演技台に立つ選手の周りを審判員などがぐるりと取り囲む。左右の壁の外側は選手のウォーミングスペース。

静まり返った会場では明仁皇太子殿下をはじめ、観戦席の全ての人が舞台を注視する。次の瞬間、1人の男がバーベルを高々と上げた。
1964年10月12日18時30分、三宅義信がジャーク競技で世界タイ記録樹立。金メダルを彼は皇太子殿下、そして国民の皆さんに「どうぞ見て下さい」とばかりに高く掲げた。

1964年完成当時の渋谷公会堂。2015年まで2000人規模のコンサートホールとして人気だった。

開催前の下見で渋谷公会堂を訪れた三宅さんは、夜を徹して火花を散らす工事現場の人たちにも「一番上のものを見せたい」と心に誓った。
実は彼自身も肉体労働を経験している。国の威信を賭けた東京オリンピックを目指して、自衛隊内に日本体育学校が設立。第一期生として入学したものの、まずは練習場整備から。彼らも円谷幸吉選手らが走るトラック造成中の陸軍施設部隊を手伝い、モッコを担いで土を運んだ。

三宅義信さん(80)は東京国際大学ウエイトリフティング部監督・特命教授

そしてウエイトリフティングの練習は「お風呂場の軒下」と三宅さんは笑う。まだバーベルもたいしたものがなくて鉄アレイで練習。といってもそこは自衛隊、精神修養も重要視された。何と落下傘訓練まであり、勇気と呼吸のタイミングを培った。
こうして三宅義信氏はローマ、東京、メキシコ、ミュンヘンとオリンピック4大会出場でメダルを次々に獲得、選手引退後は後進の育成に務め、日本体育学校校長も経験した。

競技場の条件は「天井の高さ」

三宅さんは自宅トレーニング室で週2~3回の練習を積む現役選手でもある

ところで選手にとって良い会場とは「天井が高いこと」と三宅さん。選手は姿勢を整えるために目標を目で定める。「私は15度斜め上。メキシコオリンピック会場は劇場で天井が低くてやりにくかった」といいつつ、ちゃんと金メダル。さすがだ。
東京オリンピックめがけて建築された渋谷公会堂も、「大会用の仮設営ではウエイトしやすい要望を出したので快適でした」と三宅さんはいう。

「LINE CUBE SHIBUYA」(新渋谷公会堂)は、2019年10月13日に開館した

この7月、東京国際フォーラムでテストイベントが行われた。そもそも何でここが試合会場?という疑問は、実際の試合を観戦して理解できた。
たった1人がその場に立って、ほんの一瞬で勝負を決める。観戦客が固唾を飲んで集中するには雑音のない劇場型の会場がうってつけなのだ。

東京国際フォーラム前。この地には明治27年(1894)から1991年まで東京府・都庁舎があった。

「駅前で冷房完備と、2020年大会では34競技中最高の会場を割り当ててもらいました。選手には絶対に日の丸を揚げてほしい」と三宅さん。教え子や姪の三宅宏実さんをはじめ、数々の若い力がこの美しい会場で、大先輩の思いを遂げようとしている。

競技は1人3回ずつ行い、最高重量を競う。テストイベントでは糸数陽一選手が健闘した。
渋谷公会堂
~大会後はコンサートホールとして人気に~
江戸時代は郊外の大名下屋敷で明治42年(1909)に陸軍練兵場に。この界隈は東京陸軍刑務所だった。戦後は米軍住宅のワシントンハイツに。米軍から返還されて選手村や競技場が造成された際、この地に渋谷区の総合庁舎や公会堂を建築。竣工直後オリンピック会場となり、大会後、渋谷区が使用開始した。
東京国際フォーラム
~都庁舎跡にそびえる名建築~
東京都庁が1991年に新宿移転した土地に1997年に開館。アメリカ在住の建築家ラファエル・ヴィニオリ氏設計。ウエイトリフティング競技はガラス棟の西側に立つホールAで開催予定だ。世界有数の5012席を誇る美しい大ホールだ。ガラス棟には都庁の置きみやげで江戸城の原型を築いた太田道灌の銅像がある。

取材・文=眞鍋じゅんこ 撮影=鴇田康則
『散歩の達人』2019年9月号より