経堂の発展とともにあった『キムラヤ』
『パン工房キムラヤ』があるのは、小田急線経堂駅の北口を出てすぐ、すずらん通り商店街。このすずらん通り商店街が含まれる通りは、駅を挟んで南側の農大通り商店街につながっていて、かなり長い。歴史も古く、商店街が発足したのが60年ほど前なのだが、さらに歴史をたどると、街道として室町時代から使われていたのだ。
そんなすずらん通り商店街にある『キムラヤ』ができたのは、1951年。それ以前は、現店主の山井博幸さんの祖父、曽次さんが祐天寺でベーカリーをやっていたのだが、太平洋戦争でいったん新潟に疎開。終戦後に経堂にやってきて、今の店を始めたのだという。
『キムラヤ』を名乗るベーカリーは、『銀座木村屋』で修行した人が始める暖簾分け店が多いが、曽次さんは『木村屋』で働いておらず。当時、共同で店をやっていた人が木村屋出身だったため、『キムラヤ』としたそうだ。
経堂自体の歴史を紐解くと、小田急線経堂駅ができたのが昭和2年(1927)。当時は農村地帯で住む人も少なかったが、戦争を経て1947年に東京農業大学が移転し、翌年に鷗友学園が開校すると、じょじょに人が増え始めた。さらに60年代になると、周辺に団地や都営住宅が建設され、人口は一気に増えた。曽次さんが経堂でベーカリーを始めたのは、アタリだったのだ。
お客様とのふれ合いを大切に
60年代には博幸さんの父である2代目、勝弘さんも店に入って手伝うように。当時は従業員も7、8人雇って、店舗販売だけでなく近辺の会社や駅構内で、出張販売も行っていたそうだ。
その後、現店主の博幸さんがパンの専門学校を経て、1987年、20歳で店に入る。博幸さんによれば、当時はまだ商店街も元気だったが、駅前の商業施設が充実してスーパー、コンビニエンスストアが増えだすと、じょじょににぎやかさも減っていったという。しかし、それでも『キムラヤ』は多くの地元客に愛されている。それは、ただパンを買うだけではない魅力があるからだ。
「商店街の個人店というのは、お客様と会話をして、コミュニケーションをとれるのがいいところなんです。それがなければ、商店街でやっている意味ないですよね。うちは積極的に話しかけて、人とのふれ合いが持てるようにしています」(博幸さん)
『キムラヤ』に来るお客さんを見ていると、そのほとんどが地元の人。そしてたいていが会計のときに、店員さんとあれこれと話をしている。天気のことや家族のこと、そして地元、経堂のこと。こういう光景は、スーパーやコンビニではあまり見ることはない。『キムラヤ』の魅力は、まさしく町パンの魅力。ふれ合いがあるからこそ、人はそこに足を運び、またパンのおいしさも一層、感じられるのだ。
スタンダードなパンがうまい!
また、地の利もある。南側の農大通り商店街は人通りこそ多いが、学生がほとんどで地元住民は少ない。店舗はチェーン店ばかりとなる。一方のすずらん通り商店街は住宅街が近く、買い物をするのは近隣住民。地域密着が売りの町パンは、明らかにすずらん通りのほうが商売しやすいのだ。70年前、ここに店を開いたのは、つくづく正解だったのである。
それもあってか、『キムラヤ』のパンはなじみ深いラインナップになっている。懐かし系でいえば、チーズクリームを挟んだトライアングル170円、魚肉ソーセージを巻いて揚げたおさかなソーセージ180円(別名ロケットパン)、シベリヤ240円が揃っているといえば、好きな人はたまらないのではないだろうか。
そしてこれまた定番のコロッケコッペ260円はずっしり重く、かなり食べごたえがある。ソースをまとったコロッケとシャキッとしたキャベツ、それにほんのり甘くフカフカのコッペパンが合わされば、至極のうまさ。町パンの素晴らしさをあらためて感じる。
おいしいだけではなく、そこにはふれ合いがある。『キムラヤ』は日本の商店街の、そして町パンの良さを体現したベーカリーなのである。
取材・撮影・文=本橋隆司