桜博士 勝木俊雄
かつきとしお/森林総合研究所所属。専門は樹木学、植物分類学、森林生態学で、約30年にわたりサクラの分類と保全の研究に取り組んでいる。著書に『桜』(岩波新書)、『桜の科学』(サイエンス・アイ新書)などがある。
サクラから見えてくる地域のヒストリー
サクラを研究対象として扱うようになって30年以上になり、最近では樹木医と接する機会が増えて、全国の様々なサクラを見てきました。そうしたなかで印象に残るサクラとは、いずれもその地域や関わった人の歴史を伝えてくれるものです。
‘染井吉野’はたしかに美しい栽培品種なのですが、若木の姿はどれも同じでおもしろ味に欠けます。しかし、開成山の桜やがいせん桜のように樹齢100年を超えてくると、凸凹した幹からこれまでの成長の過程や訪れた障害が読み取れますし、管理に関わった方々の話をあわせて聞くと、おもしろいことこの上ありません。
また、桜川市の桜のように平安時代からの歴史をもつサクラの名所では、数百年スケールでのサクラと人との物語を知ることができます。平安時代に紀貫之がどのような思いで桜川の歌を詠んだのか、江戸時代に徳川光圀が桜川をどのように見たのか、話題に事欠きません。
一方、野生のサクラはさらに長い時間の物語を教えてくれます。私が名づけたクマノザクラは、紀伊半島南部だけに分布する野生種の一つで、カスミザクラに近縁です。遅咲きで寒冷な気候に適応していたカスミザクラが、おそらく数万年以上の時間をかけて、早咲きで温暖な気候に適応したクマノザクラに分化したと想像されます。
また、現在研究しているツクシヤマザクラはまだその詳細がはっきりしていないのですが、ヤマザクラが九州南部で分化したものと思われます。トカラ列島のものは典型的な形態を示していますが、屋久島や種子島のものは変異が大きく、どのような分化の過程を経てこのような形となったのか考えると、興味が尽きません。
もちろん、単純にきれいなサクラの花を楽しむお花見もいいのですが、個々のサクラをよく観察して、地元の人などから話を聞くことからその地域の歴史を知ると、よりお花見を楽しむことができるでしょう。
勝木さんの「地域のヒストリーが見える桜」5選
開成山の桜 (福島県郡山市)
明治9~11年(1876~1878)に植栽された記録が残る染井吉野。幹が現存する最も古い染井吉野である。
●東北新幹線郡山駅からバス10分の郡山市役所下車すぐ
桜川市の桜 (茨城県桜川市)
平安時代から知られるヤマザクラとカスミザクラの名所。国の名勝・天然記念物に指定されている。
●JR水戸線羽黒駅下車ほか
がいせん桜 (岡山県新庄村)
日露戦争の戦勝記念として、明治39年(1906)に植栽された染井吉野。出雲街道の宿場町の面影を伝えている。
●JR姫新線中国勝山駅からバス40分の新庄村役場下車、徒歩2分
池野山のクマノザクラ (和歌山県古座川町)
2018年に発表された新種・クマノザクラのタイプ木が存在する地。常緑樹林の中に3月上旬からクマノザクラが咲く。
●JR紀勢線古座駅から車10分
諏訪之瀬島のツクシヤマザクラ(鹿児島県十島村)
ヤマザクラの変種であるツクシヤマザクラの南限地。鹿児島県の天然記念物に指定されている。
●九州新幹線鹿児島中央駅から車15分の鹿児島港で船に乗り換え、約10時間の切石港下船(諏訪之瀬島)
写真・文=勝木俊雄
『旅の手帖』2024年3月号より