向かう前に両総用水の揚水機場へ寄る。佐原で発生する洪水の被害から街を守り、旱魃(かんばつ)に悩む九十九里平野に水を送る用水路の取水口がここなのだ。水は多くても少なくても困るということだ。
戻って諏訪神社へ。大鳥居をくぐって急坂を上がると立派な銅像。伊能忠敬の像である。石段を上がって諏訪山の展望台へ。佐原の街が一望。諏訪山から下りて小野川へ行く途中に大きな煙突が立っている。酒蔵である。東薫酒造と馬場本店酒造の2軒。江戸中期には35軒もあったというから、佐原は“酒の街”でもあったのだ。水郷の良質な米と水、それに酒を運ぶ利根川の恩恵だ。
道は香取街道。香取神宮へ向かう参道だった。道脇に古い家が目立ってくる。呉服屋、そば屋、雑貨屋……。
小野川に架かる忠敬橋(ちゅうけいばし)に出ると、角に『中村屋商店』。店舗は安政5年(1855)築という古いもので、代々荒物、雑貨を商ってきた店だ。
川沿いの旅籠のような店が『木の下』。2018年まで現役の旅館だったが最近トンカツの店になった。明治期の建物だそうで、佇まいがいい。佐原の古い建物がこれほど多く残ったのは戦災を免れたからだが、その家々が生活に密着した“生きた街並み”として残っているところは他にないのではないか。
小野川を舟が上がって行く。赤い前掛け、菅笠(すげがさ)をかぶった船頭さんが舟を操っている。生きた街並みにふさわしく、佐原の舟運は今も続いているのだった。
佐原にはレンタサイクルもあり、1日500円で9:00~16:30。電動自転車もあり、700円。駅前の観光案内所で借りられる。予約は不可。
伊能忠敬旧宅
忠敬はここで財をなして江戸へ出た
小野川沿いに立つ旧宅は、忠敬が養子に入った17歳から50歳まで住んだ家。家業は醸造業から金融業まで幅広く営んだ。土蔵造りの店舗、炊事場、書院、土蔵が残る。近くに伊能忠敬記念館もある。
●9:00~16:30。無料。無休。佐原駅から徒歩20分。0478-54-1118(伊能忠敬記念館)。
取材・文=清野編集工房
『散歩の達人 首都圏日帰りさんぽ』より