師匠に報告したところ、「彼氏は助けてくれないのか?」と聞かれた。彼氏は助けてくれなかった。助けようという素振りすらなかった。わたしが強がって「施設と言っても、広くて意外と快適だよ」とLINEを送ると、「いいところが見つかってよかったね♪」と呑気(のんき)な返事が来た。飲みに誘われて「お金がないから行けない」と断ると、「じゃあ、しかたないね」と言われた。そこは普通、「ごちそうするから飲もうよ」じゃないのか?
付き合って1カ月の彼氏に金銭の援助をしてもらう気はさらさらなかったものの、曲がりなりにも彼女なのにこの扱いはひどいように思えてきた。嘘でもいいから心配してほしかった。日に日に「別れたい」という気持ちが強くなっていった。
「助けてほしかった」などと言うのはプライドが許さず(実際、助けてほしかったわけでは決してない)、「価値観が合わないから別れたい」と適当な別れ文句をLINEで送った。すると彼は「無理に付き合う必要はないから、いいよ~」とあっさり受け入れた。結局、彼はわたしのことなんて好きじゃなかったのだろう。そう思っていたら彼からも同じタイミングで「俺のこと好きじゃなかったんだね」というLINEが来た。おっしゃる通り、わたしは彼のことが好きではなかったのだろう。もし本当に好きだったら、こんなに簡単には別れていない。
尾崎豊は生前、家を留守にするとき奥さんにノートとペンを渡し、「俺がいない間『愛している』と書き続けてくれ」と言ったという。この話をすると大抵「気持ち悪い」「絶対に嫌だ」という反応が返ってくるが、わたしはちょっと憧れている。「愛している」と書き続けてもらうのもいいし、自分が書き続けるのもいい。いつか本当に好きな人ができたら、そっとテーブルの上にノートとペンを置いてみよう。尾崎豊のエピソードに引くような彼であれば、それまでの人ということである。これは真実の愛を知るための試金石なのだ。
ちなみに尾崎ムギ子というペンネームは、尾崎豊ではなく尾崎放哉(ほうさい)から来ている。「咳をしても一人」という句が有名な俳人だ。ペンネームをつける際に何気なく『尾崎放哉全集』をめくったところ、「麦」というワードが目についたため、尾崎ムギ子という名前にした。「麦をすつかり蒔(ま)いて小便してゐる」——。いま見ても実に秀逸な句だ。わたしもいつかこんな作品を後世に残したい。
実家を出てから1カ月が経ったある日、母から突然、電話がかかってきた。先月、わたしの目の前で泣き喚(わめ)いた母の姿が浮かんで動悸(どうき)がしたが、電話に出ると母はケロッと「銚子丸でも行く?」と言う。銚子丸とは、実家の近くにある回転寿司屋だ。絶縁したことにも、離れて暮らしたこの1カ月間のことにも一切触れずに、いきなり「銚子丸」というワードが出てきたもんだから、呆気にとられた。しかし、母は昔からそういう素っ頓狂な人なのである。
銚子丸で久々に会った母は少し老け込んだように見え、「またいらぬ苦労をかけてしまった……」と申し訳ない気持ちでいっぱいになった。とにかく連載のことを謝らなければならない。しかし、謝ったところで連載をやめるつもりはなく、どうしたものかと寿司を食べながら考えあぐねていると、母が「いよいよ日本も戦争が始まる」と言い始めた。
これまで母が語る陰謀論を信じたことはなかったが、昨今の世界情勢を鑑みると、あながち否定もできないように思えた。最終的に「戦争が起きたときに離れて暮らしているとなにかと困る」という話になり、わたしは実家に戻ることになった。
この連載については弁解することも謝罪することもなく、何事もなかったかのようにいままで通りの生活が始まった。愛犬のワン太は相変わらずわたしの腕で朝から晩まで発情するし、母は食糧難と世界戦争に供えて備蓄に励んでいる。
一人暮らしは自分を変えるチャンスだったのかもしれない。先月「この部屋から這(は)い上がってみせる」と珍しく闘志を燃やしたものの、いまではすっかり元のわたしに戻ってしまった。ワン太がいて、母がいて、みんな元気ならそれでいい。穏やかなもんである。
「若いときの苦労は買ってもせよ」と言うが、苦労なんて買わなくても次から次へとやってくる。もう若くはないのだし、平和が一番だ。
文・イラスト=尾崎ムギ子