しあわせの一杯
1980年代中頃、チェロを習うため、洗足池の先生宅に通っていた。彼女のご主人が、NHK交響楽団のバイオリニスト、駄洒落が大好きな飲んべえで、レッスンの後、何かと理由をつけ飲ませていただき、音楽談義をしていた。その彼があるとき 「僕は日本酒専門なので、ウイスキーとか飲まない。もらい物が溜っているので、勝手に持って帰ってよ」 と、在庫を見せてくれた。内外ウイスキーや、珍しいジンに混じって、古ぼけた《グレンリベット12年》の輸出用 1リットル瓶が目に入った。「これは、どうされたのですか」 「ああ、20数年前、N響が初めてアメリカに行ったとき、記念に免税店で買ったんだ」。それ以前に、シングルモルトの魅力を知り、目白の田中屋に行っては、タリスカーやら何やらを買い漁っていた私は仰天して、その1リットル瓶を奪うように、本八幡の安アパートに持ち帰った。グレンリベット35年モノ!!
「筆舌に尽くしがたい」 とは、その味だった。ここでは、筆舌に尽くせぬながら、味わいについて多少のコメントは必要だろう。市販の古いモルトも飲んだことはあるが、それとは印象が異なり、決して重厚でなく、爽やかで海から風が吹くような嫋々たる雰囲気。口に残るその香りたるや! まさしく「しあわせの一杯」 。 大事に大事に飲む。でも、いつしかボトルは空に。その空しさも「筆舌に尽くしがたい」ものだった。こんな経験は二度とできない…。
それからおよそ20年、神保町に《バー・プラット》(注1)がオープン、店主がお酒に詳しいので通い始めた。何度か顔を出し、馴染みになったところで、店主(伊藤さん)に、上記の思い出話をして、「この世で最高の酒は、20年以上瓶内熟成したモルトだぜ!」とオダを上げた。すると彼はおもむろに、店の奥から古い汚れたボトルを持ってきた。
それは同じグレンリベットでも、ゴードン&マックファイル社謹製「ライオン・マーク」の10年だった。彼自身は酒を嗜まないのだが、オールド・ウイスキーの真価を知り、貴重なヴィンテージ・モルトをオークションで落とすのだそうだ。そのボトルは、ラベル表記からだいたい1960年代ものと分かった。つまり、50年前の瓶詰め!しかし飲む前に、「ワンショットいくら?」と質問するのを忘れない。彼は、シングルショット4000円程度で飲ませてくれたので、毎回ボトルキープのようにカウンターの前に瓶を置き、一人で一本空けてしまった。ボウモアの30年が34万円(!)で売られていることを考えれば、信じられない値段だった。そして「筆舌に尽くしがたい」を凌駕する経験。伊藤さんには深く感謝している。
瓶が空く前、美人を連れて行った。伊藤さんは彼女と楽しそうに話をしている。こっちは手持ち無沙汰で、その薄汚れたグレンリベットのボトルをハンカチできれいに拭いていると、それを見た彼が「な、なんてことするんですか!」と血相を変えた----深く深く反省しています。
「ウイスキーは一旦瓶詰めされると、それ以上良くはならない。基本、劣化することはないが、瓶を長期間保存するのは、意味がない」と述べるのは 「歌わず踊らず、ひたすらウイスキーを飲む」 マイケル・ジャクソンだが(注2)、それは大きな間違い、あるいは、熟成という言葉の定義の違いだろう。ヴィンテージ・モルトの栓が抜かれると、美しき天使が長い眠りから覚め、グラスに注がれ、さらに魔法の水が数滴注がれると、彼女は私たちの前に姿を現すのである-----どこかで見たようなキザなフレーズ、こんな駄文の締めくくりには、合わんですな。
(注1: 白山通りに面した地下、極めて静かな空間。ジャズではなく、静かなバロック音楽、それもバックグランド用の有名曲ではなく、マラン・マレーのガンバ曲や、レオポルド・ヴァイスのリュート曲が静かに流れ、とにかく心が落ち着く。飲み過ぎると、心もなにもなくなるけどね)
(注2:page 17 from: Michael Jackson’s Malt Whisky Companion。どういうわけか、日本語版では、まったく違う記述/文脈となっている)