ふと目を覚ますと、カーテンの向こうで草刈りが始まっていた
大学卒業後も就職先が決まらず、主にギャンブルが原因で借金が膨らみ首が回らなくなっていたとき、バイト先の先輩が「俺んち部屋空いてるから家事とかやってくれるなら住んでいいよ」と言ってくれた。お言葉に甘え阿佐ヶ谷のアパートから高田馬場の先輩宅に転がり込む形となった。以前は先輩の祖父母が住んでいたという一軒家は、新宿区としてはかなり広かった。1階はリビングと私の部屋。2階の半分が先輩の居住スペースで、もう半分は賃貸アパートとして2部屋貸し出されていた。そこには60代くらいの夫婦と、その隣には中高年の女性がひとりで住んでいるようだった。ようだった、と推測することしかできないのは、私が入居の挨拶などをせず、家の前でたまたますれ違う程度にしか2階の住人について知らなかったためだ。当初は生活を立て直すまでの間だけ先輩の家に仮住まいさせてもらい、お金が貯まれば出ていく予定だった。だから形式張った挨拶も不要と考えた。しかしその後なんとか就職するも、浪費癖のせいで一向に貯金はできず、そのうち会社もやめてフリーターとなり、長い居候生活に突入してしまう。そうなっても今さら、2階の住人に対して明るく振る舞うことはできない。ボソッと「こんにちは」と会釈をして通り過ぎるだけの関係性のまま数年が過ぎていった。私の寝起きする部屋の前の庭を2階の住人はよく通り過ぎた。部屋には床から私の背丈くらいの高さのガラス窓があり、そこから派手に散らかった部屋の様子が丸見えだったはずだ。せめてまともな人間だと印象付けたかったので、できるだけカーテンを閉めて部屋の中が見えないように工夫していたが、カーテンを閉め忘れたまま外出することも多く、私のただれた生活態度は覆い隠せていなかったと思う。