はじまりは「日本の土地に合ったカレーを作りたい」
なんとなく調子が悪い、疲れが取れないと感じるとき。『香食楽』はそんなときに訪れてみたいお店だ。きっと調子がいまいちと感じるときの鉄板飯になってくれるだろう。
店主の井村真沙子さんは、いずれ自分の店を持ちたいと飲食店で働きながらカレーの研究をしていた。最初に作っていたのはインドカレーだった。
インドカレーは食べていると体が熱くなるのに、しばらくすると熱が発散される。それは暑い土地の食べ物だからでは? と考えるようになった。周りに冷え性で困っている人も多く、「日本の土地にあった、体を温める効果が持続するカレーを作りたい」と考えた。そして、生薬を使ったカレーに辿り着き、お店をオープンしたのが2005年のことだ。
最初は漢方薬局にアドバイスを受けて材料を選んでいたが、当時店を訪れていたのは健康への関心がひときわ高い人たち。
質問にきちんと答えられるようにと国際中医薬膳師の資格を取得すると、カレーの材料の割合や組み合わせにも磨きがかかった。
4種類の薬膳カレー。メインの材料は意外にも普段からよく食べるもの
『香食楽』では、4種類のカレーが定番メニュー。気を巡らせる食材がたくさん入っているのは巡るカレー。消化器系全般を補う食材を中心としたかくらカレー、黒胡麻、豆鼓など黒い食材が入った黒カレー、肝、脾、心、肺、腎の五臓全体を補うベジカレーの4種類が定番だ。
メニューの説明を読んでもすぐにはピンとこない。「初めて来た人は、かくらカレーか巡るカレーがおすすめです」と井村さん。
巡るカレーは、気を巡らせる作用があるとされる玉ねぎ、鶏ひき肉、ココナッツなどが入っている。薬膳でいう気とは元気の気。形を残した甘い玉ねぎがたっぷりで、食べていると辛さが感じられるタイプだ。「玉ねぎはたくさん入れていますが、効能としては弱めなので、気を巡らせる効果が強いとされる陳皮(みかんの皮)も加えています」という。カレーにどこか薬っぽさを予想していたが、まるで感じない。
消化器系を補うとする、かくらカレーは、井村さん曰く「野菜スムージーみたいなカレー」。玉ねぎ、にんじん、茹でたさつまいもやじゃがいもなど、10種類ほどの野菜をフードプロセッサーでひたすらペースト状にしたものに鶏の出汁を加えている。かくらカレーは材料を炒めないため、カレーそのものにはサラダ油などの植物性油脂が入っていないのも特徴だ。とろりとしていて野菜の甘さが感じられ、カレーとポタージュの中間といったところだ。
薬膳料理としての特徴は、当帰(トウキ)の葉に。ジャスミン入りの薬飯も
『香食楽』では、陳皮のほか、ニッキ(シナモン)、カンキョウ(ショウガを干したもの)、中華料理のデザートに登場することも多いナツメやクコの実など、全部で10種類ほどの生薬を使っている。
どのカレーにも必ず入れているが、一般にはなじみが薄い生薬が当帰の葉だ。当帰とは古来その根を漢方に使ってきたセリ科の植物。葉にはアンチエイジングによいと言われるビタミンEや肌にいいビタミンCが含まれる。『香食楽』では、柔らかく育てた国産の葉をパウダーにしたものをカレーに使っている。その葉がどれほど味に影響があるかというと、やっぱりあまりわからないのが正直なところ。井村さんが長年研究した成果なのだろう。
カレーに合わせるご飯は基本が白米だが、有料で薬飯という雑穀入りが選べる。雑穀が入ったご飯はよく見かけるようになったが、『香食楽』の薬飯はなつめとジャスミンの花びらが入っているところが珍しい。
薬膳では食材には体を温めたり冷やしたりする性質があるという考えがある。一般的な雑穀米に入っているきびや押し麦、ゴマなどは、体を温めることも、冷やすこともしない平性。一方でなつめやジャスミンは体を温める温性だと考えられている。つまりカレールーだけでなく、ご飯でも身体を温めたいと考えて誕生したのが薬飯なのだ。ほんのり甘い部分や食感にも変化があって楽しい。
カレーもご飯も、身体への作用を考えて材料を選んでいる。しかし井村さんは「軽く試して、食べたあと、調子がよくなったかもしれないと感じてもらいたい」というスタンスを貫いている。
健康や美容への関心がずいぶんと高まったことで、今ではオープン当時では考えられないほど幅広い年齢層が店を訪れるという。カレーがメインのため、ランチ、ディナーともに一人で入りやすいのもうれしい。心も体も元気になりたいと感じる日に試したいカレーだ。
取材・撮影・文=野崎さおり