庚申信仰

60日に一度くる庚申(かのえさる)の晩に人が眠りにつくと、三尸という人の体内にいる三つの虫が体から抜け出して神に宿主の罪科を告げ口し、寿命を縮めると言い伝えられています。

この庚申の日に身を慎み徹夜することで、三尸が神に告げ口するのを防ぎ早死にをまぬがれることができると考えられていました。それが庚申信仰です。

庚申信仰は平安時代に日本に伝わり、江戸時代には全国各地の農村で大流行。

やがて庚申の日は時代の移り変わりとともに、集まった人々が歓談し持ち寄ったものを食べ、農業技術などをはじめとする様々な情報交換をする楽しい集まりと変化していきました。

この集まりを18回続けた際に庚申塔を一基建てることになっていたそうで、庚申塔の碑面には健康、長寿、家内安全や五穀豊穣などを祈願した文字を刻んだと言われています。

庚申塔巡り①小野照崎神社の庚申塔

東京メトロ入谷駅の4番出口をスタート地点とし、JR鶯谷駅方面へ歩いて行きましょう。

 

まずは東京メトロ入谷駅の4番出口のすぐそばにある、小野照崎神社の庚申塔から。

庚申塔は庚申塚とも呼び、こちらの庚申塔は地図上では「庚申塚」となっています。

全体を見るとかなりの年月を経てきたように見えます。

小野照崎神社の庚申塔は京都の八坂庚申堂、大阪の四天王寺庚申堂と並び「日本三庚申」と呼ばれているようですが、その由来は不明であるようです。

刻まれているのは「青面金剛(しょうめんこんごう)」の字。

青面金剛は、庚申信仰独自の本尊のことです。

三尸を押さえる神とされ、庚申信仰には欠かせない存在としてその名や姿が刻まれています。

庚申塔巡り②世尊寺の庚申塔

続いては台東区根岸3丁目13、世尊寺の庚申塔です。

庚申塔の隣にあるパネルに庚申信仰についての解説とこの庚申塔についての歴史が書かれています。

いわく、この庚申塔は1674(延宝2)年に建てられたもので、台東区有形民俗文化財として台東区区民文化財台帳に登載されているとのこと。

正面には青面金剛が大きくしっかりと彫られていました。

庚申塔巡り③台東区立根岸小学校横の庚申塔

JR鶯谷駅の北口の前の前に伸びる道、台東区立根岸小学校の横にひっそりと佇む庚申塔です。

こちらの庚申塔には「見ざる・聞かざる・言わざる」で知られる三猿が彫られています。

なぜ三猿なのか?

それには神道の猿田彦神(さるたひこのかみ)が庚申信仰に関わっていることが理由の一つとなっているようです。

猿田彦神はもとは国津神として日本神話に登場する道案内の神様ですが、庚申信仰の庚申が「かのえさる」であることから「猿」に通じ、猿田彦神が庚申信仰に結びついたとされています。

仏教(青面金剛)と神道(猿田彦神)の神がどちらも存在し、そこに民間信仰や風俗が混ざり合ってひとつの信仰として成り立っている、そんなところも庚申信仰の興味深いポイントです。

庚申塔巡り【おまけ】西日暮里・浄光寺の庚申塔群

もっと庚申塔を見たくなり地図で検索したところ、西日暮里の浄光寺という寺院に庚申塔群があることがわかりました。

群ということは、きっと沢山の庚申塔を一気に見ることができるはず。

ぎりぎり台東区ではないのですが、せっかくなので見に行ってみることにしました。

JR西日暮里駅の近くにある庚申塔群には、前列に3基、後列に4基、合計7基もの庚申塔が佇んでいます。

様々な庚申塔を一度に見ることができる嬉しいスポットです。

前列の庚申塔のひとつには「宝永5年」と刻まれ、中央にかろうじて「庚申」という字が書かれているのがわかります。

宝永5年は西暦にすると1708年。時代は江戸時代中期で、当時の将軍は「生類憐れみの令」で有名な徳川綱吉でした。

後列の2基には青面金剛が彫られ、右の庚申塔にはしっかりと「青面金剛」の字が見てとれます。

左の庚申塔には(写真ではわかりづらいですが)青面金剛の下に三猿が並んで彫られていました。

調査を終えて

いくつかの庚申塔を庚申信仰の概要とともにご紹介しましたが、一口に庚申塔といっても形とデザインは様々。実際に巡ってみて、多種多様な見た目に改めて驚きを感じました。

もし近くに庚申塔を見つけたら、じっくりと見ることをおすすめします。きっと面白い発見があるはずです。

今後も週末民話研究ではシリーズとして各地の庚申塔をご紹介していく予定なので、のんびりとお付き合いいただけたらと思います。

取材・文・撮影=望月柚花