陸上自衛隊朝霞駐屯地の一角に体育学校が
昭和5年(1930)、農村の膝折に東上鉄道開通。昭和7年に駒沢から移転した東京ゴルフ倶楽部の名誉総裁・朝香宮殿下にちなみ、町名も朝霞に改名。今も駐屯地にゴルフ場跡の池が残る。その後、一帯の約100万坪が陸軍予科士官学校となったが、終戦後はGHQのキャンプ・ドレイクに。1960年に陸上自衛隊朝霞駐屯地となり、一角に自衛隊体育学校が新設された。昭和40年代後半まで隣に米軍基地が一部残っていた。
現在の体育学校校舎兼宿舎。

「金メダルを取るにはこれではだめだ!」。体育学校一期生のウエイトリフティング選手・三宅義信さんは数箇月で辞めようとした。
「専用道場もなく風呂場の軒下で練習しました」と三宅さん。「食事は麦飯に菜っぱ汁。自衛隊員と同じ食堂で食べるのに何百人も並び、練習にしばしば遅れて叱られました」。

周囲に説得されて三宅さんは復帰。少しずつ練習環境も改善していった。マラソンの円谷幸吉選手が走るグラウンドは第2教育課選手職員が総出で造成を手伝い、機運を盛り上げた。

そして1964年東京大会。当校から20名もの選手が出場。三宅さんの金メダルに円谷幸吉選手のマラソン銅メダルと見事な成績を生んだ。

体育学校は1961年朝霞駐屯地に創設された。陸・海・空自衛隊の共同機関なので、選手はいずれかに所属する。写真の白い制服は海上自衛隊で、奥の昭和16年(1941)築の旧陸軍予科士官学校が校舎だった。「古くて雨漏りするし、夏は暑くて眠れない」と三宅さん。「でも自衛隊の皆さんのご理解とご協力でオリンピック出場は成功をおさめました」。(写真提供:自衛隊体育学校)。
第一期生の三宅義信さんは体育学校校長も経験し、校内の体育館や植栽を整備した。現在は写真の東京国際大学ウエイトリフティング部監督。「生涯好きな道で幸せです」。

国際レベルの選手を育てる自衛隊は実は温かな場所

現在当校はウエイトリフティング部など11種目と冬季競技2種目の選手を育成する。発足当時は国内で選手育成機関が整っていない競技や、射撃など自衛隊として得意な種目を担当したようだ。

実は東京大会自体、組織的に動ける自衛隊が運営の縁の下の力持ちを担っていた。航空自衛隊ブルーインパルスが大空に五輪を描いたのは有名だ。国際級選手育成機関の発足も、その延長線上に考えられたらしい。

近代五種競技の馬と広報班長・川元ゆみさん。赤いジャージが学校職員と選手の制服だ。2020年11月撮影。
体育学校には自衛隊の体育・格闘技指導者を育成する第1教育課、国際級選手育成の第2教育課・冬季特別体育室、体育・格闘に関する調査・研究を行うスポーツ科学科がある。(写真提供:自衛隊体育学校)。

夏季オリンピック選手が所属するのは、第2教育課だ。入学には学生時代に優秀な成績を収めた選手のスカウト、それから自衛隊入隊後にその才能を認められるという2通りの方法がある。広報班長の川元さんは、「最優秀選手は莫大な契約金のある企業へ行きがちですが、うちには契約金はなく自衛隊員としての給与だけ。でも整った環境でじっくり育て上げるのが醍醐味です」。

女子ラグビーは2017年に第2教育課に。3月に引退し自衛官になった選手も。

一番大きな魅力は引退後だ。自衛隊員という身分保障があるのだ。当校校長まで務めた三宅さんはもとより、話を聞いた福崎道大さんも元レスリング選手だった。現在は選手用特別食堂で特別食調理と配膳担当。
「食が細くなって減量が始まったな、とか、逆に体重を増やす選手は大変だ」と自ら経験者の福崎さん。

特別食堂勤務の福崎道大さんは元選手で現職8年目。朝4時半から18時の夕食まで栄養士の指導下で、選手約120名分の体を作る食事を担当。(写真提供:自衛隊体育学校)。
一般自衛隊員向けの3200kalに、主菜は肉と魚両方など3品1400kal分を加えた特別食。種目別や減量期など選手自身が分量を調整しながら食べる。(写真提供:自衛隊体育学校)。

職員は選手経験者だけではなく、全国から異動で任務に就く自衛官だ。選手送迎を担う輸送班の十文字拓真さんは「負けた選手には声をかけづらいです」。それでも礼儀正しく「ありがとうございました」と挨拶する選手たちを心から応援したくなる。

世界の宝をみんなで見守る、そんな温かな場所がこの学校なのだ。

輸送班の十文字拓真さん。マイクロバスなど7台を6名で運転。「税金で購入するため、普通の車両なので、レスリング選手などは狭そうです(笑)」。(写真提供:自衛隊体育学校)。
資料室にはこれまでの活躍が一堂に。1964年東京大会コーナーには、右から4枚目の三宅選手の重量挙げ写真などを展示中。

取材・文=眞鍋じゅんこ 撮影=鴇田康則
『散歩の達人』2021年5月号より