週末民話研究

日本各地で語り継がれてきた民話。それが事実かどうかはさておき、知っている場所にも案外おもしろい伝説や昔話があるものです。各地の民話を調べて、実際にその場所を歩いてみる。さて、どんな発見があるでしょうか。

最新記事

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厄除けに縁結びも! 東京23区内の開運スポットめぐり【後編】
前編に引き続き、東京都内の開運スポット巡り・後編です。前回は港区・愛宕神社の「出世の階段」、湯島にある美髪・厄除けの御利益がある「柳の井」、文京区の縁起のいい名前の坂「開運坂」の3カ所を巡りました。後編となる今回は、足立区北千住にある「厄除地蔵尊」と、板橋駅前にあるシンボルツリー「むすびのけやき」を訪れてみたいと思います。

この連載の記事一覧

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【週末民話研究】江ノ島の弁財天に恋をした、五つの頭を持つ龍の話
江ノ島にある「江島神社」では、安芸の宮島、近江の竹生島と並ぶ「日本三大弁天」として弁財天を祀っています。この弁財天は「弁天様」と呼ばれ信仰される女神で、水神・海神としてだけではなく、芸能・音楽・知恵・福の神としても信仰されています。今回のお話の舞台はこの江ノ島と、鎌倉・腰越。主人公は五つの頭を持つ「五頭龍(ごずりゅう)」です。
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【週末民話研究】巣鴨のとげぬき地蔵(延命地蔵)の不思議な力
巣鴨駅からほど近くにある曹洞宗萬頂山高岩寺(そうとうしゅうばんちょうざんこうがんじ)は、「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれています。今回のお話の主役は、高岩寺の本尊「延命地蔵(とげぬき地蔵)」。どうしてとげぬき地蔵と呼ばれるようになったのか、どういったご利益があるのかを探っていきましょう。
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【週末民話研究】徳川吉宗も興味を示した、鐘ヶ淵の沈鐘伝説
鐘ヶ淵(かねがふち)は、東京都墨田区北部の旧地名です。荒川区と墨田区の境界線である隅田川が大きく西から南に曲がる淀みの部分には、鐘ヶ淵の「沈鐘伝説」があり、一帯の旧地名と東武伊勢崎線・鐘ヶ淵駅の名前の由来となったとされています。この伝説に登場する鐘の正体には複数の説がありますが、代表的なものは3つ。①元和6年(1620年)に普門院という寺が移転する際、船で荷物を運搬している最中に落とした半鐘②長昌寺という寺の釣鐘が、享保5年(1720年)の洪水によって流されたもの③戦国時代に千葉氏が北条氏に敗れた際、千葉氏にゆかりのある瑞応寺の鐘が戦利品として北条氏に奪われた。しかしこれを船で運んでいたところ、鐘から突然奇妙な音がして川面が荒れはじめ、恐ろしくなった人たちは仕方なく川に鐘を沈めたいくつかの説があってなんだか謎に満ちた鐘ヶ淵の沈鐘伝説ですが、江戸時代にもこの謎に強い興味を示した人がいました。8代将軍の徳川吉宗です。
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【週末民話研究】仏教を学び、お坊さんになりたかった狐の話
民話の中で狐や狸は人を化かすイメージがありますが、実際は狐や狸の全員が悪戯ばかりをしているわけではないようです。その証拠として「人に化けて澤蔵司(たくぞうす)と名乗り、修行僧として仏教を学んだ狐がいた」という民話があります。彼は現在、東京都文京区小石川にある『慈眼院 澤蔵司稲荷(じげんいんたくぞうすいなり)』で稲荷神として祀られているそうです。民話を辿りつつ、実際に澤蔵司ゆかりの地を訪れてみることにしました。
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【週末民話研究】源義家が鎧を沈めたとされる、日本橋兜町「鎧の渡し」
日本橋にあった「鎧の渡し」は、江戸時代に渡船場として機能し、歌川広重の『名所江戸百景』にも描かれた名所でした。明治5年(1872)には橋(鎧橋)が完成し、渡船場自体はなくなってしまいましたが、跡地には現在もこの場所の歴史を語る看板がたてられています。そんな鎧の渡しですが、ここにはどうやら源義家にまつわる伝説があるようです。その伝説の生まれた時代は、歌川広重が名所として描いた江戸時代よりもはるか昔、平安時代後期にまでさかのぼることになります。
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【週末民話研究】横浜市営地下鉄踊場駅に伝わる「猫の踊場」
横浜市営地下鉄ブルーラインには「踊場」という駅があります。「関東の駅百選」にも認定されている踊場駅。この駅名は「夜な夜な猫たちが手ぬぐいをかぶって踊っていた場所」というなんとも可愛らしい民話が由来になっていて、現在の踊場駅の構内外には猫モチーフのモニュメントがそこかしこに見られるそうです。駅近くには猫の霊を供養する「寒念仏供養塔」も存在していると聞き、実際に訪れてみることにしました。
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【週末民話研究】源頼朝の死の原因と茅ヶ崎市の遺跡「旧相模川橋脚」
茅ヶ崎市にある「旧相模川橋脚」は、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災とその余震によって水田に突如現れた鎌倉時代の橋の橋脚です。当時の歴史学者の調査によって、この橋脚は建久9年(1198年)に架けられた橋の脚部分であると判明。大正15年(1926年)には国の史跡に指定され、平成24年(2012年)には関東大震災当時の液状化現象の痕跡を残す遺産として国の天然記念物にも指定されました。歴史遺産と天然記念物、二つの側面で重要な遺構となっている旧相模川橋脚ですが、ここには複数の言い伝えがあります。そしてどうやらその中には源頼朝の死因に関わっている話が存在するらしいのです。
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【週末民話研究】江戸の怪談「本所七不思議」を巡る
墨田区には「本所七不思議パネル」なるものがあり、「本所七不思議(ほんじょななふしぎ)」をモチーフにした壁画を見ることができるとのこと。本所七不思議とは、江戸時代から伝わる本所(東京都墨田区)の怪談話のことを指します。「おいてけ〜おいてけ〜」で有名な怪談「おいてけ堀」や、「落葉なき椎」「足洗邸」など、伝承によっては7つ以上のエピソードもあるのだそうです。
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【週末民話研究】神田川・面影橋に伝わる悲話と山吹の里の碑
都営荒川線・面影橋停留場のそばを流れる神田川には、「面影橋(おもかげばし)」という停留場名と同じ名前の橋があります。面影橋は承応年間(1652〜1655年)の神田上水工事の際にかけられたといわれ、ここから下流の江戸川橋までの一帯は「山吹の里」と言い、江戸時代には蛍の名所として知られていたそうです。名前からどこか儚い印象を受けるこの面影橋には、この地に住まう武士の娘・於戸姫(おとひめ)の悲しい言い伝えが残っています。
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【週末民話研究】徳川家康ゆかりの井戸「策の井」と鷹場を探して
江戸幕府初代将軍・徳川家康は、戦国乱世を切り抜けたのち、約260年続くことになる天下泰平の世をもたらした歴史上の重要人物です。忍耐の人として知られ、リーダシップもあった家康の残した名言や逸話は数知れず……。健康にも気を使っていたようで、鷹狩りや乗馬、水泳などを日々行い、最晩年に倒れたのも鷹狩りに行った先でのことでした。死没年齢は75歳。50歳前後で亡くなることが多かった戦国武将の中では長命な方だったとされています。今回はそんな徳川家康ゆかりの地が新宿、そして国分寺にあるという情報を得て、興味をひかれたので調べてみることにしました。
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【週末民話研究】浅茅ヶ原の鬼婆と東京指定旧跡「姥ヶ池跡碑」
現在の東京都台東区清川1丁目〜今戸2丁目エリアは、その昔「浅茅ヶ原(あさぢがはら)」と呼ばれていました。浅茅ヶ原という地名は、イネ科の多年草であるチガヤの生えた荒野を指すそう。万葉集の中にも見られ、日本で古くから使用されてきた言葉とされています。今回ご紹介する「浅茅ヶ原の鬼婆」は、東京都台東区に古くから伝わる伝説です。
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【週末民話研究】恋人への想いから大罪を犯した少女「八百屋お七」
八百屋お七(やおやおしち)は江戸時代前期の一般女性です。恋人に会いたいという強い思いから放火事件を起こし、江戸市中引き廻しの後に火刑に処されて亡くなったとされています。5組の恋人たちの悲劇的な恋愛事件をテーマにした、井原西鶴の中編小説『好色五人女』で取り上げられたことから広く知られるようになり、文学、歌舞伎、文楽など、創作の主人公として描かれるようになりました。実在したお七の史実はほぼ分かっていませんが、お七と恋人の吉三郎の比翼塚が本駒込にあるそうなので、実際に訪れて調べてみることにしましょう。
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【週末民話研究】本牧・亀の子石神社の「亀の子さま」と不思議なご利益
「鶴は千年、亀は万年」は、縁起のいい言葉として現代まで続く諺(ことわざ)です。亀は地域や民族によっては信仰の対象でもあり、日本でも昔話や伝説、おとぎ話や民話によく登場します。例として一番有名なものは『浦島太郎』でしょうか。今回は海亀の子供で「亀の子さま」と呼ばれている、神奈川県の本牧地域に伝わる民話を紹介します。
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【週末民話研究】かつての吉原遊廓を歩く(前編)
遊女屋が集まる場所として、江戸幕府公認で江戸郊外に作られた「吉原遊廓」。街の持つ闇、特殊な文化は創作などの題材としても多く用いられ、吉原が花街として現役だった江戸時代から多くの人を惹きつけてきました。現在は日本最大のソープランド街として認知されているこの地に、当時の面影を感じる場所はあるのでしょうか。今回は吉原のあった東京都台東区千束四丁目と三丁目周辺を実際に歩き、遊郭という特別な場所と、そこで生きていた人々に想いを馳せてみます。
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【週末民話研究】かつての吉原遊廓を歩く(後編)
遊女屋が集まる場所として、江戸幕府公認で江戸郊外に作られた「吉原遊廓」。街の持つ闇、特殊な文化は創作などの題材としても多く用いられ、吉原が花街として現役だった江戸時代から多くの人を惹きつけてきました。現在は日本最大のソープランド街として認知されているこの地に、当時の面影を感じる場所はあるのでしょうか。前編に引き続き、吉原遊廓のあった東京都台東区千束四丁目と三丁目周辺を実際に歩きます。
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【週末民話研究】江戸文芸「隅田川物」の起源となった親子の悲話「梅若伝説」
「梅若伝説」は、墨田区に伝わる母と子の悲しく切ない伝説です。古くからこの伝説は能や狂言、歌舞伎、浄瑠璃など、様々な分野での創作の題材となりました。室町時代、世阿弥の子である観世元雅(かんぜもとまさ)がこの伝説を題材に作った能楽作品「隅田川」は、江戸時代に入ると江戸文芸の創作の下地となり、やがて「隅田川物」というジャンルを確立していきます。今回は、そんな梅若伝説のゆかりの地である隅田川を挟んで存在する、二つの史跡を訪ねてみることにします。
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【週末民話研究】日本橋周辺の水問題を解決した「名水白木屋の井戸」
古くから「日本の中心」と呼ばれ、江戸時代から商業・文化の中心地として栄えた日本橋。東海道や中山道を含む「江戸の五街道」は、この日本橋を起点として始まっています。今も昔も華やかな日本橋ですが、完璧な土地であったかというと、必ずしもそうではなかったようです。江戸時代初期、この日本橋一帯の井戸水は飲料に向かない塩分を含んだものだったそうで、住民は生活に大切な水問題に頭を抱えていたといいます。今回はその水問題を解決した、ある呉服屋の不思議な話をご紹介します。
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【週末民話研究】関東最恐の縁切スポット、板橋区の縁切榎
板橋区本町に「関東最恐」と言われている縁切りスポットがあるという話を聞きました。その名も縁切榎(えんきりえのき)。縁切りと言うとなんだか物騒な感じですが、飲酒などの悪癖を断つことや、悪縁を断ち切り良縁を繋ぐといった開運の意味で現在は人気の様子。縁切榎は一体いつから関東最恐の縁切りスポットとして知られるようになったのでしょうか。今回はその由来や歴史を探るため、実際にこの木のある場所を訪れてみることにしました。
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【週末民話研究】民話・伝承・伝説のある坂を巡る(文京区編)
民話や伝承のある坂は日本各地に存在します。有名なところだと「転ぶと三年以内に死ぬ」という言い伝えのある京都の三年坂などでしょうか。東京都内にも様々な坂があり、それぞれ何らかの由来や歴史、あるいは言い伝えが残っています。今回は文京区にある三つの坂を巡り、その坂の持つ歴史や不思議な話を探っていきましょう。
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【週末民話研究】千代田区に伝わる、池に身投げしたある娘の悲話
江戸時代以前、現在の千代田区岩本町2丁目辺りには「桜ヶ池」と呼ばれる池がありました。真偽のほどはさておき、当時の桜ヶ池は上野の不忍池よりも大きかったそうです。今回は、その池に身を投げてしまうある女性の悲しいお話を紹介します。
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【週末民話研究】徳川家康の家臣・内藤清成の生涯と駿馬伝説
新宿区内藤町。新宿御苑が土地面積の大半をしめるこの町には、ある歴史上の人物に関連する伝説があります。その人物とは徳川家康の家臣であり、明治維新まで続いた高遠藩内藤家の初代・内藤清成です。戦国時代を駆け抜け、1608(慶長13)年に54歳で亡くなるまで江戸の世を生きた内藤清成の人生と、彼を語る上で重要なある伝説をご紹介します。
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【週末民話研究】赤羽・亀ケ池弁財天に伝わる伝説の大亀を探す
昔、赤羽駅の西口一帯に「亀ヶ池」と呼ばれる大きな池がありました。亀ヶ池は明治まで溜池として利用されていましたが、1980(昭和55)年に地元商店街の有志の希望で近くの静勝寺の弁天堂から弁財天を分祀し、正式な弁天堂となっています。この亀ヶ池には、かつて大亀が住んでいたという伝説もあるそうです。現在は小さく縮小されているようですが、事前に調べると「とにかく亀がいる」という感想がちらほら。なんだか気になる場所なので、実際に訪れてみることにしました。
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【週末民話研究】旧中山道・大宮宿の高台橋に伝わる人魂(ひとだま)伝説
江戸・日本橋から京都・三条大橋までを繋いでいた旧中山道には67の宿場があり、そのひとつが大宮宿(現在の埼玉県さいたま市大宮区)でした。そんな大宮宿の高台橋付近では、かつて人魂(火の玉)がよく出現したといわれています。なぜ人魂という現象が頻繁に見られたのか?その謎は、今回ご紹介する史跡「お女郎地蔵・火の玉不動」に隠されているようです。
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化けむじなの「偽汽車」が走った街、葛飾区亀有の狢塚【週末民話研究】
夜に汽車を走らせていると、対向から別の汽車が向かってきて衝突する。しかし衝突の瞬間には大きな衝撃もなく、いつの間にか向かってきたはずの汽車は消えている……。鉄道が通り始めた時代にそういった不思議な出来事があったという話が、日本各地で語り継がれています。常磐線の走る街・葛飾区亀有にも同じような話が伝わっていて、ここでは対向から向かってくる汽車の正体は狢(むじな)だとされていたようです。本物の汽車と、狢が化けた偽の汽車との衝突事件。今回は、どうにも不思議なこの話を紐解いてみることにしましょう。
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【週末民話研究】祟りへの恐れと深い信仰、謎に包まれた葛飾区立石の立石様
東京都指定史跡に指定されている立石様は、東京都葛飾区立石の地名の由来となった石です。1398(応永5)年の書物には既に地名として「立石」という記述が見られ、江戸名所図会(江戸当時の地誌)にも登場していますが、現在も様々な謎が解明されていない不思議な場所のようです。事前に情報を集めている時、この立石様に対する信仰心には祟りへの恐れも非常に色濃く出ていると感じました。今回は、その正体がほとんど謎に包まれている、ミステリアスな立石様について調べてみることにします。
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【庚申塔って何?】民間信仰の代表格、庚申塔を巡る・台東区編
日本各地に見られる庚申塔(こうしんとう)は、中国から伝わった道教に由来する庚申信仰(庚申講)に基づき建てられた石塔のことです。庚申信仰は、中国の道教に基づく三尸(さんし)説をベースとした信仰に、仏教や神道、民間信仰や風俗などが合わさったものとして日本全国に広まりました。調べていくと、庚申塔の碑の形や碑面に彫られているものには様々なバリエーションがある模様。週末民話研究では各地の庚申塔を巡り、「庚申塔シリーズ」として紹介していくことにしました。かつての江戸城下町である台東区は、東京23区内でも神社や寺院が特に多い場所。城の守りを固めるために各地の寺院を集めたとされ、信仰の厚い土地だったためか庚申塔も多く見られます。今回はシリーズの初回として、台東区の庚申塔をご紹介。庚申塔の写真は以前から個人的に集めていたものなので最新の写真ではないのですが、歴史や位置を確認するために改めて台東区の庚申塔を調べ、巡ってみました。
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【週末民話研究】鳥?河童?日光街道に佇む道中安全の守り神・ぎょうだいさま
埼玉県越谷市蒲生一丁目、日光街道(現在の蒲生茶屋通り)のわきに不思議な祠があります。屋根からは鳥のような河童のような謎の像の頭部がのぞき、眼光鋭くあたりを見回しています。一体なんのためにこの地に佇んでいるのか。今回は「ぎょうだいさま」と呼ばれているこちらの像について調べてみたいと思います。
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【週末民話研究】全国に38個の力石。187kgを持ち上げる日本一の怪力・三ノ宮卯之助
「力石」とは、江戸時代に力くらべに使われた石のことを指します。力石を用いた力くらべは神社の祭礼の資金集めや寺社の建造・修復費用を集めるための興行として、庶民にも親しまれていたようです。今回は、そんな力石にまつわる、ある一人の男性のお話をご紹介します。
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猫飛(にゃんぴー)伝説を知ってますか?中村橋で生まれたての「民話の赤ちゃん」に出合う。【週末民話研究】
西武池袋線・中村橋駅の近くには、なんとも言えない愛嬌のある顔をした猫の銅像があります。小判を抱えて手を招いているこの猫は「にゃんぴー」と呼ばれ、中村橋商店街をはじめとしたこの地域の人々に親しまれているとか。今回ご紹介するのは、中村橋駅付近に伝わるこのにゃんぴーという猫についてのお話です。
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【週末民話研究】雨乞いが行われた怪無池と、青龍神社に伝わる不思議な話[京成高砂]
天気は未だ人間がコントロールできるものではありません。人工降雨などもいくつかの条件下でのみ可能なもので、完璧な気象制御は現代ではまだ神の領域であるとされています。現代ですら及ばないその問題に、はるか昔の人々はどのようなことで対応していたのでしょうか。葛飾区にはかつて雨乞いの神事が行われたとされる池があるそうで、そこにはいくつかの不思議な話も伝わっています。雨乞いというミステリアスな言葉に惹かれて、今回はその池を訪れてみました。
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【週末民話研究】高さ3m、台東区橋場のおばけ地蔵
台東区橋場には、高さ3mくらいのお地蔵様があるそうです。建立の理由や、どのような役割で現在まで存在しているのか、そしてなぜ3mなのか……。「大きい」ということ以外ほとんど謎に包まれたおばけ地蔵の秘密を探るべく、実際に台東区橋場周辺を訪れてみることにしました。
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火罪に処された娘の悲話。草加の火あぶり地蔵尊【週末民話研究】
埼玉県草加市、旧国道四号(現在の足立越谷線)の吉町5丁目交差点にあるのが、「火あぶり地蔵尊」と呼ばれる地蔵堂です。この場所にはかつて処刑場があったとされ、火あぶり地蔵尊には、そこで亡くなったある娘の悲しい話が言い伝えられています。
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「どうしても会いたい」。その一心で罪を犯した辻斬り白井権八と、遊女小紫の比翼塚[目黒不動]【週末民話研究】
目黒区にある、目黒不動瀧泉寺の門前の比翼塚(ひよくづか)には、130人の命を奪った辻斬り・白井権八と、江戸一の花魁(おいらん)と言われた遊女・小紫の悲しい恋の話が残ります。ただ愛する人に会いたいという普遍的な気持ちが、置かれた身分や職業のせいで当たり前ではなくなる。今回は、そんな二人の男女の話をご紹介します。
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雷を閉じ込めた!? 台東区下谷・三島神社の雷井戸【週末民話研究】
台東区下谷にある三島神社の境内には、とある言い伝えが残る井戸が存在しているそうです。その井戸は、なんと落雷を閉じ込めたことがあるそう。一度調べてから気になって仕方がないので、今回は三島神社へ行ってみることにしました。
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この地と住人を見守り続ける、埼玉県越谷市のスマッカラ地蔵【週末民話研究】
道を歩いていると道祖神や庚申塔とともにお地蔵様が祀られているのを時折見かけます。お地蔵様とは、一体どんな役割で道端に佇んでいるのでしょうか。そんな疑問を抱いていたところ、埼玉県に「スマッカラ地蔵」という不思議な名前のお地蔵様がいるという情報を得ました。「スマッカラ」とは何なのか。そして、そのお地蔵様は何のためにそこに佇んでいるのか。今回はその疑問を解決すべく、スマッカラ地蔵が祀られている埼玉県越谷市花田地区へ向かいました。
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妖怪・ヌエの仕業で移動した横浜市港南区・青木神社、別名「ヌエの宮」【週末民話研究】
神奈川県横浜市港南区に流れる大岡川の近くには、大きな木々のもとにひっそりと佇む青木神社という神社があります。創建年代は不明で、さらにその他の情報・資料も驚くほど少なく、どんな歴史を経てきたのかわからない謎に包まれた神社です。港南区に伝わる言い伝えには、青木神社についてのなんとも不思議な話があるとされています。今回は、そんなミステリアスな青木神社に実際に行ってみることにしました。
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蛇橋(足立区)の由来は、綾瀬川で起きたある名主の悲話【週末民話研究】
「蛇橋」とは、かつての綾瀬川上流(足立区)に架かっていた橋のことです。蛇橋には、村を守るために計画をたて、それが原因で殺されてしまったなある名主とその母親の悲しい話が伝わっています。現在その蛇橋は存在せず、「元蛇橋公園」という名前の公園として近隣住民の憩いの場となっているそう。今回は、かつて存在した蛇橋と、そこに伝わるお話、そして現在の蛇橋周辺の様子について調べていきたいと思います。
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踊りの上手な謎の男の正体は?上本郷(松戸市)の「斬られ地蔵」【週末民話研究】
千葉県松戸市の上本郷地域には「上本郷の七不思議」と呼ばれる言い伝えがあります。そのうちの一つが、上本郷の本福寺にある「斬られ地蔵」です。もともと斬られ地蔵は覚蔵院というお寺にあったそうですが、覚蔵院は廃寺となっており、現在は本福寺の境内に安置されているといいます。お地蔵さま、つまり石像を斬るということは、容易いことではないはず。そして穏やかなあのお地蔵さまを斬りつけるには、相当な悪意やなんらかの強い気持ちがないとできないはず。一体何がどうなって、お地蔵さまが斬りつけられるに至ったのでしょうか。今回はその斬られ地蔵について調べ、実際に見てみるため、千葉県松戸市を訪れました。
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北条実時が求めた、横浜市港南区の鰻井戸【週末民話研究】
日本の食文化に深い関わりのある鰻(うなぎ)は、土用の丑の日でもおなじみの魚です。しかし今回ご紹介するのは、食材としての鰻の話ではありません。これは鎌倉時代の武将・北条実時が体験した、横浜市港南区に伝わる不思議な鰻のいる井戸のお話です。
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海からやってきたお地蔵様の願いとは? 横浜市保土ケ谷区の境木地蔵【週末民話研究】
松戸市の「切られ地蔵」や越谷市の「スマッカラ地蔵」、台東区の「おばけ地蔵」など、この連載の中でも度々紹介してきましたが、お地蔵様に関する民話は日本各地に多く見られます。話のテーマとなる場所や登場人物、細部は違っていても、お地蔵様の出てくる民話は祟りや呪いなどがほとんどなく、穏やかでおおらかなものが多い印象です。お地蔵様という存在そのものが、庶民にとっての身近な信仰の対象であったことも大きいのでしょう。今回は鎌倉の海岸から横浜市保土ケ谷区までを舞台に、あるお地蔵様が巻き起こした摩訶不思議なお話をご紹介します。
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出世に美髪も! 東京23区内の開運スポットめぐり【前編】
運が開け、幸が訪れることを指す「開運」。旅先で開運スポットがあると「観光ついでに」と、つい、足を運んでしまいます。もっと手軽に行けるところはないかと調べてみると、東京都内にも実に多くの“開運の逸話”をもつスポット(あるいはそれにちなんだ場所)があることに気づきました。今回は、ちょっとした散歩もかねてふらっと立ち寄れる、都内の開運スポットとその謂(いわ)れを前後編に分けてご紹介したいと思います。
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厄除けに縁結びも! 東京23区内の開運スポットめぐり【後編】
前編に引き続き、東京都内の開運スポット巡り・後編です。前回は港区・愛宕神社の「出世の階段」、湯島にある美髪・厄除けの御利益がある「柳の井」、文京区の縁起のいい名前の坂「開運坂」の3カ所を巡りました。後編となる今回は、足立区北千住にある「厄除地蔵尊」と、板橋駅前にあるシンボルツリー「むすびのけやき」を訪れてみたいと思います。
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