光源氏と頭中将が並び立った「青海波」

ちなみに頭中将は、容姿も地位も振る舞いも申し分なく、素晴らしく人気はある男性……なのだが、光源氏と比べると劣ってしまう、と『源氏物語』では綴られている。

光源氏と頭中将が並び立つ場面においては、こんなふうに描写されている。

 

〈意訳〉

光源氏は、「青海波」を舞った。

さらにもうひとり舞ったのは、頭中将だった。

彼は容姿も振る舞いも、素敵な男性だった。しかし――光源氏と並んでしまうと、美しい桜と並んだ、普通の樹のようなものだった。

〈原文〉

源氏中将は、青海波をぞ舞ひたまひける。 片手には 大殿の頭中将。容貌、用意、人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木なり。

(「紅葉賀」『新編 日本古典文学全集20・源氏物語(1)』より原文引用、訳は筆者意訳)

 

ああ、不憫な頭中将……。そう、頭中将はわりと全編通してちょっと不憫な扱いを受けている。

なんせ、このときの「青海波」という舞なんて、光源氏にとっては、実は最愛の人・藤壺様に見てもらうための出し物だったのである。美しい舞を見せて、藤壺様に褒めてもらって、わ~いと喜ぶ青年・光源氏。その横で、引き立て役となる、頭中将。

彼だってじゅうぶん立派な美男子なのに、光源氏の横に並び立ってしまっては少しばかり分が悪い。不憫である。

青年時代のふたりによる、おばあちゃんをめぐる攻防

しかし光源氏と頭中将は仲が良かった。恋愛トークを一緒にしたり、ときには同じ女性を奪い合ったりした。「青海波」の舞と同じ段落「紅葉賀」においては、実はあるおばあちゃんをめぐる攻防も描かれているのだ。

なんと御年58くらい。彼女は源典侍(げん の ないしのすけ)、桐壺帝の宮中の女官だった。

ひょんなことから光源氏は彼女と和歌をやりとりするようになった。すると、光源氏に対抗したくなったのか、頭中将まで彼女と和歌をやりとりするに至るのだった。

19歳の青年ふたりが、58歳の女官と恋愛歌をやりとりする展開! ……千年以上前の日本、現代よりよほど自由な発想で物語を紡いでいるのではないか、と思うが、続きを読んでいこう。

ある夜、光源氏が、源典侍の邸宅に泊まっていた。

なんとそこに、男性が乗り込んできた。

「誰かいる!」と彼は怒って太刀を抜いた。「えっ」と光源氏は驚いた。その瞬間——刀を抜いた男性は、頭中将であることが発覚する。

 

〈意訳〉

「なんだ、太刀を振るったのは、きみかよ!」

そう分かると、おかしくてしょうがなかった。

光源氏は頭中将の腕をつかんで、強くつねった。

頭中将はこらえきれず「バレたか」と笑った。

「バカか、お遊びにしてもやりすぎだろ。ほら、俺は直衣を着るから」と光源氏は呟いた。

しかし頭中将はにやりと笑った。彼は光源氏の腕を離さず、衣を着させない。

お前なあ、そんなことするんだったら……。と、光源氏は「じゃあ君も脱げよ」と中将の帯を解いて脱がせようとした。

お互い装束を脱がせまいとして、引っ張り合った。

すると衣服は、ほころびのところから、なんと破れてしまった。

頭中将は、

「ほころんだ衣から、隠していた浮名が漏れ出てしまうんじゃない?

(つつむめる名や漏り出でむ引きかはしかくほころぶる中の衣に)」

と詠みつつ、「破れた服を着て外に出たら、目立つでしょうねえ」とにやにやしていた。

対して光源氏は、

「夏の衣は薄いから、そもそも何も隠せないよ。きみの浮名も隠せないだろうね

(隠れなきものと知る知る夏衣着たるを薄き心とぞ見る)」

と詠み交わした。

結局、おそろいの気楽な格好になって、ふたりで帰路についた。

〈原文〉

その人なめりと見たまふに、いとをかしければ、太刀抜きたる腕をとらへていといた拙みたまへれば、ねたきものから、えたへで笑ひぬ。

「まことは、うつし心かとよ。戯れにくしや。いでこの直衣着む」とのたまへど、つととらへて、さらに許しきこえず。「さらばもろともにこそ」とて、中将の帯をひき解きて脱がせたまへば、脱がじとすまふを、とかくひきしろふほどに、ほころびはほろほろと絶えぬ。

中将、「つつむめる名や漏り出でむ引きかはしかくほころぶる中の衣に 上に取り着ば、しるからむ」と言ふ。君、

かくれなきものと知る知る夏衣きたるをうすき心とぞ見る

と言ひかはして、うらやみなきしどけな姿に引きなされて、みな出でたまひぬ。

(「紅葉賀」)

 

源典侍というキャラクターのインパクトも忘れるほどの、衝撃の大きい場面……。

平安時代からBL的感性って存在していたのでは? 紫式部、ぜったいそういう感性を狙って書いていたでしょう?と紫式部の肩を揺さぶりたいところである。

何がすごいって、「うらやみなきしどけな姿(おそろいの気楽な格好)」で帰った、というところである。あえて現代的な言い方をするなら、どうやらズボンやベルトも置いてきたらしい。気楽すぎるだろう。

ふたりは生涯重要な関係性だった

こんなふうに光源氏と頭中将の若いころは、仲の良い場面が描かれるのだが、ふたりは成長していくにつれ、多少競争する政治的な立場にもなる。だが結局、玉鬘の父親代わりにふたりでなるなど、生涯重要な関係性であることに代わりはなかった。

大河ドラマ『光る君へ』でも描かれている通り、平安時代の貴族男性において、完璧に利害関係のない友情というものはあまり存在しないのかもしれない。しかしそれでも、友情が存在しつつ、政治的利害が存在しつつ、なんだかんだ仲良くやっていたのではないか、と『源氏物語』を読むと思う。女性同士の関係や男女の恋愛だけでなく、男性同士の関係も描かれているところが『源氏物語』の面白さであるのだ。

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※『光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館』に行ってきました! 作中で使用された衣装も見られて感無量でした!!
(2025年1月31日まで開催予定)

文=三宅香帆 写真=三宅香帆、PIXTA
出典=阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男訳注『新編 日本古典文学全集20・源氏物語(1)』小学館、1994年
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大河ドラマ『光る君へ』第四話では、「五節の舞」が大きな物語の転換点となっていた。主人公まひろが、三郎の正体――藤原家の三男であり、さらに自分の母を殺した犯人の弟であることを知ってしまうのだ。
大河ドラマ『光る君へ』で、その存在感で視聴者にとって大きな印象を残しているのが、毎熊克哉さん演じる謎の男・直秀である。史実には残っていない、散楽一座のひとりである彼は、藤原家に盗賊に入るなど、謎の多い男になっている。それでいて主人公まひろのサポートをしてくれる彼は、『光る君へ』の物語に欠かせない存在となりつつある。そんな彼が、第八話「招かれざる者」で語ったのが、「都の外でも暮らしたことがある」経験。いまは京で散楽を演じている彼は、「丹後や播磨、筑紫」で暮らしていた、というのだ。まひろは自分が見たことのない海を、彼が見たことがあると聞いて、自分も見てみたい、と語る。
大河ドラマ『光る君へ』において、藤原定子の入内の場面が描かれた(第13回「進むべき道」)。藤原道隆の長女である定子は、一条天皇に入内。当時、数え年で定子は14歳、一条天皇は11歳だった。いとこ同士だったふたりは、漢詩の教養などを通じて仲の良い夫婦になったという。平安時代において「女性のほうが3歳年上の夫婦」というのはなんだか先進的に感じられるかもしれない。しかし実は平安時代、男女の年の差は現代ほど問題にならなかった。というのも『源氏物語』においても、年の差の恋愛はしばしば描かれるからである。今回は中宮定子と一条天皇にちなんで、『源氏物語』における年の差恋愛について見てみよう。