昭和28年創業の老舗の名物「ポテチパン」

「ほら、いまできたから食べてみて。これが一番おいしいから」

まだ包装する前のできたてを手のひらにひとつのせてもらい、かぶりついた。十数年の時を超え、うまさの記憶が一瞬でよみがえる。噛むたびにしゃりりと砕ける食感が心地よい食材、それはポテチ。まるでお口できらめく星屑や~と叫びそうになるところ、刻んだキャベツやニンジン、あおのりの香り、マヨネーズの甘み酸味と油分が絡まり合い、バランスの良さにぐうの音も出なくなって、ひたすらニンマリ笑みだけを浮かべることになる。なにより、すべての具材を包み込むパンがしみじみとうまい。これが横須賀名物、「ポテチパン」である。

ポテチパン205円。
ポテチパン205円。

私にすすめてくれたのは、『中井パン店』の店主・中井克行さん。昭和28年(1953)創業の老舗である。ガラスのショーケースに、アルミのバットに入れられたパンが並ぶ風景は、懐かしさにじーんとしてしまう。私の郷里にもこうした構えのパン屋さんはあったが、今はほとんど残っていない。

じつは私、15年ほど前、まだ腰痛も老眼もなくフレッシュさに溢(あふ)れていたころ、『散歩の達人』本誌の取材でこちらを訪れていたのだ。中井さんのトレードマークのバンダナとやさしい笑顔はそのときと変わっていなかった。

『中井パン店』店主の中井克行さん。
『中井パン店』店主の中井克行さん。

地元の愛されフード、誕生の経緯とは?

店は、横須賀・京急本線県立大学駅から歩いて10分弱、国道16号沿いにある。少し歩けば、海(新安浦港)。私が訪れた日も、次から次へひっきりなしに地元横須賀の人々が買いに訪れ、スタッフの女性たちも休む間もなくショーケースからパンを出していた。いずれもよく出ていたのだが、目立つのが2種類あった。

1つ目はこの「ポテチパン」。よく見ると、ひとつひとつの形がすべて少しずつ違う。

「手で作っているからね。機械で(生地の成形を)やったほうが楽だろうけどね」

中井さんは微笑む。生地を一個ごとに手でのばしているから、焼き上がったとき、フチが少し出ていたり、逆に引っ込んでいたりと、かじりついたときに食感の違いが出るのが面白い。実はこのパン、中井さんの店が発祥の地となっているが、横須賀では他のいくつかの老舗パン屋さんでも同じメニューがあり、愛されている。いわば「昭和・横須賀のソウルフード」なのだ。そもそもなぜスナック菓子をはさむユニークなパンが生まれたのだろう?

「うちの店の近くにお菓子問屋があってね。そこに大量のポテトチップスがあったんだよね。あれは僕が18歳か19歳のころだったな」

若き日の中井さん。
若き日の中井さん。

中井さんは昭和23年(1948)生まれとのことだから、昭和40年代初頭のことになる。——近所のお菓子問屋に、一斗缶に詰まった大量のポテチが保管されていた。ジャガイモの薄揚げなわけだから、当時の製造過程では、欠けたり割れたりがよく発生し、味は申し分ないのに市販できないものがずいぶんできてしまったそうだ。

卸す先もなく問屋が困っているという話を聞きつけ、これに味付けして試しにパンに挟んで店頭においてみた。すると、非常によく売れだした。中井さんはパン組合の寄り合いで、組合員たちにその話を教えると、いつの間にか横須賀のいろいろなパン屋さんが同じようなパンを置くことになったそうだ。

時代は進んでも作り続けられる

災い転じて福となしたわけだが、やがて時代は進み、ポテチ工場でもエラーが起きにくくなり、だんだん一斗缶入り壊れポテチが入手できなくなった。それでもなお、専用のポテチを仕入れてポテチパンを作り続け、今に至っている。長年愛され続ける完成された一品だからなのは言うまでもない。ときどきテレビなどメディアにも取り上げられ、

「この前は1000個作っても足りなくなったよ」

と、中井さん。手伝いのベテラン女性スタッフさんたちにも話を聞くと、

「横須賀だとほかにも(ポテチパンを)置いてるところあるけど、私はやっぱりここのが一番好き。実はね、家でも真似して作ってみたこともあるんだけど、かなわない! プロ用のね、マヨネーズからして違うのよね」

さて、もうひとつ、横須賀のソウルフード・パンがある。こちらは「ソフトフランス」という。まあるい、ごくシンプルなパンで、読んで字のごとく、ふんわりやわらかな食感。2つほど連続で食べてもまったく飽きが来ず、私は多めに買っていって、レンジで数秒チンしてから食べている。こうするとやわらかさと香りが復活して、あとをひくのである。ちなみに、『中井パン店』のパンは保存料が入っていないので、買ったら早めに食べきるべし。

さてこの「ソフトフランス」も、横須賀では、古くから営業するあちこちのパン屋さんに並んでいる。それはなぜか? 「ソフトフランス」のルーツについては後編で追っていく。

取材・文・撮影=フリート横田