8月6日が来るたびに思い出す。 浜田省吾と名盤『J.BOY』。 ハマショーはなぜ怒っていたのか。
1986年――。それは日本のミュージシャンのアルバム当たり年だった。3月、BOØWYの『JUST A HERO』。4月、山下達郎の『POCKET MUSIC』。6月、松田聖子自身最大のセールスを記録する『SUPREME』。7月、渡辺美里が大ブレイクする2枚組『Lovin’ you』と、KUWATA BAND唯一のオリジナルアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』。10月、バービーボーイズの『3rd BREAK』。11月、大江千里の『AVEC』と、BOØWYの『BEAT EMOTION』。12月、オフコースに在籍しながら小田和正のファーストソロアルバム『K.ODA』と、佐野元春の『Café Bohemia』。何これ。書き連ねていくうち怖くなってきた。大半がオリコン1位。全部持ってた。1986年は世代も性別も音楽性も異なるミュージシャンがキャリア最高傑作と呼ぶにふさわしいアルバムが発表された。そしてその中でも9月に発売された、浜田省吾の『J.BOY』は圧巻だった。オリジナルアルバム2枚組。当時33歳の浜省が半生を振り返り、余すところなくすべてを詰め込んだ集大成が『J.BOY』だった。メッセージ性の強い歌詞で綴られる、珠玉の物語集。これは読んでもらわないとわからないので「AMERICA」、「八月の歌」、「J.BOY」の歌詞を見てください。