前田家のタブーを語ろう。羽柴VS柴田、賤ケ岳の戦いで、前田利家は裏切り者であったのか?
皆の衆!息災であるか?前田利家である。 突然じゃが、皆は天下分け目の戦いと申せば何を思い浮かべるであろうか。織田家が飛躍する契機となった桶狭間の戦い、織田と武田の大軍勢が野戦にて激突した長篠・設楽原の戦い、明智殿と秀吉率いる織田軍が戦った山崎の戦い、日ノ本を巻き込んだ秀吉と徳川殿の大戦・小牧長久手の戦い、そして徳川殿の天下を決定づけた関ヶ原の戦いなど、様々な戦が挙げられるであろう。これらの戦と並んで忘れてはならぬのが秀吉と柴田様が織田家の後継を巡って争った賤ヶ岳の戦いである。じゃが、儂、前田利家としては忘れておきたい戦でもある。此度の戦国がたりでは、それが何故かを含め、この戦の経緯について紹介して参る。いざ前田家の禁忌、現世で申すところのタブーである賤ヶ岳について、重い口を開こうではないか。