それは、北関東人の血液とも喩(たと)えられる魂の源泉。栃木県は宇都宮を発祥とする『ステーキ宮』の看板商品にして、地元を離れた栃木県人の冷蔵庫にはなくてはならないマストアイテムだと云(い)う。
その汎用性はステーキ、ハンバーグなどの肉料理だけでは終わらない。サラダによし、ギョーザやチャーハンパスタにもよし。果てはおひたしや納豆のご相伴にも与(あずか)かっては、素材のポテンシャルを極限まで引き出すと噂される、究極のユーティリティタレーヤー。まるで手かざしをすれば病気を治してしまう聖人のように、どんなものでも美味しくしてしまう“奇跡のたれ”なんて評判が聞こえてくる。
「肉なんて飾りです。宮はたれなんです。たとえスーパーで叩き売られている激安肉でも美味しくしてくれる。それが宮のたれなんです」
ツクイさんの言葉の意味は、実際に店へ足を踏み入れて3秒で理解した。レジ横に設置された“宮のたれ専用冷蔵庫”の輝き。スーパーでも売っている使い切りタイプとは違う。容量500gボトルタイプが鎮座する圧倒的な存在感。20年前から販売しているという「宮のたれ」は、公式HPの特設コーナーでオリジナル料理のレシピを公開され、今しがた腹いっぱい食べたばかりの人たちがレジで家庭用に買っていく、店でも外でも必要な万能たれ。
よく見れば「宮のたれチップス」なんてお土産まである。もはや栃木名物なのか。「ぎょうざ・かんぴょう・宮のたれ」。なんなのだ。宮のたれとは一体、なんなのだ。
熱を帯びて真価を発揮。何でも受け入れる包容力
その正体を探れば、材料はタマネギとニンニクに醤油と酢のみと、至ってシンプルな組み合わせ。しかしこれが約3週間じっくり寝かせて熟成されることで唯一無二の「宮のたれ」へと変貌する。非加熱で保存料も使わない、7割がおろしの野菜だという“生のたれ”は、ノーマル状態では酸味がありながら、ニンニクが効いた一見サッパリ和風系だ。
これを迎え撃つは、宮ハンバーグに宮ロース、てっぱんステーキなど宮自慢の肉ラインナップ。ワゴンに乗ってやってくる彼らは舞台に上がるその直前、宮仕え(店員)の手によってたれを全身で浴びる。アツアツに熱せられた鉄板の上、ジュワワと湯気を上げ、生命を得たかのように飛び回る。ああ、これぞステーキ屋が誇るエンターテイメント。熱を得た野菜は元来持つ甘みという名のポテンシャルを解き放ち「宮のたれ」はまったく別の妖艶な顔を覗(のぞ)かせる。
気がつけば、ジャバジャバジャバ、が止まらない。店ではこのタレはかけ放題飲み放題。以前は注文時に「タレは最初に2つもってきてくれ」と頼む人が後を絶たなかったと聞くが、現在は試行錯誤を重ねた末にソースバーへと発展した。ちなみに『宮』にはサラダ、ライス、スープ、ドリンクと5つのバーがあり、そのどれもべらぼうにレベルが高い。サラダは定番野菜に加えロマネスコやかぼちゃに豆、チキンなどが大きめゴロゴロ。彩り豊かなチョップドサラダ。“飲むサラダバー”の異名をとるスープバーにお茶系だけで24種類を誇るドリンクバー。存在するだけで素晴らしいライスだってそう。
それらはすべて、染まるのだ。見目鮮やかなサラダも。ごはんですらも。『宮』のたれはやさしく包み込み、そっと寄り添ってくれる。
この味こそふるさとの味。照英が泣いた味。たれは決して安くはない。だけど、肉の質を落としてでもツクイさん買うという。「しょうゆだってそういうもんでしょ」
『ステーキ宮』の出店数は栃木よりも、2009年に合併したアトムの本拠地、愛知県がこの数年で逆転した。名古屋の味噌文化をも宮が染めたとしたならば、再び照英は泣き、やがて世界は宮色に染まるだろう。
文=村瀬秀信
※本稿は月刊『散歩の達人』2021年3月号の記事に加筆修正したものです。