「鉄文(てつぶん)」プロジェクト事務局
上野山(西日本支社)、豊田(販売部)、中村(Web「さんたつby散歩の達人」編集部)、吉野(『ジパング倶楽部』編集部)、渡邉(時刻表編集部)
◆プロローグ◆ “鉄道小説”と聞いて一番に思い浮かべるのは?
中村 : どこからどこまでが“鉄道小説”なのかって難しいですよね。
渡邉 : “鉄道小説”と聞いてぱっと思い浮かべるのはどんな作品ですか? 私は王道だと松本清張『点と線』、浅田次郎『地下鉄に乗って』、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』などです。
上野山 : 王道というと、ミステリー系かなと思います。西村京太郎シリーズとか、アガサ・クリスティ『オリエント急行殺人事件(オリエント急行の殺人)』とか。
中村 : 私もほぼ同じです。このプロジェクトを始める前は、完全に「鉄道小説=鉄道ミステリー」という感覚だったんだな、と今思いました(笑)。
吉野 : 私はもともとミステリーやホラーが好きなのですが、鉄道が舞台というとやはりミステリーが思い浮かびますね。
豊田 : 浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』 などもすぐ思い浮かびます。最近の本だと、柴田よしきさんの鉄道旅ミステリシリーズなどもですが、やはりミステリーものが多いイメージです。
吉野 : なぜ鉄道はミステリーと相性がいいのか? についてはおいおい考えてみたいですね。
上野山 : 鉄道は日常に溶け込んだインフラで、鉄道好きの人でなければ取り立てて意識しないものかなと思います。時刻表や鉄道雑誌などを出版する会社にいる私たちは、日頃からかなり濃い“鉄分”に浸っていますが……。
渡邉 : この「鉄文」プロジェクトは、「鉄道×文芸」という切り口で、身近な鉄道を新しい視点で捉えるきっかけをつくることができたら、と考えたのが始まりなんですよね。
中村 : 今回はその一環として、王道の“鉄道小説”ではなく、鉄道を気にせずに読んできた名著の中にも実は鉄道が描かれているんじゃないか? という視点で読み直してみます。
夏目漱石『こころ』に鉄道を読む
新橋~横浜間に日本で最初の鉄道が開業したのは明治5年(1872)。明治維新後の文明開化の世にあって、近代化の波は文学にも押し寄せました。明治時代後期を代表する文豪・夏目漱石(1867-1916)『こころ』の中に、鉄道を読んでみます。
渡邉 : 『こころ』は事務局メンバー全員が読んだことのある小説ですが、みなさん何をきっかけに読みましたか。
中村 : 高校の教科書に載ってました。
豊田 : 載ってましたね。
上野山 : 教科書に載ってたんですね! 私は小学校の卒業式で担任の先生が、「みんなにはまだ早いと思うけど、先生が好きな本なんだよ」って、1人1冊、文庫本をくれたんです。
全員 : へえー!
渡邉 : いい先生ですね。
上野山 : 思い出の本です。たしかに小学生には早すぎたんですけど(笑)。新潮文庫で、奥付を見ると昭和63年(1988)で107刷でした。
吉野 : 107刷! すごいですね。私は高校生だった気がするんですけど、記憶がおぼろげで。テストか何かで「K」の話の一部が切り取られているのを読んで、それから全部読んだような気がします。
渡邉 : 私は高校の授業の読書課題で読んだのですが、課題を出した現文の先生がなぜか「殉死」について特に熱心に解説していて。「明治時代の終わりの小説」という印象は強烈に残っていたのですが、「先生と私」の章の存在をほぼ忘れていました……。
中村 : 現実にもいろんな先生がいますね(笑)。でもたしかに、“先生とK”の枠の外側は忘れがちですよね。
豊田 : 「私」の存在ですよね。
『こころ』の登場人物たちと当時の鉄道
中村 : 高校の教科書、全文載ってましたっけ? 遺書を読むのが列車の中だったということを覚えていなくて。
豊田 : いや、教科書は“先生とK”の部分だけでした。僕は学生時代に卒論の資料用として『こころ』を熟読したんですけど、なかでも「私」が病床の父親をよそに先生の遺書を持って列車に乗り込む場面を特にじっくり読んでいて。でもすごく重要なシーンというわけではないので、全文を読んだ人でもあまり印象に残っていないと思います。
上野山 : 列車に乗り込んだけど、その後「私」がどうなったのかは書かれていませんね。
渡邉 : あらためて「先生と私」の章から読み返したら、「先生」が横浜から汽船で外国に行く友人を送る場面で「横浜から船に乗る人が、朝八時半の汽車で新橋を立つのはその頃の習慣であった」という描写があって、おっ! てなりました。
吉野 : あ、新橋~横浜間ってことですか?
渡邉 : そうですね、鉄道がどんどんできていった時代ですが、大正3年(1914)に東京駅が開業するまで東海道本線の起点は新橋だったんですよね。
上野山 : 夏目漱石だと、『坊っちゃん』『三四郎』などにも鉄道が出てきますね。
吉野 : 伊予鉄道に「坊っちゃん列車」ってありますしね。川端康成の『伊豆の踊子』の特急「踊り子」とか、文学作品から列車の愛称がつくってよく考えたらすごいですね。
芥川龍之介『蜜柑』に描かれた鉄道
全国各地での新規敷設とともに、都市部や主要路線では電化も進み、鉄道網が広がり続けた大正期。汽車時代の都市近郊路線の様子を描いた芥川龍之介(1892-1927)の『蜜柑』を読んでみます。
中村 : 大正時代の文学で鉄道というと、芥川龍之介『蜜柑』ですね。「或(ある)曇った冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待っていた」から始まります。
吉野 : 横須賀線の大船~横須賀間開業は明治22年(1889)ですね。
豊田 : そういえば夏目漱石の『こころ』で「先生」と「私」が出会うのは鎌倉で、僕が持っている2017年発行・193刷の新潮文庫版の注解には「当時は横須賀線の開通、鎌倉駅の開設などにより、東京に近い新しい避暑地として人気を集めていた」とありますね。鉄道がなかったらこの出会いもなかったということか。
中村 : 大船~横須賀間が電化されたのは大正14年(1925)ですが、『蜜柑』が発表されたのは大正8年(1919)。「私」が乗っているのは汽車で、車内やトンネルの様子がよくわかります。
渡邉 : これはまさしく“鉄道小説”ですよね。
一等、二等、三等…… 等級があった時代の鉄道
上野山 : 『こころ』の「私」は三等列車に乗りましたが、『蜜柑』の「私」は二等なんですね。
中村 : 等級を強調してますよね。『蜜柑』では「三等の赤切符」を持った子が「私」のいる二等客車に乗ってきて「その二等と三等との区別さえも弁(わきま)えない愚鈍な心」に腹を立てたところから、「不可解な、下等な、退屈な人生」に思いをめぐらせます。
上野山 : 「下等」。車両に等級があった時代ならではの効き方ですね……。
中村 : 芥川龍之介は1922年(大正11年)の『トロッコ』でも鉄道を書いていますね。これは、熱海~小田原間の軽便鉄道が建設されている頃を描いた物語です。
渡邉 : この熱海軽便鉄道の機関車が熱海駅前に展示されていて、その説明板によると、熱海~小田原間は軽便鉄道で2時間40分かかったようです。
吉野 : 明治~大正期は鉄道敷設に関する法律が整備される中で、一般の鉄道よりも規格が簡易で費用が安価な軽便鉄道がさかんに造られた時代ですね。「坊っちゃん列車 」が走っている伊予鉄道も、もともとは軽便鉄道でした。
渡邉 : 軽便鉄道といえば、真っ先に宮沢賢治が思い浮かびます。
昭和編につづく……
出典一覧
夏目漱石『こころ』(新潮文庫、2004年改版)
芥川竜之介「蜜柑」 『蜜柑・尾生の信 他十八篇』(岩波文庫、2017年)
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