吉永陽一(達人)の記事一覧

吉永陽一
達人
吉永陽一
写真家・フォトグラファー
鉄道の空撮「空鉄(そらてつ)」を日々発表しているが、実は学生時代から廃墟や廃線跡などの「廃もの」を愛し、廃墟が最大級の人生の癒やしである。廃鉱の大判写真を寝床の傍らに飾り、廃墟で寝起きする疑似体験を20数年間行なっている。部屋に荷物が多すぎ、だんだんと部屋が廃墟になりつつあり、居心地が良い。
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奥多摩に眠る都内随一の廃線跡を道路から愛でる。小河内線跡その1
東京都奥多摩には、遺構がしっかりと残存する廃線があります。その名は小河内線。奥多摩湖となる小河内ダム建設のために敷設された貨物線で、青梅線の終点氷川(現・奥多摩)駅からダム建設現場の水根まで6.7kmの路線でした。小河内線は途中に交換設備のない単線非電化で、東京都が運行する専用線でした。都が国鉄からC11形蒸気機関車と乗務員を借り受けて運行し、専用貨車も製造され、ダム建設資材のセメント輸送に活躍したのです。
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2021年10月の高輪築堤を、上空から観察してみよう~高輪築堤見学会レポ総まとめ~
高輪築堤見学会レポの連載、3回に渡って紹介しました。今号は締め括りとして先月(2021年10月)に空撮した模様を紹介します。前回までの地上編と今回の空撮編と、二つの視点から高輪築堤の現在の様子をご覧ください。なお見学会レポはこちらになります。
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9月の高輪築堤見学会レポート3部作~後編。出土遺物の目玉は双頭レールと枕木
高輪築堤見学会レポは今回でラストです。最後は出土遺物を紹介します。出土品は鉄道遺物よりも生活品などが多かったのですが、この度の高輪ゲートウェイ駅前の記録保存作業では、大変興味深いものが出土されました。どんなものが出土されたのか見てみましょう。
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高輪築堤を地上から見てみた!移築保存される信号機跡と石垣構造。9月の見学会レポート3部作~中編
高輪築堤見学会レポ2回目は、信号機跡と築堤構造細見です。では、高輪ゲートウェイ駅目の前で発掘された、信号機跡の土台を含む築堤部分を見ましょう。信号機跡はニュースにもなったので記憶ある方も多いかと思います。信号機跡部分の長さ30mは、第一京浜沿いに移築保存されることになりました。信号機跡はまだナンバリングだけで発掘状態のままです。築堤から少し迫り出した、城の見張り台のような感じになっています。
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高輪築堤を地上から見てみた。9月の見学会レポート3部作~前編
今月14日は鉄道の日です。1872(明治5)年に日本初の鉄道が開通してから149年目となり、来年は150周年となります。前回「廃もの」横浜空撮編では「次回も空撮で」と紹介しましたが、ちょうど「高輪築堤」の見学会に参加する機会がありましたので、その模様を先にお伝えします。今回は前置きが長いです(笑)高輪築堤とは、この数年で注目されている鉄道遺構です。2021年は日本初の鉄道が新橋〜横浜間を結んで開通するとき、品川付近は陸ではなく海上に築堤を築きました。その海上築堤の遺構のことを指します。田町〜品川間の旧車両基地と山手線・京浜東北線の線路跡地再開発中、線路跡地を掘ったら海上築堤と石垣がほぼ完璧な姿で現れたニュースは、人々の注目を浴びることになりました。2019年に最初の確認がされてから、もう2年前近くになります。
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【後編】空撮で見る、横浜の臨港線廃線跡と海上築堤。
前回は横浜港の臨港線を紹介しました。今回は桜木町駅と横浜駅までの廃線跡を上空から紹介します。空撮日は2021年7月12日と9月7日です。
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【前編】空撮で見る、横浜博覧会後の臨港線廃線跡
遠い記憶の彼方の話になります。横浜港で開催された「YES’89・横浜博覧会」に、家族で訪れたことがあります。おぼろげなのですが、仮設の駅からディーゼルのレトロ車両に乗って、鉄橋や高架橋を走っていきました。その鉄道は横浜博覧会用の輸送列車で、1986年に廃止となって間もない横浜港の臨港線を使用したものでした。走っていた車両は三陸鉄道へ譲渡され、ミャンマーへ渡ったのち、いまはどうなっているか存じません。横浜博覧会後の臨港線廃線跡は1997年に「汽車道」として整備され、現在は手軽に散策できます。今年4月にはヨコハマエアキャビンというロープウェイも開業し、ゴンドラからドローンと同じような高さで汽車道を観察することができます。
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【後編】日本初の溶接鉄道橋が残存する横浜港米軍専用線跡
前編に続き、横浜港米軍専用線跡を見ていきます。今回は瑞穂橋をメインにレポいたします。低木の茂る線路を横に見つつ、瑞穂橋はすぐ現れました。
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【前編】日本初の溶接鉄道橋が残存する横浜港米軍専用線跡
人々がにぎわう横浜みなとみらい地区。そこから横浜港を挟んだ瑞穂埠頭には在日米軍基地があり、基地へは在日米軍専用線の線路が残っています。2回に分けてこの在日米軍専用線を追います。瑞穂埠頭の大部分は在日米軍基地「横浜ノース・ドック」となっており、東海道本線支線の高島貨物線から分岐し、基地へと伸びる在日米軍専用線があります。在日米軍専用線は国鉄が編纂した専用線一覧表によると、東高島貨物駅が接続駅、距離は5.0kmとなっています。もともとは米軍専用線ではなく、戦前の瑞穂埠頭は貿易港で、線路は輸出入品を輸送する貨物線でした。戦後に米軍が接収し、長らく基地間輸送に使用していたのです。
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十字状滑走路跡の先の田んぼに残された2基の掩体壕。旧海軍香取航空基地 その2
前回は香取航空基地の保存飛行機と滑走路の雰囲気を見ました。今回はより廃ものらしく、残存する掩体壕(えんたいごう)を見学します。香取航空基地は戦争末期に100基以上の掩体壕がありましたが、現在は3基の掩体壕が残るのみです。そのうち1基は個人宅の敷地内にあるため、見学は差し控えました。掩体壕は第2回調布飛行場掩体壕でも紹介しました。掩体壕とは主に航空機を攻撃から守る防空壕みたいなもので、カマボコ状のタイプや土塁をU字状にしたものなど、いくつか種類がありました。2基の掩体壕は、ブレーキテスト場滑走路跡の北西端の延長線上にあります。前方の畦道を見やると、カマボコ状の物体が二つ、田んぼの中から生えているように見えます。
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