吉田靖直(達人)の記事一覧

吉田靖直
達人
吉田靖直
ロックアーティスト、文筆家
1987年、香川県生まれ。早稲田大学在学中に結成したトリプルファイヤーのボーカル。著書に『ここに来るまで忘れてた。』(交通新聞社)『持ってこなかった男』(双葉社)がある。https://triplefirefirefire.tumblr.com/
noimage
貼り方が超シビアなお札
早稲田に「穴八幡宮」という神社がある。学生時代は毎日ここの前を通った。当時は知らなかったが穴八幡宮はかなり有名な神社だったようだ。
noimage
本物の家系ラーメン
深夜、友人と飲んだあと何か食べて帰ろうという話になった。近くでその時間開いている店をいくつか挙げ選択を委ねると友人が選んだのは家系ラーメン店だった。
noimage
あの悪夢の連続は、出雲大社からのメッセージだったのか?
付き合っていた恋人と別れくさくさしていた時期、実姉が「5万円あげるから伊勢神宮に行ってきな」と電話をかけてきた。姉は昔からスピリチュアルに傾倒しており、しばしば私に神社や寺へ行くよう勧めてきた。姉に借りを作りたくなかった私は断ったが、何度断っても姉は折れず、結局5万円が振り込まれ、私はそのまま放置していた。
noimage
呂布カルマに敗れたその夜、突如降ってきたもう一つの敗北
いちおう私はミュージシャンという肩書きで活動しているが、オファーがくれば割と何でもやる。大喜利イベントにラップバトル、役者やDJ、文筆業も。あまり自信がなくても誘ってもらったらとりあえずやることにしている。
noimage
何もかもムダじゃないと信じたい、私とインターネットとの闘争
学生時代、サークルの先輩がトータス松本の「明星」という曲をよくカラオケでうたっていた。サビの「何もかも 間違いじゃない/何もかも ムダじゃない」という歌詞は、世をすねていた私の心にも真っ直ぐに響いた。
noimage
かつてモテない男の代名詞だった私の印象は一生覆せないのか?
大学生の頃、地元の同級生で上京した男友達3人と合コンをやったことがある。女性側は、同じく中学時代の同級生A子が集めてくれたが、A子は用事があったようで「じゃ、楽しんで」と言うとすぐに帰っていった。
noimage
始まって3ヵ月で同棲が解消され、ひとり残された部屋で思ったこと
20代後半あたりから地元の同級生がどんどん結婚し始めた。友人から結婚の報告があるたび「よかったな、おめでとう」と笑顔で祝福しつつ心の中では「ようやるわ」と思っていた。うらやましいと感じることもなかった。
noimage
一体我々のなにが彼女たちをそんなに不機嫌にしたのだろう?
東京に住んでからは数えるほどしか海へ行っていない。電車を乗り継ぎ海へ着いた瞬間は楽しい気分になるが、ちょっと海に入ったりビールを飲んだりした後はもうやることがない。私はもともとそんなに海が好きではないのだろう。海に行くならプラスアルファで何かわくわくするような刺激が欲しいと思う。
noimage
私はどうしても給食委員の仕事を忘れてしまうのだった
たぶん私は人よりも多めに怒られてきた方だと思う。しかし怒られても適当にごまかしてその場を取り繕おうとするので、間近で怒声を張り上げられるような、いわゆるブチ切れられた経験はあまり多くない。そんな数少ないブチ切れられた経験として真っ先に思い出すのは、中3のある初夏の日のこと。当時私は給食委員をしていた。風紀委員、体育委員、生活委員などクラスの全員が何かしら役職に就かなくてはならず、比較的楽そうだった給食委員に立候補したのだ。私と尾崎さんという女子が担当となった。給食委員の仕事は毎日給食の時間になると棚からウェットティッシュを取り出し教卓の上に置くだけ。そのウェットティッシュも使う者はほとんどおらず、実質あってもなくてもいいような仕事だった。ただ、どんなにくだらない仕事だとしても、与えられた役割を忠実にこなす大切さを学校側は学ばせようとしているのだろう。そう頭では納得していても意義を感じにくい仕事はつい疎かになってしまう。私はほぼ毎日ウェットティッシュを出し忘れていた。決してサボっていたわけではない。うっかり忘れてしまうのだ。私の代わりに尾崎さんが毎日ウェットティッシュを出してくれていた。さすがに申し訳なく、明日こそは忘れないようにしようといつも思った。午前の授業中にふと思い出し、よし今日こそウェットティッシュを出すぞと決意するのだが、給食の時間になると不思議なほど忘れてしまう。尾崎さんばかりが給食委員の仕事をしていることに気づいた担任教師が「おい、お前忘れるなよ」と軽く釘を刺してきた。口調は優しかったが、この担任は授業中に金八先生のビデオを頻繁に見せてくる熱血漢タイプで、前触れなくいきなりブチ切れる場面を今まで何度も目撃してきた。あと何度かウェットティッシュを出し忘れたら教師の逆鱗(げきりん)に触れる可能性も高いだろう。不安に襲われつつも、給食の時間になるとやっぱりまた忘れてしまう。「お前また忘れとるやないか」と言う担任のこめかみには血管が浮き始めていた。
noimage
「万引き」の同調圧力に耐えた中学生の自分をほめてあげたい
中高時代、私が信奉していたバンド、ブランキー・ジェット・シティの「D.I.Jのピストル」という曲の一節に「何かとっても悪い事がしたい」という歌詞がある。一時期の私はブランキーのボーカル、ベンジーの言うことは全て正しく、自分をベンジーに擦り寄せていきたいと思っていたので、「D.I.Jのピストル」を聴くたび、「何かとっても悪い事がしたい」という感覚が自分の中に存在しないことを再確認してはひどくがっかりしたものだった。ロックには、社会からはみ出してしまうことを気高いもの、美しいものとする価値観がある。すごく才能がある人というのは一般人にはおよそ理解できない無軌道な衝動を抱えていて、それが思春期に盗んだバイクで走り出したり、校舎の窓ガラスを壊して回るような破壊的行動として発露するのだ。そしてそういった衝動を持つ者だけが群衆の中から突出し、独自の作品を世に残すことができる。「悪い事がしたい」という衝動が一切湧いてこない自分には才能がないのかもしれない――。そう考えながら私は多感な十代を過ごしたのである。そんな私にも人並み程度には悪い事をしそうになった経験がある。たとえば、万引きをするかどうかの瀬戸際に立たされた日があった。
PAGE TOP トップへ PAGE TOP 目次へ