5区・6区(小田原中継所〜芦ノ湖)の概要
言わずと知れた「山登り」「山下り」の区間で、箱根駅伝の象徴ともいうべき場所。箱根湯本から早川沿いに小涌谷、そこから南へ下り芦ノ湖畔に出て、箱根関所の南にある芦ノ湖駐車場入り口まで。往路は標高約36mから一気に874mまで駆け上がる、距離20.8kmのコースだ。最大の難所であることは言わずもがな、往路は最高地点まで登りつめたあとに下りもある、復路も本格的な下りが始まる前になかなか上る、というのも大きなポイント。ここまでの区間で「勾配が」「アップダウンが」と注目していた凸凹地形がかわいらしく見えるほどだ。過酷な勾配を走りこなすことが難しいのは素人でも想像に難くないが、さらに標高による気温の変化や前を走るランナーが見えづらいこともレース展開を複雑にする。
この「山」の正体である箱根山とは、明星ヶ岳や金時山などいくつもの山々がドーナツ状に連なる外輪山の総称。東西約8km、南北約11kmもある大きなカルデラ構造で、芦ノ湖が中央にある。
【小田原中継所〜ヘアピンカーブ】一気に山に分け入る、勝負の始まり
小田原中継所を出発してから、2kmほどはまっすぐに進む。嵐の前の静けさ……といってもいいのだが、実はここでもすでにじわじわ登りはじめている。
少し離れているのでわからないが、早川が左手を流れていて、その流れを遡(さかのぼ)る形でどんどん谷間に入り込んでいく。
ちなみに今回の旧東海道はといえば、箱根湯本の手前、早川にかかる三枚橋で別れて須雲川沿いを元箱根まで進むので、駅伝コースとはほとんど別の道。谷に沿ったルートというのは同じだが、駅伝コースは小涌谷の後に山間を抜けるため、旧東海道よりも少しばかり標高差が大きくなっている。
「いよいよ山上りが始まった!」と感じるのは、箱根湯本の街を抜けて早川に架かる旭橋を渡る頃。この旭橋は昭和8年(1933)に完成した鉄筋コンクリートのアーチ橋で、箱根路の近代化を象徴するものとして重要文化財に指定されている。
このあたりは、うねうねと曲がる早川のそばで国道1号もうねうねするので、4、5回ほど橋が続く。旭橋の次、函嶺もみじ橋のあたりでは、両脇から山が迫ってくるような谷間の様相が強く現れてきて、一気に陽の光が届かなくなった。箱根湯本のあたりでは穏やかな表情だった早川も、急に渓谷のような顔をしている。
函嶺もみじ橋、函嶺さくら橋と立て続けに早川を渡っている場所は、以前は川を渡らずに川の南を直進していた。そこが、昭和6年(1931)に造られた函嶺洞門。半開放のトンネルだ。道幅が狭く観客も入らないため、選手たちにひとときの静寂が訪れる場所だったとか。2014年にバイパス(現在の道)が造られ函嶺洞門は通行止めになって、駅伝コースも2015年大会から変更されて今に至る。
箱根湯本を出て最初の温泉地・塔之澤を過ぎると、国道1号の道路は谷底の早川から少し離れてぐいぐいと登る。途中、左手には「蛙の滝」「大平台の滝」など小さな滝もあるが、何度もやってくるカーブを曲がり続けると徐々に無心になってしまう。
夢中で進んでいたところへ唐突に現れるのが、180度近い角度でぐるりと曲がるカーブ。通称「大平台のヘアピンカーブ」と呼ばれている場所だ。ただでさえ過酷な傾斜なのに、こんな急旋回までさせられるのかよ!と不憫に思ってしまうが、山道のカーブは標高差に対して距離をとることで緩やかに登れるようにする工夫。これがなかったら本当の山登り、いやクライミングになってしまう。
【大平台〜芦ノ湯】ひたすら登りながら温泉郷めぐり
ヘアピンカーブを過ぎればすぐに大平台の街。ヘアピンの間に挟まるような形で、箱根登山線の大平台駅がある。この駅は箱根登山線にいくつかあるスイッチバックの駅で、これもやはり急勾配を登るための方式。峠越えのためのインフラ技術が詰まったポイントだと言えるかもしれない。選手も、車も、鉄道も、みんな本当にがんばって登っているのだ。
大平台の次は、2km弱登って宮ノ下の街が始まる。温泉旅行で訪れたときにはあまり感じなかったが、よくまあこんなところに!と思うような斜面にへばりつく建物も多い。宮ノ下は箱根のなかでもかなり古い温泉郷で、江戸時代には湯治に通う大名がいたとか。当時創業の「藤屋」は現在も『富士屋ホテル』として残っている。
宮の下交差点で南西方面に折れ、小涌谷駅前の少し手前まで来ると、箱根登山線の小涌谷踏切が現れる。現在の駅伝コース内唯一の踏切で、かつては車両の通過で選手が足止めされることもあったようだが、今はレースの状況を見ながら選手優先で運行しているそう。
『箱根ホテル小涌園』前のカーブは、言わずと知れた中継ポイント「小涌園前」。中継ポイントの名前はほとんどが駅や交差点などの地名だが、ここだけは宿の名前だ。これには理由があり、1987年の日テレ初回中継時、スタッフの宿がなく困っていたところへ手を差し伸べたのが「箱根小涌園(現在の『箱根ホテル小涌園』)」だった。その感謝を込めて「小涌園前」と呼んでいるのだという。
このあたりから「だいぶ登ってきたなあ」と肌で感じられる風景になる。箱根湯本を出たばかりの時は両側から迫るようにそそり立っていた山も、少し上からこちらを見下ろしている程度。時間経過も相まって日が当たるようになってきて、少しずつ開放的な雰囲気の場所が増えてくるのだ。
標高3000m級の登山では、深い木々のなかから登りはじめ、やがて森林限界を超え視界が開ける景色の移り変わりも醍醐味のひとつ。駅伝コースも、標高はまったく及ばないもののそれに近いなにかを十分感じられる。駒ケ岳の麓に位置する閑静な芦ノ湯周辺は、仙石原を思わせるススキの生えた平地もあり、その開放感がピークになる。
【国道1号最高地点〜芦ノ湖駐車場入り口】登りつめたあとは一気に湖へ
開けた直線の道がしばし続いた後、「国道1号最高地点」の看板が現れる。駅伝コース内のみならず、日本橋から大阪まで至る国道1号のなかでも最も標高が高い874mの地点だ。旧東海道と通るルートが多少違うとはいえ、さすがは“東海道の最難関”である。
そして、ここからはぐんぐんと下りだす。芦ノ湖の標高730m程度まで、登ってきたのと同じくらいのペースでまた下るのだ。さながらジェットコースターといっても大げさではないのではないかと思うほどの振りまわしっぷり。
幾度かの鋭いカーブを経て湖の水面が見えると、思わず顔がほころぶ。5区の選手にとってはまだ気を引き締めなければいけない地点なのだろうが、襷を渡す相手もいなければゴールテープも用意されていない筆者には、湖が両手を広げて歓迎してくれるように見えた。
ちなみに湖畔に降りるあたりで、箱根湯本から完全別ルートだった旧東海道が合流する。ここからつかずはなれずで湖畔を南に進み、箱根関所へと向かうのだ。
湖を右手に見ながら進むと、途中には並走する旧東海道の杉並木も残っていて、日陰は身震いする寒さ。勾配が少ない道のありがたみを噛みしめながらのラストスパートだ。
途中にある箱根関所は、関所の跡地に復元された建物など関所全体の様子を見学可能。その構造と仕組みを知ると、湖と山に挟まれた地形をいかに上手く利用しているかがよくわかる。
最後に右折し、芦ノ湖に向かってフィニッシュ。往路ゴールと復路スタートの印が歩道に立っている。本番は大勢の人がいるので中継ではわかりづらいが、湖とその向こうの富士山に向かって駆け抜けるという、箱根を登った選手にとってこの上ないゴールの場所と方角だ。
なんてドラマチックなコースなのか
正直、5区・6区の実踏取材はかなりキツいのではないかと考えていた。でも実際に歩き切ってみれば、拍子抜けするほど「楽しかった」と言わざるを得ない。もちろん、険しさを痛感して選手たちへの尊敬の念は高まるばかりだが、同時に地形に注目することのおもしろさを再認識させられた。
当然のことながら、駅伝コースの地理地形はレースのために用意したのではなく、自然と歴史が生んだものだ。にもかかわらず、物語のような展開があってクライマックスも用意されている。土台となるコース自体がこれだけドラマチックで、過去旅人たちも涙をのんだ峠。そこへ練習を重ねてきた選手やそれを支える人々の思いが重なって、何が起こるかわからない緊張感も加われば、そりゃもうおもしろくないわけがないのである。
ちなみに駅伝コースのなかでも5区・6区はかなり交通量が多いうえに歩道のない場所がほとんどなので、真似して歩いたり走ったりすることはあまりおすすめしない。気温や勾配はコタツでぬくぬくしながら想像したり、温泉旅行で赴いた際に付近を歩いてみたりして実感してもらえれば幸いだ。
というわけで、箱根駅伝を地理的にひもとくシリーズはこれにて完結! 全区間をまとめた総集編も配信予定。大会直前はぜひそちらの記事を眺めて復習されたし。
取材・文・撮影=中村こより
参考文献=『箱根駅伝「今昔物語」』(文藝春秋)、『箱根駅伝ガイド決定版2024』(読売新聞東京本社)、『地形がわかる東海道五十三次』(朝日新聞出版)、『箱根駅伝70年史』(関東学生陸上競技連盟)