スマッカラ地蔵とは?

埼玉県を流れる元荒川は、その名のとおり荒川のかつての本流です。

昔はこの川は交通が盛んで、大きな荷物などは船で運んでいました。

ある日のこと、一隻の船がお地蔵様を運んで越谷市の花田までやってきます。

すると、突然船が動かなくなってしまいました。

船頭は「もしや、このお地蔵様はここで降りたいのではないか」と思いお地蔵様を船から降ろし、花田地区と増林地区の境にあたる千間堀(せんげんぼり)の近くに祀りました。

やがてこのお地蔵様は「スマッカラ地蔵」と呼ばれるようになります。

スマッカラとはかつての元荒川の砂河原(すなかわら)が訛った言葉とされ、「スナッカラ地蔵」と呼ぶこともあるようです。

一般的に男の子が生まれると31日目に、女の子が生まれると33日目にお宮参りをするものですが、越谷市花田地区周辺では、産土神(生まれた土地の守護神)である久伊豆神社にお参りしたあと、必ずこのスマッカラ地蔵にもお参りする風習があると言われています。

フィールドワーク①越谷市の花田地区へ

今回はスカイツリーライン北越谷駅の東口を始点とし、スマッカラ地蔵を目指します。

北越谷東口駅前通りを新方川方面に直進。

東大沢橋を渡り、さらにまっすぐ進みます。

調べていくと、現在の元荒川とスマッカラ地蔵が運ばれていた当時の元荒川は、流れている場所が違うようでした。

もともとの元荒川は花田地区を囲んで大きく蛇行している形だったとされています。

花田地区に入りました。ここからスマッカラ地蔵を探していきましょう。

フィールドワーク②スマッカラ地蔵

新方川に出ました。

冒頭のスマッカラ地蔵が運ばれてきた話は江戸時代の初めのころで、現在のスマッカラ地蔵は区画整理事業によって当時とは違う場所に祀られているとのこと。

川沿いから少し逸れて住宅街に入ってみたところ、スマッカラ地蔵が見えてきました。

いくつかの庚申塔とおぼしき石塔と共に祀られている、背の高いお地蔵様がスマッカラ地蔵です。

近くに立つ説明板には、冒頭と同じスマッカラ地蔵のお話が書かれていました。

ところで、お地蔵様とはどんな役割を持つ存在なのでしょうか。

調べてみると、お地蔵様は正式名は「地蔵菩薩」という菩薩であるそう。

親より先に亡くなった幼い子の魂が行き着く場所・賽の河原(さいのかわら)で、成仏できずにいる子供を鬼から守り、成仏できるようにサポートしていく存在だといわれています。

そんな説話から、お地蔵様は特に子供の守り神として信仰されてきました。

調査を終えて

スマッカラ地蔵の裏には1655(承応4)年と刻まれ、360年以上も前に彫られたことがわかります。

川の流れが大きく変えられ、街の風景が変化し、家々が建ち、人々が暮らしていく様子を、現在も静かに見つめ続けている。

その眼差しは穏やかで優しく、そして力強いものでもありました。

【参考】
こしがや子育てネット(スマッカラ地蔵)
https://www.city.koshigaya.saitama.jp/kurashi_shisei/kosodate/kids/minwa/sumattukarajizou.html

 

取材・文・撮影=望月柚花