パーラー『羅甸』は、山口県徳山市からはじまった。

1960年前後、山口銀行出身の永岡良一氏が「株式会社羅甸」を設立、山口県徳山市にパーラー「羅甸」を開店しました。

出典:
『産経日本紳士年鑑 第9版 下』産経新聞年鑑局, 1970』https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000039-I3044980」
OKP86〜P87に以下の記載。

「永岡良一 (株)羅甸社長 徳山ライオンズクラブ会員 (生)山口県昭5925(歴)山口銀行勤務を経て羅甸を設立レストラン喫茶店等総合食堂を経営 (趣)旅行 (後略)」

出典:
川副保 編著『百味往来 : 明治・大正・昭和』山口勇治翁傘寿記念出版の会,1966.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3452058

P290に以下の記載。
「社団法人全日本司厨士協会役員録 昭和四十年六月現在」に、
「徳山支部 参与 永岡良一 レストラン羅甸社長、徳山市糀町、(後略)」の記載。

パーラー「羅甸」は、創業の山口県徳山市、ひろしま駅ビル、銀座近鉄ビル、池袋、新宿2店舗、渋谷公園通り、ニュー新橋ビル、にあった。

*他にも店舗がある可能性があります!

❶『羅甸』【銀座近鉄ビル店】
1970年12月「銀座4丁目数寄屋橋寄り」に「銀座近鉄ビル」がオープンしました。

「銀座近鉄ビル」は解体され、現在は、「GUCCI銀座、グッチ銀座(Gucci Building)」が建っています。

雑誌『月刊食堂 』1971年2月号の表紙は、
「特集/冷凍食品活用時代 人件費高騰時代を生き抜く経営法 躍り出た!ラーメン店の新商法」で、P62「食堂ジャーナル」の項に、「銀座に食堂ビルオープン」、「銀座初のテナント制食堂ビルとして話題を集めている。」とあり、テナント店舗を紹介しています。

記事によると、テナント店舗は、以下です。

地下二階 喫茶『リラ』・パーラー【羅甸】。
地下一階 喫茶『モロゾフ』・天ぷら『天国』。
一階 喫茶『近鉄茶廊』・すし『亀八鮨』。
二・三・四階 中国料理『近鉄大飯店』。
五階 じゅん菜料理『金扇』・郷土料理『秋田屋』。
六階 イタリア料理『サンマリノ』
七・八階 すき焼『スエヒロ』

「"近鉄ビルで世界の味を楽しもう"がキャッチフレーズ。」とあります。

出典:
『月刊食堂 』柴田書店1971-02.P62 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2674639

❷『羅甸』【東武百貨店池袋13F食堂街「エアキャッスル」】店。

1971年、東武百貨店池袋13F食堂街*「エアキャッスル」がオープンしました。
*現レストラン街スパイス11F~15F。
雑誌『月刊食堂 』1972年1月号の表紙は、
「特集 食堂産業化時代の幕開け 特別企画 今年問題になる食堂の経営課題は何か 72年の食堂販促アイデア・カレンダー 別冊付録 72年度営業効率判定表」です。

巻頭グラビアページで食堂街「エアキャッスル」の各店舗を紹介、目次ページから店舗名を引用します。

「ファッション性を強調する食堂街 東武百貨店エアキャッスル P45~60」

「ニュー・トーキョー 紅花 スエヒロ 四川飯店 美濃吉 プリモ 福助 グルメ 【羅甸】 不二家 ハゲ天 F・V・Cアミーコ ロメオ ダイナー小島屋 家族亭 北浜 東武大食堂 まんぼう。」 パーラー『羅甸』は13F、店内写真と共に以下の紹介文が記載。

「山口県に本店を持ち、広島、東京と進出を続けている羅旬の、東京三番目の店である。オリジナルのパーラー類と軽食で若い女性に人気がある。メニューは見た目にも楽しく、ボリュームのあるもの。客単価も三〇〇円くらいと安く、若い人の街池袋に溶け込むような工夫がなされている。総工費一八〇〇万円の店舗は、総ガラス張りにして、外を通る人に気楽なムードを感じさせる店づくりである。」

出典:
『月刊食堂 』柴田書店,1972-01. 国立国会図書館デジタルコレクション.P45~60
https://dl.ndl.go.jp/pid/2674652

❸羅甸新宿店 新宿3丁目 高山ランド会館1階、地下1階。

『月刊食堂』1974年12月号の表紙は、
「メニューと食品 おにぎりからステーキまで 儲かる メニューアイデア1000」とあり、

「グラタン」の項に『羅甸』のグラタンとドリアのメニューが紹介、詳細な作り方指南が掲載。

「(前略)新宿のパーラーレストラン羅甸にはラザニアグラタン、マカロニグラタン、ドリアン(各五〇〇円)の三種類のグラタンがある。
ラザニアグラタン 市販のパスタであるラザニアを使用しており、原価率二八%におさえている。ボリュウムたっぷりでヤングミセスに人気がある。(後略)」

大好きだったドリアの作り方が載っています。外食産業のための経営誌ですから、おそらく、業務用のレシピですね。

記事の最後に『羅甸』新宿店の記載があります。

「メモ 羅甸新宿店 東京都新宿区新宿三丁目五ー三高山ランド会館一階、地下一階 電話(略)」

出典:
『月刊食堂』柴田書店1974-12.P78~79国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2674688

❹『羅甸』【ニュー新橋ビル】店。

1979年刊行『ショッピングセンター名鑑』 に、新橋駅前「ニュー新橋ビル」当時のテナント名がズラリ、P293~294「ニューしんばしビル テナント一覧表」に『レストラン&パーラー羅甸』が。

ニュー新橋ビルは、老朽化のため、現在も解体再開発の協議中、ビルがなくなるのは、寂しいです。
出典:
『ショッピングセンター名鑑』日本ショッピングセンター会,1979.11.P293~294 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11939849

➎【渋谷・公園通り】のクレープハウス『羅甸』

『月間食堂』1976年2月号、によると『羅旬』は1975年10月から全店で、クレープとホットケーキを導入しました。

1980年7月刊行、日本経済新聞社の『つぶし合い時代の外食産業 : 競争を勝ち抜く店づくり』に、『羅甸』について言及している箇所があります。

「例えば、渋谷コルザと同じ渋谷・公園通りにあるクレープハウス『羅甸』。クレープは今はやりの洋風お好み焼きとあって、お客の九五%が十八歳から三十歳までの女性。」
(中略)
「羅旬はクレープハウスと一緒に、東京都内に三店の軽食パーラーを出店しているが、」
(中略)
「羅句は、女性の特性を見極めて、工夫をこらした。店舗イメージは明るく、藤いすを置いたり、植木鉢を天井からぶら下げたり、女性好みのしゃれた、上品な落ち着きをもたせている。しかし、『落ち着きを強調し過ぎて重厚になると、逆に滞留時間が長引くので、この辺のかね合いに気を配った』という。メニューでも、クレープは牛肉のひき肉、小えびなどをはさんだ料理クレープと、いちご、ババロア、チョコレートなどのデザートクレープ。最初は両方で十二、三品目しかなかったが、その後商品開発に力を入れ、今は二十品目に増えた。」

テイクアウトのクレープではなく、お皿で提供されるクレープが80年代以前からメニューにあったとは、知らなかったです!1980年代『不二家』レストランのボリューム満点、スペシャルなパンケーキが大好きでした。『羅旬』に通っていたのも1980年代ですがクレープは記憶にないです。

出典:
『つぶし合い時代の外食産業 : 競争を勝ち抜く店づくり』日本経済新聞社1980.7. P187.国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12023552

❻『羅甸』東京、西新宿の【新宿第一生命ビル】店。

1980年、新宿新都心に、ツインタワーの、26階建て「新宿第一生命ビル」と28階建て「ホテルセンチュリーハイアット」が、営業を開始しました。
現在は、「ハイアット リージェンシー 東京」になっています。

雑誌『月刊食堂 』1980年10月号、「食堂情報」の項に、
「新宿第一生命ビル、八月二一日オープン 飲食テナントが営業をスタート!」
と題して、ホテル直営店舗と、新宿第一生命ビルの飲食テナントを紹介。
記事によると、ホテル直営店は、

中国料理店『翡翠宮』、和食店『賀茂川』、フランス料理店『シュノンソー』、コンチネンタルレストラン『ヒューゴス』、イタリアンレストラン『カテリーナ』、パブレストラン『トレードウインド』、コーヒーショップ『ブーロ二ュ』、メインバー『オードヴィー』、ナイトラウンジ『ラプソディ』、スカイラウンジ。

第一生命ビルの飲食テナントは、

「26F エスカイヤクラブ 会員制クラブ
9F 職域食堂(東京魚国)給食
2F 羅甸 クレープ、喫茶
1F 
柳ばし亀清楼 和食
富川 うなぎ
あかさたな 和風ラーメン
阪急茶屋 そば・うどん
和幸 とんかつ
京樽 すし
ステファニー 喫茶
1F・コンコース 
今半 和食
グルメ サンドイッチ

とあります。

ホテルセンチュリーハイアット時代に、ロビー2階のコーヒーショップ『ブーロー二ュ』は、何回か行ったことがあります。

正面玄関を入ったロビー天井から釣り下がる3つの超ゴージャスなシャンデリアを見たとたん胸が締め付けられ、以降、西新宿の超高層ビル群は、わたしにとって大都会東京の象徴となりました。

同年代の上京組は同じ想いを抱いている人がいるようで、現に似たようなことを言っているシーンに遭遇したことがあります。

出典:
『月刊食堂 』柴田書店,1980-10.P147 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2674763

銀座近鉄ビルにあった『羅甸』の内装は1970年大阪万博「富士グループパビリオン」を設計した村田豊氏。

1917年新潟生まれの建築家、村田豊氏の代表作のひとつが、1970年大阪万博の富士グループパビリオン、一度見たら忘れられないインパクトがあります。

以下のURLで見ることができます。
HP万博記念公園
https://www.expo70-park.jp/cause/expo/fuji_group/ 2025年6月26日

レストラン「キャンティ」飯倉片町本店の店内設計は、村田豊氏、

銀座近鉄ビル地下2Fの『羅甸』の店内設計、広島駅ビル2階『羅甸』の内装を手掛けたのも、建築家の村田豊氏です。他にもあるかも知れませんが、わたしが見つけたのはこの2店舗です。

参考:文化庁 国立近現代建築資料館 村田豊建築設計資料https://nama.bunka.go.jp/collection/muratayutaka/ 2025年6月26日。
「村田豊建築設計資料のうち、図面以外の資料について」
https://nama.bunka.go.jp/wp-content/uploads/2022/11/04_namaBulletin_vol2_2022_online_p38-43.pdf 
2025年6月26日。

銀座近鉄ビル地下2Fにあった『羅甸』の内装は、国立国会図書館のHPで利用者登録(無料)をすると、以下デジタル化された書籍で閲覧可能です。

『商店建築デザイン選書』8 (スナック&喫茶),商店建築社,1974. 国立国会図書館デジタルコレクションP68~71 https://dl.ndl.go.jp/pid/12873074

村田豊氏の経歴。

「建築家。1917年11月16日、新潟県生まれ。1941年、東京美術学校建築科卒業、坂倉準三建築研究所入所。1957年、フランス政府招聘技術留学生として渡仏、ウージェーヌ・ボードゥワン、ル・コルビュジエに師事。1959年、帰国、村田豊建築事務所開設。高度な構造技術を用い、独創的な形態の博覧会建築、スポーツ・娯楽施設を数多く手がけた。とくに空気膜構造を得意とし、日本における膜構造のパイオニアとして国際的に高い評価を得た。1988年2月10日没。有限会社村田豊建築事務所は、1959年に村田豊により設立され、1988年に閉鎖した。」

出典:「文化庁 国立近現代建築資料館」
https://nama.bunka.go.jp/collection/muratayutaka/ 2025年6月25日。

★少々時間がかかりましたが、長年気にかかっていたパーラー『羅甸』のことがわかってすっきりしました!