悲劇が進行中でも祖先からの味を忘れない
「パレスチナ」と聞いて、日本人はなにを想像するだろうか。戦乱、テロ、難民……そんな言葉ばかりが思い浮かぶかもしれない。実際、地中海東岸に広がるこの地域にイスラエルが建国された1948年以降、ずっと紛争が続いている。たくさんのパレスチナ人が故郷を追われ、難民として周辺諸国や世界各国に流出してきた。現在も進行中の悲劇だ。
それでもパレスチナ人たちは、祖先から受け継いだ食文化を大切に守ってきた。
「とくにマクルベは家庭でよく出る料理ですよね」
神田の多町大通りに店を構える『アルミーナ』のオーナーシェフ、シャディ・バシィさん(44)が教えてくれた。マクルベはナスやニンジン、カリフラワーを混ぜ込んだピラフの一種で、上にはローストチキンが乗っている。シナモンやカルダモンといったスパイスが香る。そのまま食べてもいいし、添えられたヨーグルトとオリーブの冷製ソースをかけてもいい。取材時、ちょうどお店に来ていたシャディさんの9歳になる息子くんも大好きだそうで、子供から大人まで親しまれている。
もうひとつ、マンサフもパレスチナを代表する料理なんだとか。こっちは大ぶりなマトンが、どかんとご飯に乗っている。
「スパイスとマトンを5〜6時間ほど煮込むんです。結婚式などお祝いの席でよく出されますね」
やはり付け合わせはヨーグルトだが、マトンを煮たときの出汁が混ぜてあるそうだ。とはいえ臭みはなく、肉につけて食べるといける。
こうしたメイン料理に加えて必ずオーダーしたいのがフムスだ。中東地域で広く愛されているひよこ豆のペーストで、パンにつけて食べると抜群にうまい。マクルベやマンサフとも合う。家庭の数だけフムスはあるともいわれるが、『アルミーナ』の場合は前菜として出していて、この日はベースのひよこ豆のフムスのほか、いんげん豆や焼きナス、オリーブを使ったフムスの4種。食べ比べるのが面白い。
パセリたっぷりのタブーリサラダもシャディさんおすすめだ。細かく刻んだパセリに、トマトとタマネギ、小麦の一種であるブルグル、それにザクロペーストとレモンを合わせてある。パセリ独特の苦味はまったくなく、さわやかな風味なのだ。ブルグルのプチプチ、パセリのシャキシャキと、ふたつの食感がミックスされていて楽しい。
旧約聖書の時代から争いの舞台になってきた
実に芳醇なパレスチナ料理の世界だが、ヨルダンやシリア、レバノンあたりの食文化と共通している部分も多いのだとか。
「パレスチナの場合は、オリーブとオリーブオイルをたっぷり使うことが特徴ですね」
さすがはオリーブ原産地のひとつともいわれるパレスチナ。遠く旧約聖書にも実りの象徴として記されてきたオリーブだが『アルミーナ』はパレスチナから取り寄せたものだけを使っているそうだ。
「日本やヨーロッパのオリーブとはぜんぜん違うんです。少し苦味があって、それがいい風味を出してくれる。ミネラル分も豊富だしね」
そんなオリーブを育んだ大地はしかし、その豊かさゆえか、古代から争いが絶えたことはない。
紀元前10世紀頃から、ユダヤ人たちのイスラエル王国が栄えたとされる。だがおよそ2700年前に、アッシリア帝国によって滅ぼされて、ユダヤ人は世界各地に離散していった。その後さまざまな民族がこの地を支配してきたが、パレスチナ人が定住していった。
しかし19世紀、イギリスの後押しのもと、ユダヤ人の間で祖先の地に帰り国をつくろうという運動が広がる。そして1948年、強引な形でイスラエルが建国されると、今度はパレスチナ人が追い出され、離散の民となってしまった。
パレスチナも1988年に独立宣言をしたが、イギリスやアメリカはじめ日本も含む西側諸国はパレスチナを「国」と認めず、あくまで「自治区」とみなしている。その領土もユダヤ人入植者によってどんどん削られていく。イスラエルの空爆や、それに対するテロは絶えず、経済は疲弊するばかりだ。
日本に住むパレスチナ人は留学生など、わずか70人
「だから、チャンスがあれば海外に行きたいという人は多いんです」
イスラエル北部ハイファに生まれたパレスチナ人であるシャディさんも、そのひとりだ。子供の頃から料理が好きだったこともあってイタリアンのシェフになったが、イスラエル国内でパレスチナ人は差別されることも多い。
「同じスキルのユダヤ人とパレスチナ人が就職面接に来たら、たいていユダヤ人が優先して採用される」ような境遇だ。だからシャディさんはオランダへ活路を求め、シェフとして腕を振るい続けた。人生が大きく変わったのは2002年のこと。
「サッカーのワールドカップです」
日韓共催となったあの大会を観に、シャディさんは来日。そして日本を気に入り、難民ではなくビジネスマンとして、シェフとしてこの国で働き始めた。ホテルのゲストシェフや、アラブ料理の講師などを渡り歩き、開業資金を貯めて2010年に『アルミーナ』をオープン。なぜ神田なのかといえば、「たまたまビルのオーナーが知り合いだったから」で、このあたりにパレスチナ人が多いというわけではない。そもそも、「日本に住んでいるパレスチナ人は、70人くらいじゃないかな」と話す。なんともわずかな人数なのだ。留学生やIT関連の社会人が中心となっているという。そしてときおりこの店に来て、数少ない同胞と旧交を温める。
小さいコミュニティーかもしれないけれど、守ってきた故郷の味が、ここにはあるのだ。
『アルミーナ』店舗詳細
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2022年10月号より