まるでカーペットを敷き詰めたような美しさが強烈な印象でした」。オリンピックの思い出を聞くと、山岡敏彦さんはひと言。ホッケー日本代表選手として明治大学在学中から海外遠征や強化合宿に明け暮れ、世界各地のホッケー場を見た目でもなお、駒沢のホッケー場の素晴らしさには感動したという。
この日のために整備された天然芝ピッチは、試合運びにも大きな成果をもたらした。「ボールの行く先を目で追わなくていいので、相手の動きに集中できたんです」と山岡さん。当時は手入れの行き届かない天然芝や土のピッチが普通で、ボールがどこへ飛ぶのか読み切れなかったのだ。
やがて1970年代に欧米の主張で、国際公式試合会場が人工芝に。さらに現在ではテレビ映りのよい青色で、試合前に水を大量に撒く「ウォーターピッチ」が義務付けられた。
実はこれらの流れでホッケー界には異変が起きていた。ホッケーは発祥地のイギリスを宗主国とするインドやパキスタンなどが盛んだった。ところが公式会場設置がままならない列強アジア諸国チームが衰え始めたのだ。かくいう日本もメキシコオリンピック以来、男子は出場権すら手に入れることができなかった。
真っ青なピッチに水しぶき カラフルな選手たちの躍動感
大井ホッケー場は、まさに念願の国際公式試合会場だった。現在国内の公認ホッケー場51カ所中、最高の競技場だ。常設のメイン観戦席はいい具合に日陰になり、潮風が心地よい。
ではかつてのホッケー選手たちを魅了した駒沢総合運動場のホッケー場はというと、「あまりホッケーでは使われなくなっていました」と、東京ホッケー協会の方。東京都が運営する公共施設ゆえにサッカーなど他の競技にも使われ、芝生は荒れがち。いつしか土のグラウンドになった。
ところが2年前の大改修でここに人工芝が敷かれた。ただし水ではなく砂をまく「サンドベース」で国際試合はできない。それでも大学や企業のグラウンドを借りてしのぐ東京では、待望のホームグラウンドだ。
大井ホッケー場も国際試合や日本代表チームのトレーニングなどにどんどん活用できれば、とホッケー関係者たちは期待する。大井と駒沢には小学生チームもできた。ホッケー場を有する地方にはあるが、東京では初めてだ。ホッケー人口が増えて層が厚くなるといい! ホッケーマンたちの夢は2020年の後にも広がる。
取材・文=眞鍋じゅんこ 撮影=鴇田康則
『散歩の達人』2019年10月号より