静まり返った会場では明仁皇太子殿下をはじめ、観戦席の全ての人が舞台を注視する。次の瞬間、1人の男がバーベルを高々と上げた。
1964年10月12日18時30分、三宅義信がジャーク競技で世界タイ記録樹立。金メダルを彼は皇太子殿下、そして国民の皆さんに「どうぞ見て下さい」とばかりに高く掲げた。
開催前の下見で渋谷公会堂を訪れた三宅さんは、夜を徹して火花を散らす工事現場の人たちにも「一番上のものを見せたい」と心に誓った。
実は彼自身も肉体労働を経験している。国の威信を賭けた東京オリンピックを目指して、自衛隊内に日本体育学校が設立。第一期生として入学したものの、まずは練習場整備から。彼らも円谷幸吉選手らが走るトラック造成中の陸軍施設部隊を手伝い、モッコを担いで土を運んだ。
そしてウエイトリフティングの練習は「お風呂場の軒下」と三宅さんは笑う。まだバーベルもたいしたものがなくて鉄アレイで練習。といってもそこは自衛隊、精神修養も重要視された。何と落下傘訓練まであり、勇気と呼吸のタイミングを培った。
こうして三宅義信氏はローマ、東京、メキシコ、ミュンヘンとオリンピック4大会出場でメダルを次々に獲得、選手引退後は後進の育成に務め、日本体育学校校長も経験した。
競技場の条件は「天井の高さ」
ところで選手にとって良い会場とは「天井が高いこと」と三宅さん。選手は姿勢を整えるために目標を目で定める。「私は15度斜め上。メキシコオリンピック会場は劇場で天井が低くてやりにくかった」といいつつ、ちゃんと金メダル。さすがだ。
東京オリンピックめがけて建築された渋谷公会堂も、「大会用の仮設営ではウエイトしやすい要望を出したので快適でした」と三宅さんはいう。
この7月、東京国際フォーラムでテストイベントが行われた。そもそも何でここが試合会場?という疑問は、実際の試合を観戦して理解できた。
たった1人がその場に立って、ほんの一瞬で勝負を決める。観戦客が固唾を飲んで集中するには雑音のない劇場型の会場がうってつけなのだ。
「駅前で冷房完備と、2020年大会では34競技中最高の会場を割り当ててもらいました。選手には絶対に日の丸を揚げてほしい」と三宅さん。教え子や姪の三宅宏実さんをはじめ、数々の若い力がこの美しい会場で、大先輩の思いを遂げようとしている。
取材・文=眞鍋じゅんこ 撮影=鴇田康則
『散歩の達人』2019年9月号より