遠い記憶の彼方の話になります。横浜港で開催された「YES’89・横浜博覧会」に、家族で訪れたことがあります。おぼろげなのですが、仮設の駅からディーゼルのレトロ車両に乗って、鉄橋や高架橋を走っていきました。その鉄道は横浜博覧会用の輸送列車で、1986年に廃止となって間もない横浜港の臨港線を使用したものでした。走っていた車両は三陸鉄道へ譲渡され、ミャンマーへ渡ったのち、いまはどうなっているか存じません。横浜博覧会後の臨港線廃線跡は1997年に「汽車道」として整備され、現在は手軽に散策できます。今年4月にはヨコハマエアキャビンというロープウェイも開業し、ゴンドラからドローンと同じような高さで汽車道を観察することができます。

初代横浜駅の場所と開業時にあった海上築堤の場所

手前が桜木町駅。大岡川が流れる。高架は根岸線だ。奥は関内駅方向。

桜木町駅は1915年(大正4)に改称された駅です。それ以前は1872年(明治4)10月14日に本開業した横浜駅であり、日本初の鉄道の駅のひとつでした。日本の鉄道の出発点ですね。もう一カ所は新橋駅であり、あるいは本開業前に暫定開業した品川駅であり、とにかく横浜、品川、新橋駅は「日本初の駅」の称号が与えられています。

初代横浜駅舎は、アメリカ人設計士リチャードブリジェンスが手がけ、石造りの2階建てが中心部の平屋を挟む左右対称の駅舎でした。やがて日本初の鉄道は西へ進んで東海道本線の名称となり、初代横浜駅は途中駅となりました。

とはいえ駅構造が頭端式(とうたんしき。行き止まりのこと)で、線路が途切れた先から線路を敷設せず、地理的要因などによって、スイッチバックする線路を新設して西進しました。そして主に貨物列車のため、ショートカットの短絡線ができて三角線(デルタ線)が誕生。その三角線が南側で交じる付近に線路を追加して二代目横浜駅をつくり、初代は桜木町駅となったのです。

ところが関東大震災によって二代目駅舎は倒壊し、短絡線のところに三代目横浜駅を開業させます。それが現在の横浜駅です。二代目駅舎のあった場所は、ほとんど跡形もありません。

桜木町駅を南から見る。明治の迅速測図と照らし合わせ初代横浜駅舎は白い屋根のホーム手前あたりにあったと推測する。高層ビル直下の橋が初代横浜駅の時代から同じ場所に架かる弁天橋(もちろん何度か架け替えられているが)。

ということで、桜木町駅です。初代横浜駅舎はどこにあったのか、開業当時の錦絵と明治初期の迅速測図(地形図)、現在の地形図と衛星写真を照らし合わせ、大岡川に架かる弁天橋のちょっと北西付近だろうと推測して空撮しました。だいたいあっているはず。

もう一カ所、日本初の鉄道の線路があった場所を見ます。現在の横浜駅周辺は、明治のはじめにはまだ入江でした。埋め立てて現在の地形となったのです。入江だったため、初代横浜駅から幅の広い海上築堤を築いて線路を通したのです。その海上築堤は家も建つほど幅が広く、線路は左側、家と道は右側にありました。

この築堤造成を請け負ったのが、幕末期の商人から明治初期に実業家となった高島嘉右衛門で、築堤上の町はその名を取って高島町となり、現在の町名となっています。

桜木町駅方向から横浜駅を見る。どこに海上築堤があったのか分かりにくい。首都高速道路左側の白いビル付近にあったと思う。二代目横浜駅は写真中心より左の大きな交差点付近にあった。旧東横線の高島町駅跡も見える。なお写真手前に高島貨物線の地下トンネルがある。

では海上築堤の現在はどうなっているかというと、高島二丁目付近の首都高速道路の左側あたりと推測できます。入江が埋立てられていくと、境界がはっきりしません。京浜東北線の線路はトレースしているわけではなく、若干外側にあるようなのです。品川〜田町間で発見された「高輪築堤」のように、掘削すれば何か発掘されるのでしょうか。

迅速測図を見ながら写真中心の縦の道路のラインが海上築堤のあったラインと似ている。横を流れるのは帷子(かたびら)川。海上築堤は舟が通れるよう水路が切られていてその位置が帷子川と合わさる。

東急東横線の高架跡はまだ残っている

桜木町駅へ戻ります。東急東横線の廃線跡を見てみましょう。東横線は2004年に横浜〜元町中華街間が地下鉄みなとみらい線と直結し、代わりに桜木町駅までの高架橋が廃止となりました。

遊歩道部分の旧東横線高架橋。左手の橋を渡ったところで遊歩道は終点。

その跡は、桜木町駅から140mほどが遊歩道化された他は、まだ再利用方法が検討されている段階で、整備が進んでいません。高架橋は京浜東北線と国道16号線に挟まれた複線分と狭く、高架下は歩道となっています。周囲の交通の妨げずに整備するのは簡単な話ではなく、横浜市としては歩行者専用道にする予定ではあるが、予算など一筋縄ではいかないそうです。

国道16号線の歩道橋が高架橋の下にある。遊歩道になるのかどうなのかまだ分からない。

そのためか、途中駅であった高島町の島式ホームは点字ブロックもそのままの状態で、佇んでいます。都市部に残された高架駅のプラットフォームは廃駅から17年も経過し、上空から見てもコンディションは良くなさそうです。

旧高島町駅を北側から見る。
西側から見る。点字ブロックや白線も見え乗降階段も残る。
南から見る。右側が京浜東北線の線路。
旧高島町駅は現役時代よりホーム端が撤去されているがギリギリ8両編成が停車できた。

先に進むと、東海道本線を跨いでいた橋梁部分にあたります。跨いだ真上は既に撤去済みですが、南側の帷子川を渡る前後の橋梁部は残されたままです。終端部分は東海道本線のホーム端からでも望めますね。

京浜東北線の脇にある東横線廃線跡。帷子川を渡る。
東横線は東海道本線を渡って相鉄ジョイナスショッピングビルと横須賀線の間に相対式高架ホームの横浜駅があった。いまは面影もない。
帷子川を渡る付近を真上気味に俯瞰する。川が離合したり京急が下を潜ったりと横浜駅南側はゴチャっとしている。
帷子川の橋梁部分。この高架橋が遊歩道へと活用されることを願うばかり。

東横線の痕跡は渋谷駅周辺のようにすぐ遊歩道化とはならず、先行きはなかなか難しそうですが、うまく活用されたらなと感じています。

少々趣向を凝らし、二回に渡って全編空撮で廃なるものを追う内容でしたが、次回も懲りずに空撮であるところを紹介しようと考えています。またお楽しみに!

取材・文・撮影=吉永陽一