能登のいまを伝える人:中山智恵子(能登デスクさん)

福岡県北九州市出身。2015年、北陸新幹線金沢駅開業と同時に金沢駅観光案内所内に設置された「能登デスク」(能登半島広域観光協会)で、金沢から能登への旅案内をしている。
同時にX@notodesk)、Instagramnotodesk_official)で日々の能登を世界中に発信し続ける。

 

私の愛してやまない能登

JR金沢駅で能登への旅案内を仕事としている私は、「能登デスクさん」とみんなから呼ばれている。「能登のことは能登デスクさんに」とまで言っていただけるようになり、能登のお役に立てることを誇りに思っている。

「沼る」という言葉があるが、まさに私は能登に沼っている。

能登に行くと必ず次に行きたい場所を見つけて帰ってくる。能登は想像以上に広いので、一日ではとても回りきれない。そして会いたい人たちにも一日では会えない。

私の頭の中はいつも能登でいっぱい、気づけば能登に恋をしていた。

能登半島先端の珠洲(すず)市の海岸。「さまざまな顔をもつ能登の海が好き」と中山さんは言う。
能登半島先端の珠洲(すず)市の海岸。「さまざまな顔をもつ能登の海が好き」と中山さんは言う。
illust_2.svg

キラキラした海、長閑(のどか)な田園風景、地元の方々とふれあえる商店街、人懐っこい生きものがいる水族館、断崖絶壁の荒々しい景色、全部が私の大好きな能登。

そんな能登が一変したあの日、テレビをとおして目にした悲惨な光景を私は忘れない。その日からあふれる涙を堪え、一日の終わりにお風呂で一気に流す、そんな日が続いた。

「能登にいまこそ恩返しを」

そう思えたのは発災から10 日ほど経った頃だった。能登の方々から「どうか能登デスクさんは、美しい能登をこれまでのようにしてPRほしい」と言われたのである。

いままで見てきた能登、出会ってきた人たち、私はそんな素敵な能登を山ほど語れるじゃないか。舵を切った。私にできることは、愛してやまない能登を伝え続けること。

結果、能登がたくさんの人から愛されていることを改めて実感し、全国の皆様が能登へ心を寄せてくださっていることを知ることができた。これからも私は観光案内人という立場から、素敵な能登をご紹介していきたいと思う。

皆様には観光としておすすめの能登へぜひ行っていただき、旅から戻ったら身近な方に、能登の素敵な場所や思い出を伝えてほしい。

いつも心は能登に寄り添い、能登とともに。

輪島市の曽々木(そそぎ)海岸の窓岩は岩の真ん中に穴が空いた奇岩。岩穴から差す絶景の夕日で知られていたが、地震で崩落した。
輪島市の曽々木(そそぎ)海岸の窓岩は岩の真ん中に穴が空いた奇岩。岩穴から差す絶景の夕日で知られていたが、地震で崩落した。

文=中山智恵子 写真=若井 憲(中山さんを除く)

 

2024年1月1日、正月の北陸地方を突如襲った能登半島地震。特に能登半島ではその被害が大きく、住宅の傾斜、液状化など、町もそこにある暮らしも、以前と同じではなくなった。能登にはもちろん、いまもそこに住む人たちがいる。能登を少しずつ動かし続ける人たちがいる。彼らのメッセージを受け取って、能登のいまを知ってほしい。『旅の手帖』2024年5月号からお送りします。
2024年1月1日、正月の北陸地方を突如襲った能登半島地震。特に能登半島ではその被害が大きく、住宅の傾斜、液状化など、町もそこにある暮らしも、以前と同じではなくなった。能登にはもちろん、いまもそこに住む人たちがいる。能登を少しずつ動かし続ける人たちがいる。彼らのメッセージを受け取って、能登のいまを知ってほしい。『旅の手帖』2024年6月号からお送りします。