Only this!ふたりの恋愛物語
『男つらいよ』シリーズは、おおよそ寅さんの毎度毎度の恋愛騒動を軸に物語が展開されるが、その実、寅さんマドンナ双方とも恋愛モードに入っている作品は限られている。
以下は筆者の独断で抽出した双方ラブラブモードの作品とマドンナ、およびマドンナの本気度の一覧ーー。
- 第8作 貴子(演:池内淳子)
〔マドンナの本気度:★★★〕
- 第9作 歌子(演:吉永小百合)
〔マドンナの本気度:★★〕
- 第10作 千代(演:八千草薫)
〔マドンナの本気度:★★〕
- 第11作、15作、25作、48作 リリー(演:浅丘ルリ子)
〔マドンナの本気度:★★★★★〕
- 第17作 ばたん(演:太地喜和子)
〔マドンナの本気度:★★★★〕
- 第18作 綾(演:京マチ子)
〔マドンナの本気度:★★★★〕
- 第19作 鞠子(演:真野響子)
〔マドンナの本気度:★★〕
- 第27作 ふみ(演:松坂慶子)
〔マドンナの本気度:★★★★〕
- 第28作 光枝(演:音無美紀子)
〔マドンナの本気度:★★★〕
- 第29作 かがり(演:いしだあゆみ)
〔マドンナの本気度:★★★★★〕
- 第32作 朋子(演:竹下景子)
〔マドンナの本気度:★★★〕
- 第44作 聖子(演:吉田日出子)
〔マドンナの本気度:★★★〕 - 第45作 蝶子(演:風吹ジュン)
〔マドンナの本気度:★★★〕
以上のように双方向恋愛モード作品はのべ16作品、対象となったマドンナは13人を数える。つまり「男はつらいよ」の本格ラブストーリーの割合は、シリーズ48作中(49作、50作除く)、約3.7割に過ぎない。今シーズンの我が中日ドラゴンズの勝率(2023年5月25日現在、最下位)よりも低いではないか!
本気度を見ても、リリー(演:浅丘ルリ子)4部作にも勝るかと思えるほど、いしだあゆみがマドンナ(かがり)を務めた第29作『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』は、屈指のラブストーリーと言える。
鎌倉ラブストーリーは突然に
この「男はつらいよ」ラブストーリー的神回の舞台となったのが、京都、丹後半島、そして鎌倉・江ノ島だ。
筆者も好きな作品なのだが、ロケ地となると一抹の刹那さに胸が痛む。
学生時代を過ごした京都での数年間は、まったく恋愛に縁がなかったし、丹後半島の伊根町では、意中の娘を旅に誘うも派手にフラれてるし(しかもその娘は「かがり」と一文字違い)、鎌倉はそれぞれ別の女性と何度かデートで訪れたがすべて実ることはなく……、と、ことごとく不憫な思い出ばかりなのだ。それはいい。筆者も忘れたい。
さて物語ーー京都で商売をしていた寅さんは、ひょんなことから人間国宝の陶芸家・加納作次郎(演:片岡仁左衛門)の世話をする。その縁で訪れた作業場で、下働きをしていたかがりと出会う。まさにそのタイミングで、かがりは恋仲だった作治郎の弟子と関係を解消。失意のまま故郷の丹後半島・伊根町に戻る。
師匠の作次郎から「様子を見てきて欲しい」と頼まれた寅さん。丹後半島に出向き、かがりを訪ねる。
そこで、なんとかがりが寅さんを夜這い!が、寅さん狸寝入りで未遂……。
さぁて、そんなこんなで柴又に戻った寅さん。恋の病で寝込んでいるところに、かがりが来訪!しかも、
「鎌倉のあじさい寺で、日曜の午後1時、待ってます」
という、付け文をそっと手渡す積極行動!やるねえ、かがりさん!
はじまりは満男拉致
かくして寅さんはかがりさんの待つ鎌倉に赴く。照れ隠しか、強引に拉致した満男も一緒だ。以下、時系列で二人の鎌倉&江ノ島デートをパパラッチしてみる。
AM9:10 京成柴又駅発
満男は友達と釣りに行く約束をすっぽかして鎌倉に行かされるのだから、出発はおそらく9時頃。
映像から察すると、二人は直接、あじさい寺(成就院。江ノ電・極楽寺駅下車)に向かったのではなく、まず北鎌倉に寄った形跡がある。スクリーンに映るスカ色の113系が今となっては懐かしい。
AM10:45 北鎌倉駅着
北鎌倉で下車し円覚寺あたりをブラブラしたのだろうか。30分ほど滞在して、鎌倉駅に向かうと推測。
AM11:24 鎌倉駅着
ルートとしては、鎌倉駅で江ノ電に乗り換えるわけだが、約束までまだ1時間30分ほどある。
「どうだ満男、え?これ鎌倉だ。いいところだろう。いっぺんおじちゃんお前のこと連れてきてやろうと思ってたんだ」
拉致した贖(しょく)罪の気持ちもあってか、満男に鎌倉案内をしてあげる寅さん。映像では若宮大路を歩く二人が確認できるが、当然、鶴岡八幡宮にもお参りしたことだろう。また、小町通りで団子の1本でも食わしてやったか。
ともあれ、寅さんと鎌倉散歩をする満男がうらやましー!
早っ!不幸せな結末~あじさい寺(成就院)
PM0:57 極楽寺駅着
唐突だが、あじさい寺・成就院を前にして、ある疑問がアタマをよぎる。
鎌倉のあじさい寺と言えば、この成就院のほかに明月院も有名だ。でも、かがりさんの付け文に記されていたのは、ただ「鎌倉のあじさい寺」とだけ。
うーん、寅さんはどうやって特定したのだ?恋する男の野性のカンなのだろうか……。
PM1:00 成就院着
運命の日曜午後1時、あじさい寺・成就院だ。
「よっ、だいぶ待たしたんじゃねえか」
寅さんを見つけて、かがりさんの満面に浮かぶ喜色。
「これ、オレの妹、あれのせがれだよ(中略)今日オレが鎌倉行くって言ったら、どうしてもついて行くって。どうしょもねえガキだよ」
満男の姿を目に留めた瞬間、あからさまに浮かべる落胆の色。
この表情の移ろいはまさにあじさいの花……。そして、色が変わったかと思えば、夏を待つどころか、待ち合わせて数十秒で恋の花は散る。実にはかない。
あじさいの花言葉、「浮気」「無常」そして「移り気」……。「あじさいの恋」という副題は、寅さんに向けてのものでなく、かがりさんの心をたとえたものだろう。
「男はつらいよ」に限らず、映画を観ていて思わず「ここだ!」と叫びたくなるようなシーン、主題が凝縮された瞬間に遭遇することがある。この作品はまさにここだ。
四六時中も気まずい空気~稲村ヶ崎
恋は終わるがデートは続く。これがつれえところよ。
PM1:29 稲村ヶ崎駅着
ビミョーな空気のなか、あじさい鑑賞と参拝を済ませた一行は、PM1:25極楽寺駅発藤沢行き電車に乗り一駅先の稲村ヶ崎駅へ。そして徒歩7分ほど、稲村ヶ崎にほど近いエボシライン沿いのレストランに着く。
PM1:36 レストラン
3人が入ったレストランは開放的な造りで、クルマが途絶えれば江ノ島をバックに波音が聞こえてきそう。
このレストラン、通りすがりでフラッと入るには不自然だ。では誰のチョイスなのだろう?寅さん?洋食とか苦手だしなあ。かがりさん?土地勘なさそうだし……。満男?そんなハズはない。
結局、アテンドしたのはかがりさんの友達ではないだろうか。ホレ、一緒に「とらや」を訪ねてきた、よくしゃべる、あの人。ガイドブック調べて、いろいろお節介を焼いたのだろう。きっとそうだ。
PM2:00頃 レストラン食後
「さっきから黙って座ってるよ。あんまり口きかないよ。伯父さんはボクとばっかりしゃべるし」
赤電話でさくらに状況を報告する満男がこぼすように、二人の間には依然として気まずい空気が流れる。かすかに耳に届く潮騒が、やけに大きく聞こえていたに違いない。
しかし、この雰囲気、かつて筆者が婚約指輪を突き返された新橋烏森口の喫茶店(現 〇屋珈琲)での状況を思い出す。もうカンベンしてぇ~。
また会えると言って欲しい~江ノ島
PM2:41 稲村ヶ崎駅から江ノ島へ
レストランを出た一行は、稲村ヶ崎駅から江ノ島に向かう。気まずいのだったら、ここで解散すりゃいいのに、まだデートを続けるあたり、関係修復のきっかけでも探ろうというのか……。
ともあれ、江ノ島に着くと、まずは江ノ島神社参道で土産物店を冷やかす。
「団子なんか買うなよ、おまえ。ウチに売るほどあるんだから」
と、寅さんは言うが、江ノ島じゃあ少なくとも草団子は売ってないと思うぞ。その後、時間的に余裕があるから、展望台や岩屋洞窟にも行っただろうか。
PM4:30頃 『江之島亭』早めの晩飯
あまりの手持ち無沙汰から、島の裏手にある食堂『江之島亭』で早めの晩飯。満男はうな丼を食した模様。
満男がいると素直におしゃべりできない二人は、ここで非情にも満男を江ノ島散策へと追いやる。
ちなみに再合流するまでの推定約75分もの間、満男は時間を潰さなければならない。島を何周したことだろうか。つくづく気の毒なヤツだ。
PM5:15頃 『江之島亭』で二人きり
ここからようやく大人だけの時間。江ノ島亭の窓辺に腰を下ろす二人、寅さんは哀愁漂うかがりさんに語りかける。
「悪かったな。もし良かったらアイツだけ一人で帰してもいいんだけど」
かがりさんの気持ちが離れた原因が「満男同伴」にあると感じた寅さんは、最後にリカバリーショットを試みる。
芝居がかってもいない。照れ隠しでもない。冗談めかしてもいない。全作品中、最も寅さんの素が極まったセリフだ。
しかし、それも遅きに失した。
「今日の寅さん、なんか違う人みたいやから」
かがりさんは気持ちが離れた理由を語り、やんわりと寅さんの最初で最後のアプローチを拒む。
「俺はいつもと同じつもりだけど……」
寅さんの弁明も、
「あれは旅先の寅さんやったんやね」
かがりさんの言葉にむなしく流される。
とは言ってもかがりさん、まだ完全に思いを断ち切れてないような気がする。もしかしたら、拒みながらももっと強引なアプローチを待っていたのか……。「また会える」と寅さんに言って欲しかったのか……。
もう、本人にしかわからない。
PM7:00頃 『江之島亭』営業終了(PM6:30 L/O)
二人の恋の鎌倉・江ノ島路の終焉は、淡々と告げられる。
「お客さん、すみません。もう看板なんですけど」
その店員のひと言は、恋愛のパワースポットで知られる江ノ島の神様か店員の姿を借りて、「成さぬ仲なんだから、二人のラブゲームも店じまい!」とさりげなくジャッジを下したようにも聞こえた。
そして、まるで玉手箱を開けたかの如く、現実に戻される二人だった。
迷わずに……SAY NO !
PM9:00頃 とらや
まだ寅さんは帰っていない。おばちゃんたちが心配していると、とらやのお茶の間の柱時計が9回鳴ったすぐ後に、かがりさんから電話が来る。
「まだ東京には2~3日、居るって言いましたけど、今夜の新幹線で京都まで帰ります」
まさに最後通告か。これで、わずかに可能性が残っていた東京近郊での第2ラウンド開催の目は完全になくなった。
時間にして約12時間、静かに進行しながらも、むせそうなくらい濃厚な鎌倉・江ノ島デートだった。
結局、このラブストーリーでハッピーになった者はいない。
「お姉さんと別れた後、伯父さん電車んなかで涙こぼしてたんだ」
満男の報告にもあるように寅次郎さんは己れのもどかしさに涙し、かがりさんはその後も誰とも結ばれていない。
報酬&涙の口止め料としてプラモデルを買ってもらった満男だけがハッピーか?否!大人のリアルな色恋沙汰を目の当たりにした満男は、これがトラウマとなり、
「お前もいずれ恋をするんだなあ、あぁ可哀想に……」
という寅さんの予言通り、10数年後グダグダとぶざまな恋愛に苦しめられるのだ。
とまあ、それを言っちゃあ身も蓋もないが、結果としてそれぞれに得難い経験を与えてくれたのだから、そんなラブストーリーもあったっていい。
消せど燃ゆる魔性の……
あじさいが心変りを演出し、湘南の海の波のように互いの気持ちが寄せては返し、江ノ島の神がそぐわぬ仲と答えを出したーー
思い返せば、今回の二人の逢瀬、単なるデートコースということを超越して、鎌倉・江ノ島の風土・歴史によってラブストーリーが濃く深くプロデュースされていることに驚きを隠せない。さすがだねえ。こんな場所は日本中探してもそうはないだろう。
一方で、風土が人の感情に作用し、物語を紡いでいるあたり、同じく鎌倉を舞台にした川端康成の小説『山の音』とも通じるものがある。
これが鎌倉・江ノ島の魔性……。
そう思わざるを得ない。寅さん&かがりさんは、こんな魔性によって気持ちを移ろわさせ、夢から覚まされたのか……。どんなタイミング、どんな状況で魔性は発揮されるかね……。現実、フィクション織り交ぜて、種々の想像が駆け巡る。
寅さん&かがりさんのデートは、悲しい結末を迎えてしまったが、この魔性のプロデュースには、きっとハッピーエンドのシナリオも用意されているはず。
性に目覚めて40余年、悶々と恋愛不毛の毎日を過ごす筆者としては、そんな魔性、いつか溺れてみたい。
文・撮影=瀬戸信保 イラスト=オギリマサホ
(文中、セリフの引用元はすべて『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』。電車の時刻、店舗の営業時間は2023年5月現在のもの)