テーマパーク鎌倉をざっくりつかむ5エリア

鎌倉は意外にひろいが、一般的に散策と対象となるのは下記の5エリア。まずはその範囲と特徴をざっくりおさえておこう。

北鎌倉/建長寺や円覚寺のある静謐な寺町

鎌倉五山の建長寺円覚寺、さだまさしが歌った縁切寺・東慶寺を擁する静謐でストイックな寺町エリア。食事処もカフェも落ち着いた雰囲気で素敵。アップダウンが厳しく、トレッキングシューズのお坊さんを見かけたりする。

円覚寺山門。
円覚寺山門。

鎌倉駅周辺/小町通りは原宿の賑わい

小町通り、若宮大路、鶴岡八幡宮、御成通り。つまり鎌倉で最も人が集まるエリア。買い食いの楽しめる店、食事処、みやげ物屋が多い。昼間は観光客で埋め尽くされるが、夜は仕事帰りの勤め人が小町通りの裏路地や御成通りの酒場で疲れをいやす。

太鼓橋越しに見る鶴岡八幡宮。
太鼓橋越しに見る鶴岡八幡宮。

大町・材木座/いわば鎌倉の良心

交通の便が悪いおかげで、観光地化されずに残った、いわば鎌倉の良心(とはいっても他が悪いわけではないが)。寺も多いが地元御用達の商店も多い。玩具店『アメリカ屋』は閉業してしまったが、コロネパンの『日進堂』はは健在。是非!

「完璧な佇まい」だったアメリカヤ(2019年で閉業)。
「完璧な佇まい」だったアメリカヤ(2019年で閉業)。

金沢街道/ツウな方はこちらへ

ツウ好みの観光地であり閑静な住宅地。竹林の報国寺、苔の杉本寺、ストイックな瑞泉寺などを擁する。観光地化されてない雰囲気を求めて観光客が押し寄せるという矛盾をはらんでいる。

竹林で人気の報国寺。
竹林で人気の報国寺。

長谷・由比ガ浜・極楽寺/ハワイに仏教来たってよ

江ノ電沿線の海沿いエリア。大仏とサーファーと鎌倉文士がごちゃ混ぜのカオス感にあふれ楽しい。大仏さまのおかげでザ・みやげ物屋もドンと構えている。ひとことでいうと、ハワイに仏教が伝来した感じ?

以上。どこを切っても他所にはない楽しい街の集合体、それが鎌倉なのだ。

長谷の大仏前のみやげ物屋『山海堂』。
長谷の大仏前のみやげ物屋『山海堂』。

鶴岡八幡宮とおすすめのお寺たち

鎌倉と言えば神社仏閣。とりわけボス的存在なのは鶴岡八幡宮である。源頼義が源氏の氏神・京都の石清水八幡宮を由比ガ浜に祀ったのが始まりとされ、5代後の頼朝が現在の場所に移し、幕府をひらいてからは鎌倉の街づくりの中心に据えたと言われる、揺るぎなき鎌倉のシンボルである。

国の重要文化財である本宮、静御前が舞った舞殿、頼朝が政子の安産を願って造った段葛、太鼓橋がかかる源平池など見どころ満載。白旗神社(学業)、大銀杏(健康)、政子石(安産)とパワースポットも豊富。さらに坂倉準三設計の鎌倉文華館鶴岡ミュージアムと2019年に併設されたいいカフェも必見。一日中楽しめる。

鶴岡八幡宮の舞殿と本宮。
鶴岡八幡宮の舞殿と本宮。
鎌倉文華館鶴岡ミュージアム。
鎌倉文華館鶴岡ミュージアム。
源頼朝により日本史上初の武家政権が樹立され、鎌倉がその中枢の地として選ばれた。なぜ鎌倉が選ばれたかについては、この散歩シリーズの第1回目で触れているので、ぜひ参照してほしい。現在も鎌倉に足を運べば、過去の歴史を伝える遺構や遺物とともに、人々が暮らしている光景と触れ合える。それだけに、街中のいたる所で当時の姿を思い起こさせてくれるのだ。同じように市中に多くの史跡が点在する京都と比べると、鎌倉は見どころが集約されているのもうれしい。今回は、そんな鎌倉らしいコンパクトな史跡巡りを、堪能してみることにしよう。

そのほかにも神社仏閣だらけの鎌倉だが、ここではいくつか特徴のあるところを挙げておこう。

長谷と言えば、大仏長谷寺が有名だが、光則寺も捨てがたい名刹。朱塗りの山門は小規模ながら美しく、境内に入れば桜、カイドウ、ツツジ、フジとまさに花の宝庫。あじさいもオリジナルで栽培され驚くほど種類豊富に楽しめる。

一年中花が楽しめる光則寺。
一年中花が楽しめる光則寺。

苔の寺では杉本寺が有名だが、妙本寺の階段はさらにワイルド。苔とシダの掛け合いが楽しめる。

妙本寺の苔階段。
妙本寺の苔階段。

参道を江ノ電が横切る御霊神社もいい。高台にある本堂から一望できる風景は味わぶかく、「散歩の達人」の表紙を飾ったこともある。

御霊神社の境内から見る江ノ電。
御霊神社の境内から見る江ノ電。

金沢街道方面では唯一鎌倉時代の岩の庭園が残る名刹瑞泉寺にも是非。あの庭園は少々ストイックすぎる気もするが、男坂と女坂に分かれる石段の風情は一見の価値がある。本堂が美しい覚園寺で樹齢600~700年のマキも見ていただきたい。

瑞泉寺の庭園は名園中の名園だが、その良さがわかりにくいのが残念。
瑞泉寺の庭園は名園中の名園だが、その良さがわかりにくいのが残念。

マニアックにプラスαを楽しむなら、大賀ハスを見ながら精進料理が味わえる光明寺(3日前までの予約)、そして鎌倉には珍しい枯山水を愛でながらお抹茶を味わえる浄妙寺がおすすめだ。

ワイルドな切通しとハイキングコース

頼朝が鎌倉に幕府を置いたのは、山に囲まれ攻められにくい地形だったからといわれている。その山を切り開いて、的に攻め込まれぬようあえて細く造った道が切通し。この切通しがいいのである。特に鎌倉と外界をつなぐために開かれた道は鎌倉七口と呼ばれ、中世の空気を今に伝えている。

散歩的におすすめなのは、藤沢方面に抜けるワイルドな大仏切通し、古道感のある景観が楽しい朝夷奈切通し、防御のための置石もある名越切通し、勾配が急で「本当に切通したの?」と苦言を呈したくなる化粧坂切通しの5つ。

大仏切通し。
大仏切通し。
朝夷奈切通し。
朝夷奈切通し。

七口ではないが、釈迦堂切通しは中世の手掘りトンネルで、どこかの惑星のようなすごい景観だが、がけ崩れで道が閉鎖中なのが残念無念(再開通熱望!)。

また鎌倉は山に囲まれた地形を生かしたハイキングコースが整備されている。

特におすすめなのは天園ハイキングコース。建長寺から天狗のいる半蔵坊、絶景の勝上献、十王岩、百八やぐら、大平山(鎌倉最高峰地点)から瑞泉寺へと降りる全長5㎞のコースだ。

葛原岡ハイキングコースもおすすめ。浄智寺から葛原岡神社を経て、源氏山公園、化粧坂切通し、錢洗弁財天、佐助稲荷、そして大仏(高徳院)とおいしいところ取りの約3㎞。ハイキングしながら名所めぐりできるのも鎌倉のいいところ。

ここでお金を洗うと何倍になるといわれる錢洗弁財天。
ここでお金を洗うと何倍になるといわれる錢洗弁財天。
北鎌倉駅から建長寺方面へ。平日だというのに観光客が多い。横須賀線の踏切を渡るとその先は建長寺。寺に行く手前の路地に入ると、観光客は誰もいなくなった。緩い舗装の坂道を上がっていくと七口の一つ、亀ヶ谷坂切通しに差し掛かる。頼朝の時代、北部から鎌倉に入るルートはここだけだったようだ。切通しの一番高い峠付近は、岩壁が露出している。そこの岩をくりぬいて六地蔵を祀ってあった。住宅地へ下りて、次は化粧坂切通しへと向かう。化粧坂は現地の石柱には 「假粧坂」 と刻まれていた。仮の旧字だが、切通しにはこの旧字が似合うような気がする。滑りやすい岩の坂を上がり切る。左に行けば頼朝像のある源氏山公園、右に行けば銭洗弁天だが、道を横切直進すると、かなり急な下り道。 ここが七曲りといわれる化粧坂の坂だが、あまり歩かれてはいないようだ。坂道を下りると民家の脇に出る。また住宅地の中を歩いて佐助稲荷神社へ。本殿の裏手から急坂を上がると大仏ハイキングコース。アップダウンを繰り返してコース終盤、大仏隧道(ずいどう)へ下りる手前から大仏切通しへ入る。道を整備したので今は入り口もわかりやすいが、以前は入り口を探すのにも苦労したものだ。木の階段を上がって進んでいくと、両側が切れ落ちた岩壁。切り通しの見本のようなものだ。いつ来ても七口こそが、鎌倉が鎌倉である証しと思ってしまうのは筆者だけだろうか。鎌倉駅からバスに乗って朝比奈バス停まで移動。朝夷奈切通しを歩き、巡礼古道から名越切通しへ向かうルート。県道から朝夷奈切通し方面に行く道に入り、横浜横須賀道路を潜(くぐ)り抜けて行くと、そこは800年の時空を超えた世界への入り口である。道はまっすぐではなくやや曲がりながら先へと通じている。両脇は崖のようになっている、まさに掘削した切通し。最初に小切通しという切通し。両脇を岩肌で囲まれ、今にも武者が出てくるような雰囲気がある。その先の市の境界線上にある峠には、大切通しと呼ばれるグッとくる切通しも出てくる。六浦と鎌倉幕府を結ぶこの道は、七口のなかでも物資を運ぶ最重要道だったようだ。六浦からは塩なども運んだ生活の道でありながら、防御の道でもあったので、切通しの上には敵を討つための平場が存在した。峠からは下りにかかる。道はわりとまっすぐで道幅も広い。これは鎌倉時代から年月を経た後、主に輸送を考えて広げられたように思える。三郎の滝へ出て、ようやく時代を下り現代の住宅地へと戻ってきた。その後、報国寺の手前から巡礼古道と呼ばれる、かつては杉本寺から逗子市の岩殿寺へ通じる古道から、名越切通しを通り鎌倉駅へと戻った。七口に代表される800年ほど前の過去と現在が隣り合わせに存在する鎌倉。過去と現在を行ったり来たりできる、まるでタイムマシンのような古都ではないか。
1192年=いいクニ作ろう鎌倉幕府。日本史上初の武家政権である鎌倉幕府の始まりは、このようなめでたい語呂合わせで覚えこまされた。しかし近年、1185年=いいハコ作ろう鎌倉幕府、というように変わっている。というのも幕府の政治体制は、源頼朝が以仁王(もちひとおう)の令旨を受け挙兵した治承4年(1180)から整えられていった、そう見るのが妥当と考えられるようになったからだという。この年には、幕府の主要機関となる侍所(さむらいどころ)が設置された。その初代別当に和田義盛を起用。こうして頼朝を頂点とした「御恩と奉公」という武家政権の形が、少しずつではあるが定まっていき、東国中心だった頼朝の支配体制が、ついに西国にまで及んだのが文治元年(1185)。そのため、この年が鎌倉幕府成立年とされたというわけ。 そんなこむずかしい話はともかく、歴史は時代とともに解釈が変わるもの。それでも、歴史的な事件が起こったとされる“現場”に足を運ぶのは面白い。そこで好調なスタートを切った大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にあやかり、鎌倉幕府の黎明期にまつわる魅力的な現場を、少なくとも13カ所以上は巡ってみましょう!

徒歩ときどき江ノ電

鎌倉の移動手段としてもっとも使えるのは徒歩である。バスは本数も多いし、網羅度も高いが、鎌倉の道は込むから、休日は時間が読めない。もちろんタクシーも同様。だがしかし、江ノ電だけはやはり捨てがたい魅力がある。

 

和田塚あたり。
和田塚あたり。

江ノ電がいい理由。それはまず車輛のデザインである。「佇まい」という言葉をあえて使いたくなるほどの擬人化された顔。

そして車窓からの景色。稲村ケ崎から腰越あたりまでの海沿いを走る景色は圧巻。鎌倉高校前や、七里ガ浜の踏切などフォトスポットも豊富だ。

稲村ケ崎あたり。
稲村ケ崎あたり。

歩いた方が早いのではと思うようなスピード感もいい。和田塚や腰越あたりの民家を縫うように走るとき、本当に散歩してる気分になる。

都電荒川線も東急世田谷線もいいが、江ノ電が相手では分が悪い。

腰越あたり。
腰越あたり。

うまいものも多いよ!~グルメ&カフェ

鎌倉グルメは多すぎて選べない。いかにも観光客向けの店から、地元民御用達の定食屋や中華、やや高めの和食やフレンチまで、とにかく数も種類も多い。ここでは朝昼晩と時間帯に分けて編集部厳選のおすすめを。

まず朝食。レンバイ(鎌倉市農協連即売所)にあるベーカリー『パラダイスアレイ』なら間違いない。極上のハードパンのモーニングが600円でいただける。江ノ電を見ながら厳選卵かけご飯や絶品干物を楽しむ『ヨリドコロ』も最高だし、『福日和カフェ』で発酵朝食やおむすびプレートもいい。

『ヨリドコロ』の朝定食。
『ヨリドコロ』の朝定食。
海と山に囲まれた自然あふれる街、鎌倉。にぎわいを見せる日中とは対照的に、この街の朝はのんびり牧歌的。店主と地元の人々が挨拶を交わす傍らで朝日を浴び、こだわりが詰まった朝ごはんでその日の英気を養う。そんな朝ごはんとともに一日の始まりを迎えられたら、きっといい一日になるような気がする。江ノ電エリアの5店を紹介。

ランチ。最近の鎌倉はなぜかカレーの旨い店が多い。『香菜軒 寓』は店内3席+テラス席という秘密基地のような店。植物性食材のみのインドカレーとプーリーの相性が抜群。和田塚の『鎌倉バワン』は、ビリヤニも日替わりカレーもバカうまい本格派。『Latteria BeBè kamakura』のピッツァもおすすめだ。チーズ工房併設で、薪釜で焼き上げる正真正銘のナポリピッツァを楽しめる。

 

『鎌倉バワン』のビリヤニ。
『鎌倉バワン』のビリヤニ。
鎌倉には、イタリアンから和食、カレー屋さんまで、ジャンルを問わず多様なお店が軒を連ねている。それぞれのプロフェッショナルが地元鎌倉の食材をふんだんに使い振る舞う料理はどれも一級品ばかり。そんな店主のこだわりの詰まった絶品ランチをご紹介。
実は隠れたカレー激戦区、鎌倉。カレーと古都。一見、相異なるもの同士がコラボすると、いったいどうなる? ただ旨いだけじゃ物足りない、「鎌倉ならでは」の個性派店を厳選してみました。

せっかく鎌倉なんだから和食をという向きには、北鎌倉の『こころや』。旬の刺し身や食材を使った料理がたのしめ、一つひとつがしみじみおいしい。日本酒も店主自ら酒造を回って見つけてきた銘柄が揃う。『和処 大むら』は地元民御用達。ランチは海鮮丼、とんかつ、魚フライ盛り合わせ、どれもうまくでボリューム満点で大満足。夜はコース中心となる。

この店のためだけに鎌倉に通う人もいる『こころや』。
この店のためだけに鎌倉に通う人もいる『こころや』。

カフェも多いが、やはり北鎌倉の『喫茶ミンカ』は外せない。昭和初期の古民家を改装し、無駄なものを廃した鎌倉らしい質素な空気感。小町通り脇の『ヴィヴモン・デモンシュ』は日本のカフェ文化をけん引してきた一軒。スペシャルティコーヒー、トロトロオムライス、ブラジル音楽、タイル張りの床と、いつも完璧でいつも込んでいる。

北鎌倉の『喫茶ミンカ』。
北鎌倉の『喫茶ミンカ』。

北鎌倉『綴』は白日夢のような店。駅徒歩10分程度だが、住宅地を抜け、急な階段を上っていく……のだがなかなか着かない。「本当にこんな場所にあるのかな」と思ったころに到着する個人宅を改装した空間で飲むコーヒーは銀座の名店さながらに本格派なのだ。

古都・鎌倉。お寺や神社が点在し、ゆったりとした時間の流れる街並みは、ぶらりと散歩するだけで心洗われる気分になる。ほっとひと息つきたくなったら、地元に根ざすカフェに立ち寄ろう。日本庭園の広がる和喫茶からレトロ感たっぷりの古民家カフェまで、趣深い名店たちをご紹介。

文学と映画の芸術の街

鎌倉文士という言葉があるとおり、古くから文学者に愛された街である。大佛次郎、里見弴、小林秀雄、川端康成、江藤淳、澁澤龍彦、吉田秀和、立原正秋、高橋源一郎、柳美里と枚挙にいとまがない。おかげで古本屋も多いが、その代表格は由比ガ浜大通の『公文堂書店』。地元で仕入れて地元の顧客に売る、いまや貴重な普通の古本屋さんである。対局にあるのが『鎌倉_今小路ブックストア』や『古書 アトリエ くんぷう堂』などニュータイプの古書店。どちらも鎌倉らしさがある。『島森書店』『たらば書店』などの地元の新刊書店が頑張っているのは頼もしい。

『鎌倉_今小路ブックストア』。
『鎌倉_今小路ブックストア』。

出版社も二つあり、鎌倉文士が協力して伊藤玄二郎さんが創業した鎌倉春秋社、学術書出版社出身の上野勇治さんが創業した港の人。どちらも商業主義に偏らない良本を送り出している。

小津安二郎、原節子など映画人が暮らしたことも有名。東宝東和を設立し、数多くの名作を日本に紹介した川喜多長政、かしこ夫妻の旧居は『川喜多映画記念館』となっている。

ほかにも、里見弴の旧居は『西御門サローネ』、美人画家・鏑木清隆の旧居跡は『鏑木清隆記念美術館』となっていて、熟年層に大人気のスポット。

上映会も行われ見ごたえ十分の『川喜多映画記念館』。
上映会も行われ見ごたえ十分の『川喜多映画記念館』。

鎌倉に住むということ

鎌倉な人たち

鎌倉は人気の高い住宅地でもある。しかし、鎌倉は果たして住みやすいだろうか。

地価は東京都内の住宅地とほぼ同等かちょっと安いぐらい。オフィスからの通勤を考えれば、異常な高さと言っていいだろう。観光地だから物価も高いし、休日はどこもかしこも激込み、休日の国道134号などは渋滞がどこまでも続いている。私の知り合いの鎌倉在住者は車でコンビニまでタバコを買いに行くのに2時間かかったと笑っていたが、私は笑えなかった。

もっと笑えない話がある。

とある音楽プロデューサーが長年鎌倉に憧れを持ち続け、ついに一大決心しローンを組んで鎌倉に移住、建築家住宅を建てた。しかし、やや偏屈な彼は鎌倉の地になじめず、数年後には家を売って引っ越してしまった。「鎌倉に絶望したそうです」とは共通の友人の弁。何があったのかはよくわからないが、まあまあ借金が残ったらしい。誰もが住みやすい街とはいかないようだ。

それでも人は鎌倉に住みたがる。

それは多分、鎌倉が絶妙な場所だからだろう。海や山が外界を隔て、歴史の教科書に出てくるようなスポットがゴロゴロある。切通し、やぐらなどの魅惑的な結界も多い。なんだか京都に似ているが京都ほど敷居は高くないだろう。東京駅から1時間弱というのはギリギリ通える距離だし、なにより仕事だけが人生じゃない。僧侶からサーファーまで普段接点のなさそうな人種が集っていて、夜な夜な飲み屋で盛り上がる。テーマパークを去るとき、人は一抹以上の寂しさを感じるが、もしあれがないとしたら……?

いつか夢から覚めるのかもしれない。でも考えてみれば、どんな人生も終わってみれば夢のようなものじゃないか。

鎌倉にはいたるところに「やぐら」と呼ばれる洞窟がある。これは中世以降に掘られた横穴式墳墓跡。現世と彼岸とつなぐ結界。
鎌倉にはいたるところに「やぐら」と呼ばれる洞窟がある。これは中世以降に掘られた横穴式墳墓跡。現世と彼岸とつなぐ結界。

取材・文=武田憲人(統括編集長) イラスト=さとうみゆき
文責=さんたつ/散歩の達人編集部

戸越といえば戸越銀座。戸越銀座といえば、全長1.3キロメートルの“日本で一番長い商店街”。最近はやたらとマスコミに登場し有名になったが、もとはごくごく庶民的で物価の安い、凡庸な商店街だった。その魅力のほどを、45年前からこの地で育った私・武田がご案内したいと思います。 
千住は広い。日光道中の千住宿は、北千住(足立区)から南千住(荒川区)まで、全長4㎞にも及んだというから驚きだ。今回取り上げる「北千住」はその北3分の2ぐらい。隅田川と荒川放水路に挟まれた日光街道(国道4号線)の東西に広がる楕円形のエリアである。JR北千住駅の乗降客数は東日本管内で9位、なんと上野や秋葉原より上。そして某住宅情報誌が選ぶ「穴場な街ランキング」では6年連続で1位に選出。つまり今もっとも活気のある下町なのである。
のっけからこんなことを書くのもなんだが、「散歩の達人」の新宿特集はあまり売れない。それはきっと新宿が東京の中心だからだと思う。東京都庁があるのはもちろん、全国一の乗降客数を誇るJR新宿駅を筆頭に、私鉄、地下鉄が多数が乗り入れる大ターミナル。多くの人はビジネスや買い物など目的を持ってやって来るし、ここを通ってまたどこかへ行く。だから散歩どころではないのだろう。でもそれはもったいない! なぜなら新宿は都内でも有数の魅惑の散歩スポットだと思うからだ。
浅草寺とその参道である仲見世商店街を中心として東西に広がる浅草。世界的にも有名な観光地であり、一時は日本人よりも海外旅行者の方が目立っていたが、コロナ以後は江戸情緒あふれる“娯楽の殿堂”の風情が復活している。いわゆる下町の代表的繁華街であって浅草寺、雷門、仲見世通り、浅草サンバカーニバルなどの観光地的なイメージや、ホッピー通り、初音小路のような昼間から飲める飲んべえの町としてとらえている人も多いだろう。また、和・洋問わず高級・庶民派ともに食の名店も集中するエリアだ。
水辺の下町でおすすめはどこ?と聞かれたら、私は深川と答える。特に清澄白河から森下にかけて辺りが最高だ。それはここが“水の都”だからなのだが、今はコーヒーの街としての方が名が売れている。だから、まずコーヒーの話から始めましょう。
江戸時代には、桜や滝の名所として人気を誇り、料亭などが多く立ち並んだ観光地だった。今も桜は残るものの、往時の雰囲気はほぼ無く、閑静な住宅地という印象が強い。この街がにわかににぎわい出したのは、2000年の南北線全線開通からだろうか。区役所や中央図書館など北区の中枢機能を持っているのに、埼玉だと思われたり、八王子と間違われたり。そんな不名誉なイメージばかり先行してきた街の底力を、地元在住歴45年の筆者がお伝えしよう。
蒲田は、城南を代表する繁華街である。と書くと、それは品川では? いや大井町や中目黒じゃないの? という声が上がるかもしれない。しかし、城南に生まれ育った人間なら知っている。蒲田こそが城南を代表する繁華街であり、城南文化、つまり渋谷や目黒、品川あたりから吹いてくる城南の風の吹き溜まりの街であることを。
いまや東京を代表する散歩スポットととなったこのエリア。江戸時代からの寺町および別荘地と庶民的な商店街を抱える「谷中」、夏目漱石や森鴎外、古今亭志ん生など文人墨客が多く住んだ住宅地「千駄木」、根津神社の門前町として栄え一時は遊郭もあった「根津」。3つの街の頭文字をとって通称「谷根千」。わずか1.5キロ正方ぐらいの面積に驚くほど多彩な風景がぎゅっと詰まった、まさに奇跡の街なのである。
高円寺は、キャラの濃い中央線沿線のなかでもひときわサイケで芳(こう)ばしい街だ。杉並区の北東に位置し、JR高円寺駅から、北は早稲田通り、南は青梅街道までがメインのエリア。中野と阿佐ケ谷に挟まれた東京屈指のサブカルタウンであり、“中央線カルチャー”の代表格とされることも多い。この街を語るときに欠かせないキーワードといえば、ロック、酒、古着、インド……挙げ始めればきりがない。しかし、色とりどりのカオスな中にも、暑苦しい寛容さというか、年季の入った青臭さのようなものが共通している。
【赤羽って、どんな街?】老いも若きも、古きも新しきも、ダメ人間も働き者も同居する、東京最北端の繁華街
赤羽
【池袋って、どんな街?】東が「西武」で西「東武」よ永久に! カルチャーと公園とアジアと妖しさが入り混じる、とことんカオスな街
池袋
【神楽坂って、どんな街?】江戸時代から続く坂と横丁の宝庫。個性的な寺社、雑貨屋、書店、居酒屋、フレンチの名店までがそろう迷宮の花街。ただし物価は高め。
神楽坂
【神保町って、どんな街?】なんといっても「本の街」だが、喫茶、カレー、居酒屋、路地も充実。もしかしたら東京で一番散歩が楽しい街かも?
神保町
【町田って、どんな街?】神奈川県じゃないよ! 繁華街の楽しさと郊外の美しさを兼ね備えた多面的な街
町田
【上野って、どんな街?】上野公園とアメ横だけじゃない。山の手と下町の結界に位置する無国籍タウン。
上野