来年に向けて大改修中のJRA馬事公苑。その入り口に至る並木道に馬の銅像がある。作者は彫刻家の西村修一さん(89)。13年前まで現役馬術選手で世界ランキング82位も経験した実力派だ。
前回の東京オリンピック出場は選考会時点で愛馬の故障でかなわず、代わりに軽井沢での総合馬術ではクロスカントリー競技の審判員を務めた。その大会の印象を、「驚きました。まるで馬と話ができるのかと思うほど自在に動く姿に」と西村さんは語る。何しろ馬が尻ごみして日本人選手が苦戦する障害も、海外勢は難なく飛び越える。総合馬術は一組の人馬が3日間で障害馬術とクロスカントリー、馬場馬術を競う。

日本馬術連盟発行『日本馬術』1964年11・12月号

「大会前に馬事公苑で練習する外国人選手に積極的に話しかけ、馬に乗せてもらって夢中で研究しました」と、西村さんは笑う。でもその衝撃は国内馬術界全体のものでもあった。
そもそも日本の馬術は、戦国~江戸時代には小柄な在来馬にまたがる武士によって発達。明治以降は陸軍が西洋式馬術を取り入れたものの、日本独自の進化を遂げて来た。

60歳で馬の彫刻を始めた西村修一氏は「オリンピックは本来の平和の祭典に戻るべき」。

そして日本馬術界は1964年以来、トレーナー招聘(しょうへい)や調教済み外国産馬の輸入、選手も外国に住むなど世界に目を向けた。外国滞在経験を持つ西村さんは「馬に古くから慣れ親しんだドイツなどあの雰囲気の中でこそ馬術は身に付くのでしょう」。そんな中でも馬事公苑は、昭和15年(1940)の開苑以来、数々の競技会や一般向けイベントなどが行われ、国内馬術の殿堂となっている。

国内未曾有の大規模大会が行われる醍醐味

JRA馬事公苑にて。2019年8月のテストイベントでは、工事で伐採された丸太も「障害物」として利用。

ところで2020年の見どころは?と尋ねると、「世界トップの選手と馬が日本に集結するのは1964年以来。本場のパフォーマンスを観られる希少な機会です」と、日本馬術連盟広報担当の北野あづささん。

右の建物はインドアアリーナ。競技場にはフェルトを混ぜた国際基準の砂を輸入して敷き詰め、周囲に仮設席を建築中。

馬術が他競技と違うのは選手と馬が来日すること。特に日本は動物検疫が厳しく、大切な馬を連れてくるのは容易ではない。そこで今回は特別に馬事公苑を検疫施設と位置づけ、農水省職員が到着後24時間以内に検査をする。そして海の森へは馬運車で。さらに大会に先駆けて、農水省では2016年度から馬の伝染病を媒介するおそれのある種類のダニの調査を2競技場で続けている。

海の森はゴミ処分場だった土地。奥の緑が会場で手前の建物群は23区のゴミ処理施設など。
広大な前回の軽井沢会場と違い、観戦客は何箇所もの障害物を見渡せるのが醍醐味だ。

招致当初は夢の島公園が候補地だったが、後に「既存施設の活用」として馬事公苑が選び直された。馬を熟知した日本馬術の殿堂で、馬術の面白さが日本でも広まることを祈る。

JRA 馬事公苑
~東京ドーム約4つ分の馬術の殿堂~
地元の玉川村耕地整理組合が約5万坪の土地を帝国競馬協会に売却、その資金で用賀地区の碁盤目道路の住宅地を造成した。明仁親王(現・上皇さま)生誕記念行事の一環として設置が計画され、人馬の馬術訓練、馬術競技会開催、馬事に関する知識の向上などを目的に昭和15年(1940)に開苑した。
海の森クロスカントリーコース
~海の向こうに都心が見渡せる会場~
東京湾の埋め立て地に造られたクロスカントリーコース。数々の障害物は数日前にオープンして選手が歩いて研究、馬は当日初めてのコースを駆け抜けるという、人馬の一体感と対応力が試される奥の深い競技だ。当日の暑さには馬房へのエアコン設置など、対策を講じている。
JRA 馬事公苑と軽井沢総合馬術競技場と国立競技場
~日本馬術界が世界を目の当たりにした会場~
1964年の馬術3競技のうち、馬場馬術は馬事公苑で開催。当時は芝生の競技場で唯一の女性である井上喜久子さん含む3選手が健闘した。総合馬術は軽井沢で開催され、日本人選手は4名中千葉幹夫選手だけが完走。会場はその後ゴルフ場になった。障害馬術はオリンピック最終日、閉会式直前の国立競技場中央の芝生広場で行われ、注目を浴びた。

取材・文=眞鍋じゅんこ 撮影=鴇田康則
『散歩の達人』2019年11月号より