見覚えのある看板

20代後半になると、地元に帰って家業の手伝いをする頻度が増えた。ある年の夏に帰省したとき、父がふと「最近、観音寺にうまいラーメン屋ができたんや。連れて行ってやろうか」と言った。観音寺市は私の家から車で30分ほどの距離だ。そんなに離れた店のことを父が言ってくるのは珍しかった。気になったが、親子でわざわざ遠くへ食べに行くのは気恥ずかしく、そのときは適当に受け流した。

別の日、用事があって父の運転する車で外出していた帰り、父がまた「おい、せっかくやからついでにあのラーメン屋寄っていくか」と言ってきた。そんなに私をその店に連れて行きたいのか。何度も勧めてくるのに断るのも申し訳ないと思い、渋々同意した。車に乗っているうち、次第にお腹も空いてきて、素直にラーメンが楽しみになり始めた。

やがて車は観音寺市に入り、しばらく行くと数十メートル先に見覚えのある看板が目に入った。「バーミヤン」だ。いつの間に香川にもできていたのか。その瞬間、父の発言とバーミヤンの看板が私の脳内で不意につながった。うまいラーメン屋ってまさか……いや、さすがにそれはないだろう。うまいラーメン屋というのは大体もっと店構えがこぢんまりしていて、大将がでかい寸胴鍋で何かを煮込んでいるような店のことをいうはずだ。しかし車は看板が近づくに連れスピードを落とし、当たり前のように駐車場へと入っていった。父はさっさと車を降りスタスタとガラス扉の方へ歩いていく。

確定した。父が言っていたうまいラーメン屋はバーミヤンだった。バーミヤンはラーメン屋じゃなくてファミレスじゃないのか?

正直、東京の家の近所にもバーミヤンはあり、ラーメンを食べたことも何度かあったが、当然父には言えなかった。促されるまま注文し、ほどなくしてバーミヤンラーメンが運ばれてきた。「な。なかなかうまいやろ」。私は、うれしそうに麵をすする父に複雑な感情を抱きつつ、黙ってうんうんと頷きながら食べ続けた。

今までバーミヤンのラーメンの味について考えたことなどなかったが、改めて食べてみると確かにけっしてまずくはない。いやむしろ「うまい」と言って差し支えないと思った。それでもやっぱり、車で数十分かけて食べに来るようなものだろうか。

父はこれまで60年以上にわたる人生で、どんなラーメンを食べてきたのだろう。近所の適当なラーメンしか食べたことがないんじゃないか。そんなことを思った途端、父が生活を営んできた時間が急に小さく見え、寂しさに襲われた。

いや、もしかしたら私がバカ舌なだけで、一流の中華シェフなども「バーミヤンのラーメンはチェーン店としては異例の完成度を誇る」と認めているのかもしれない。ファミレスチェーンの先入観にとらわれているのは私のほうで、そんなものから解き放たれた父親こそが味の本質を感じ取っているのだ。そんな風に言い切る根拠は何ひとつなかったが、「お前も時々食べに来たらええぞ」と笑っている父を見るとそう信じたくなった。

「バーミヤン」川口青木店にて撮影。※写真と本文は関係ありません。
「バーミヤン」川口青木店にて撮影。※写真と本文は関係ありません。

文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子