ホワイトボードがあれば本物!

店内を見渡して、「本日のオススメ」が手書きされたホワイトボードがあれば、そこは「ガチ系」である。本場パキスタンでも、お客はグランドメニューを見るよりもまず、このホワイトボードを探す。そしてその日の仕入れや仕込み具合を見た自慢の品をオーダーするものなのだ。

これが黒板のこともあるが、つまり現地流に手書きメニューを掲げている店は、日本人よりもむしろパキスタン人のお客を意識しているといえる。出てくる料理も、日本人の味覚に寄せていない「ガチ」な味が期待できるというわけだ。

中古車ビジネスとレストラン、二足の草鞋(わらじ)を履く店主のマハムドさん。
中古車ビジネスとレストラン、二足の草鞋(わらじ)を履く店主のマハムドさん。
これがガチの証。
これがガチの証。

だから僕も『メヘマーン・サラエ』のホワイトボードを見て、どれにしようか悩んでいたら、「今日はビーフ・ビリヤニがおいしいよ。毎週木曜限定」と、店主のマハムド・カリドさん(39)が教えてくれた。ビリヤニはインド亜大陸で広く愛されている炊き込みごはんだ。ラッキーなことにちょうど木曜なので頼んでみれば、スパイスの香り高く、ぱらりしっとり炊かれた米に、よく味の染みたごろごろの牛肉。なるほどうまい。しかし調理はなかなかにたいへんで、「まず牛肉をショウガや塩、ニンニク、ターメリック、コリアンダー、クミン、チリパウダー、揚げた玉ねぎなんかと一緒に水で煮込む。それからトマト入れて、マサラパウダー入れて、80%くらいの柔らかさまで煮るの。それからもう一個の鍋に、水とシナモン、グリーンカルダモン、ブラックカルダモン、レモンとか入れてパキスタン産のバスマティライスを炊く。これも80%まで。それから大鍋に、米、肉、米、肉って重ねて入れて、弱火で炊き込んで、蒸らしてミックスして完成」と、けっこう手が込んでいる。なるほどおいしいわけだ。木曜日にはこのスペシャル・ビリヤニを求めてパキスタン人たちが押しかけるのだが、ここにも理由がある。

スパイスの香り濃厚な厨房。
スパイスの香り濃厚な厨房。
店内ではお手頃な調味料も買える。
店内ではお手頃な調味料も買える。

「木曜はね、オークションの日なんですよ」店からクルマで10分ほどの場所には、中古車の大規模なオークション会場がある。野田市に住むパキスタン人たちの大半は、ここで中古車を仕入れ、それを世界各地に輸出するというビジネスを手がけている。そして毎週木曜日のオークション開催日、朝から商いをした彼らは、この店に集まり、特製ビーフ・ビリヤニを食べて仕事の疲れを癒やすのだ。

在日パキスタン人の9割はクルマ関係のお仕事?

「日本の中古車を海外に輸出する」というビジネスに、日本人よりも早く着目したのはパキスタン人だったといわれる。1970年代のことだ。日本に技術を学びに来たあるパキスタン人が、帰国の際に一台、中古車を持ち帰ったところ、現地でずいぶん高く売れたのだという。これはいける……そう感じた彼は日本に舞い戻り、本格的にビジネスをはじめた。そして同業者が増えていく。

時代は高度経済成長期からバブルを迎えつつあった。日本は空前の好景気なんである。日本人はこぞって新車を買った。だから誰も見向きもしない中古車は、格安で仕入れられたのだ。それを、パキスタン人たちは故郷をはじめ世界各地に輸出していく。とりわけ途上国では、ハードな道でもしっかり走り、めったに故障しない日本車のタフさが好まれた。「メイド・イン・ジャパン」がブランドだったあの時代、たとえ中古であっても日本のクルマは海外で高く売れたのだ。

野田のパキスタンコミュニティを支える中古車オークション会場。
野田のパキスタンコミュニティを支える中古車オークション会場。

こうして中古車ビジネスを拡大させていったパキスタン人たちが最初に集住したのは、埼玉県の八潮である。やはりオークション会場があったからだ。やがて「ヤシオスタン」なんて呼ばれるようになるのだが、次第に彼らはさらに郊外に移り住んでいく。中古車をキープしておく広い倉庫(ヤード)を確保するには、土地の安いほうがいいからだ。

パキスタン人たちはヤシオスタンを出発点に、オークション会場があって広い土地を買いやすい場所に少しずつ分散していく。とりわけ大きなコミュニティーとなっていったのが、栃木県の小山市と、ここ千葉県の野田市だ。ちょうど店に「木曜ビリヤニ」を食べに来たパキスタン人は「日本に住んでるパキスタン人の9割がクルマ関係じゃないかな」と話す。

日本人もパキスタン人もくつろげる場所に

こんな経緯で10年ほど前からパキスタン人が増えたという野田には、モスクのほかハラル食材店や数軒のパキスタン料理レストランがあるが、この店は特に人気だ。
「今日はこれもおすすめ」
とマハムドさんが言うタワ・キーマは、わかりやすく表現すればマトンのドライカレーだろうか。ねっとりしたひき肉の歯応えとにじみ出る旨味がロティに合う。
それに鉄鍋で炒め煮にしたカレーの一種、チキン・カライもスパイスの刺激たっぷりでうまい。基本的に肉肉しいパキスタン料理だが、その合間に食べる豆の煮込みダル・マッシュは優しく落ち着く味わいだ。

インド亜大陸特有のガツンとくるほど甘いお菓子もある。
インド亜大陸特有のガツンとくるほど甘いお菓子もある。

「いまの季節はマンゴーもあるよ」
なんてあれこれ世話を焼いてくれるマハムドさんだが、もともとは2008年、有機農業研修生としてバラの栽培の技術を学ぶために日本に来たのだという。ところが、日本人女性と出会ったことで人生は大きく変わる。日本に定住するため工場で働きはじめ、それから独立し、やはり中古車ビジネスの世界に入った。そして2年ほど前にレストランにも事業を拡大させた。
「コロナが始まったばかりのときで、ずいぶん悩んだけど」
それでもオープンしてみれば、その味と、現地さながらの空気感で、野田のパキスタンコミュニティーには欠かせない存在となった。
「メヘマーン・サラエ(客人がくつろぐ場所)」
という名前のとおり、日本人もパキスタン人も、誰もがゆったり過ごせる店なのだ。

東武アーバンパークライン川間駅から徒歩20分と少々距離があるが、その価値あり。
東武アーバンパークライン川間駅から徒歩20分と少々距離があるが、その価値あり。

『メヘマーン・サラエ』店舗詳細

住所:千葉県野田市東金野井1070-2/営業時間:11:00~22:30/定休日:無/アクセス:東武アーバンパークライン川間駅から徒歩20分。

取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2022年9月号より