1972年創業、神楽坂の洋食の老舗
JR飯田橋駅を出てお濠を渡り、次いで外堀通りを渡ると、正面に少し見上げるような長い坂道が現れる。ここから数百メートルが、江戸時代から地名のある有名な神楽坂。両脇にはお店が隙間なく並び、歩道には沢山の通行人がビジネス街のそれとは違ったゆったりしたスピードで歩いている。
いつ来ても不思議に懐かしさを感じるのは、チェーン店の中に同じくらいの数、そこで生活している方の存在を感じるようなお店がきちんとあるからかもしれない。雑貨、瀬戸物、草履、和菓子にそば屋。昔から住民に寄り添って営業を続けてきたことがわかる老舗が並んでいる。
『トレド』も、そんなお店の1つ。外堀通りから神楽坂を登り、わずか1分ほどのところに看板を見つけることができる。
店内に入ると座席は全部で20席ほど。カウンター席が中心だがグループで来ても楽しめるテーブル席も用意されている。
トレドの開店は1972年。奥様の勝子さんのご実家(鶏肉販売店)で働いていた楯夫さんが、勝子さんと共に始めたお店だ。開店当初からこの場所で営業を続けてきた。「実家がやっていた雀荘のお客さんに食事を出すことから始めたお店です。いろいろな方に指導はいただきましたが、特に修業することなく、料理はすべて自分で考えました」とご主人の矢留楯夫さん。
奥深くまろやかに広がる継ぎ足しの味
今回注文したのは、これも大人気メニューの1つ、継ぎ足しカレー。お店の開店の時から「継ぎ足し」で出され続けてきたメニューだ。「継ぎ足し」は、お店のあった場所に新しくビルを建てるため2009年にいったん閉店したため、一度中断。当時はテレビや新聞で「37年継ぎ足しカレーに幕!」と大変な話題になったという。その後2011年に営業を再開。再び継ぎ足しの歴史が新しく続いている。
出てきたのは、お皿に盛られた真っ白なご飯。そしておなじみの器に盛られたカレーのルー。いただきます。
まず感じるのはやさしい深み。もちろんしっかりとスパイスは効いているのだが、それを包み込むようにまろやかな旨味が広がる。食べた途端に次の一口を身体が求める。そんな食欲が自然にわいてくる味。いくらでも食べられそうだ。
「実は継ぎ足しカレーができたのは、お店の事情がありました。日替わりで仕出し弁当を出していたのですが、日替わりですから次の日に出せません。その点カレーは次の日でも出せる。だから日替わりを積極的にお客さんにおすすめして、カレーは継ぎ足す。こんな事情で生まれました」と楯夫さん。
このまろやかさと深みはもちろん継ぎ足し効果も大きいが、バナナやマンゴー、リンゴや野菜など17種類が投入されているという。素材を注ぎ足された「親カレー」に混ぜることで、このどこにも真似ができない奥深いカレーの味ができあがっている。
“大人のお子様ランチ” トルコライスも人気
昼食時には、近隣の学生を中心に満員。「みんな食べたいものが違うから注文もバラバラ。これがけっこう大変でねえ」と言いながら何ともうれしそうな表情の楯夫さん。継ぎ足しカレーのほかにも、オムライス、トンカツ、ナポリタンとカレーがワンプレートで盛られた“大人のお子様ランチ” トルコライスも人気だ。
「ただ、以前は大学の先生と生徒、あるいは3、4人の仲間が連れ立ってきてくれる人が多かったけど、最近は1人で来る方が増えましたね」とお客さんの変化にはちょっと寂しそうな表情も。
お話の最中のご主人、毎日共に働く勝子さんのことが世の中で一番大切な存在であることが、言葉の端々から伝わってくる。「これ見てよ、誰だと思う?」とスマホの画面。「え、なんかすごいキレイな方ですね」「でしょ、これね、うちの奥さんの若いとき」と楯夫さん。
「お店が終わった後、奥さんの肩、背中をもむのが日課。おかげでほら、この力こぶ、すごいでしょ」と幸せの力こぶを見せてくれる。この腕で作られる料理は絶対旨いはずである。お隣の席にはニコニコと笑う勝子さん。堂々としたのろけっぷりである。この幸せオーラに触れるだけでも、お店にやってくる価値が十分にある。
「この記事を見て、昔来てくれたお客さんに今の私たちの元気な姿が伝わればうれしいね」と楯夫さん。トレドファンの皆様ご安心を。まだまだ絶好調のご様子でした。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=夏井誠