小平に中目黒から「うどんsugita」がやって来た。
中目黒の住宅街の中で営んでいた印刷会社を閉めて、2007年にうどん好きが高じて事務所を改装してうどん屋として創業した「うどんsugita」。
そのうどんに対する愛情と独創的な創作うどんの噂は風に乗り耳にしていつかはいつかはと思いながらも、願い叶わぬうちに閉店の知らせを聞く。2018年の2月のこと。
心にぽっかりと開いた穴。もっと早く行動すればと後悔しか生まれない。
その「うどんsugita」が翌年の3月にわがまち小平に建てた自宅の1階に新規にオープンしたとのニュースを目にして小躍りする。西武国分寺線の鷹の台駅から玉川上水沿いを少し西に歩いたところ。
こんなに近くにあるのならとまた近いうちにの悪い癖で余裕をぶっこぎのんびりしてたらコロナとか店主高齢の影響で休業に入るのお知らせを見てやっちまったと落ちる気持ち。
そのあと第何波かの狭間の時に営業再開されたと聞きヤッホーと向かうも閉店時間を間違えフラれたあの日の寂しさ。なかなかありつけない近くて遠い店。
そしてコロナもだいぶ落ち着いてきたここのところ、友人たちのSNSへの投稿から再開されているような気配を感じ、電話で確認もせずにチャリを漕ぎ向かう鷹の台。到着すると、やった、開いてる。
もたもたと玄関のプリーツ網戸を開きこんにちは。開いている席にどうぞと小柄で明るく朗らかなお母さんに迎えられる明るい店内。4人掛けのテーブル席が2つと窓際のカウンターに2席。カウンターに座ると窓越しに広がる玉川上水の緑。心地よく贅沢な借景。
お冷を運ぶお母さんに今日のお勧めは「牡蠣のドブ汁つけうどん」と説明を受ける中、実は中目黒に行きたいと思いながら行けず今日なんですと告白すると、お礼をされてあの頃からはだいぶメニューは減りましたけどと案内される。
確かに五色かき揚げがなくすこしシンプルなメニュー。けど、恋焦がれた「のりぶっかけ」は健在。「牡蠣のドブ汁つけうどん」(味噌仕立ての蠣と長ネギをスープ状にしています)に心が揺れるもまずは「のりぶっかけ」とそれを温玉ありでお願いする。
すぐさまに運ばれる中目黒の頃から続く突き出しの白と緑の揚げうどん。ほどよい塩気のスナックうどん。ビールが飲みたくなるも残念ながらアルコールの提供はなく、流れるAMラジオを聞きながら揚げうどんをパリボリと頬張りのんびりと待つ時間。
少しして届く「のりぶっかけ」。お盆にのる楕円の皿に盛られる緑のうどんの上にこれでもかとぶっかけられた刻みのりとその中央に鎮座する温玉。モニター越しにいつも眺めていたそれが目の前に。エースの貫禄。
脇に青のり入りの揚げ玉と青ネギとだし醤油の急須の緑が躍るお盆。鼻の中を駆け巡る磯の薫りに上がる期待。だし醤油は濃いめなので少しずつかけてお召し上がりくださいの教えの通り少しずつたらしていただきます。
引きずりだし啜る細く短い緑のうどん。変わらなければうどんに練り込まれているのは吉野川産の日本一高いという青のり。噛みしめるとモチムニと弾む弾力。そして滑る喉越し。奇をてらわない小麦と向き合う素直なうどん。おいしい。
途中青のりの入りの揚げ玉を振りかけて少しだしをかけうどんと海苔とともに頬張るとサクと気持ちの良い食感と自家製のだし醤油の旨みとともに溢れる磯の風味。
調理が終わりホールに出てきて近所に住む顔なじみのファミリーと始める楽し気で心地よいお父さんとお母さんのおしゃべりを聞きながら、食べ終わるのが名残惜しくゆっくりと少しずつ味わうそれ。
あの頃から普通のうどん屋にないメニューを作るけどでもすぐ飽きちゃうからとか、またコロナが1万人超えたら休業するよとか。やっぱり歳には勝てなくて疲れちゃってなんて話。
そのファミリーが店を出て気づくと最後の客。
お会計の時にお父さんと少しお話しできました。素朴に聞きたかった「なぜ小平」に。その答えが小平にあるあそことここのうどん屋の店主と市境にある僻地のうどん屋の店主に小平においでよと誘われたからここに家を建てたんだと。
ナイスプレー。なんだかとてもうれしい話。そのほかにもうどんのことをいろいろと聞けました。元気で楽しそうでこちらもとても楽しくなる。このあたりのうどんのことも知っていてうどんの重鎮という感じ。
疲れちゃってといいながらうどんへの愛がほとばしる70歳。無理せず長くお願いします。ごちそうさまでした。