史跡の記事一覧

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浦安市民のお気に入りを集めました!浦安まちかどSNAP
都心からもほど近く、リゾート感あるまち並みの千葉県浦安市は、かつて港町だった。そんな浦安の良さは市民が一番知っている!ということで市民の方々にアンケートを実施。地元民が愛してやまない浦安のお気に入りの風景を見つけてみよう。
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『旅の手帖』4月号、特集「圧巻の花名所へ」は3月10日発売!
いよいよ花の季節。桜をはじめ、菜の花、チューリップといった春の花から、初夏に咲くネモフィラやアジサイまで。圧巻のとっておきな花景色を、さまざまなジャンルの専門家たちが案内します。特集2は、2025年3月30日に県立美術館がオープンする鳥取県。個性豊かな温泉や町歩きなど、魅惑の鳥取スポットへ。
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日本海に面した島根県西端の地・益田市。旅先の街の魅力に心ほぐれる【徒然リトルジャーニー】
石見(いわみ)地方と呼ばれる島根県西部のさらに西端に位置する益田(ますだ)市。雄大な日本海、高津川に代表される清流、山林が広がる中国山地と、多様な自然が凝縮された土地柄である。今回は市の中心部周辺に焦点を当て、東京から空路で現地へと飛び立った。
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大名たちを悩ませた参勤交代は、江戸幕府の存続にも深くかかわっていた? “そろばん武将”利家が費用計算も致すぞ!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。これよりは前田利家の戦国がたりの刻である!! 此度の題目は「参勤交代」である。 皆々もなんとなくの知識はあるのではないか?よく語られるのが「行列を横切ると無礼討ちされる」であるとか、「産婆と飛脚は横切ることが許される」であるとかその辺りかのう。江戸の制度や文化において大きな影響を与えた参勤交代について早速見てまいろうではないか!そして折角じゃから、日ノ本で初めてそろばんを国政に用いたことでも有名な儂(わし)・前田利家が、ざっくりであるが参勤交代にかかる費用を計算いたそうではないか!
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「加賀百万石」の前田家。外様大大名の地位を確固たるものにした石高と内政手腕
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。令和七年は大河どらま『べらぼう』にて江戸時代の日ノ本が描かれておるわな。故にきっと皆々も江戸時代について興味が出てきておるのではなかろうか。というわけで今年は江戸時代についての話を多く記そうと思うておる! 前回の戦国がたりでは戦国時代の終わりと江戸時代の始まりについて話したわな。此度は儂(わし)らにとっての江戸時代の始まり、すなわち「前田家が百万石の大大名になるまで」について話して参ろうではないか!これは語らねばならないことが実に多い!故にいつもの戦国がたりよりも、ちいとばかり話が長いが最後までしかと読み、前田家をよく知るが良い!加えて、儂の息子たちの名前が多く出てくるでな。こんがらがらないように心してついてまいれ!
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【浅草散歩コース】歌舞伎ゆかりのスポットが充実! 娯楽の殿堂の街を音声ARで巡る
天保年間(1830-1844)に行われた天保の改革。芝居小屋は廃座と決まったが、遠山金四郎景元(遠山の金さん)の上申によって歌舞伎は除外され、浅草に江戸三座と呼ばれていた中村座・森田座・市村座が浅草に集められた。浅草は歌舞伎の地として隆盛を極め、浅草寺や隅田川などは歌舞伎の舞台にもなった。現在、歌舞伎専用劇場はないが、平成中村座や浅草公会堂では不定期ながら公演が行われ、仲見世では襲名披露の「お練り」が見られる。また、座跡をはじめとしたゆかりの地の石碑などが点在し、歌舞伎役者をモチーフにした人形も飾られるなど、歌舞伎を身近に感じられる浅草エリアを観光してみよう!
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歓声飛び交う休日の千葉公園。ひっそりとたたずむ旧陸軍鉄道連隊の残り香
千葉駅から徒歩でも行ける千葉公園は、大勢の人が遊ぶ憩いの場です。その公園内には旧陸軍鉄道連隊の遺構が点在し、コンクリート構造物が静かにたたずんでいます。2024年10月14日の鉄道記念日に、鉄道連隊の遺構に出合いました。
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武蔵小金井駅完成までの艱難辛苦。江戸時代からの花見の名所・玉川上水の桜が呼んだ悲願成就の駅
浮世絵にも描かれる玉川上水の桜見物。その中心の小金井村には駅がなかった……。「あったら便利」「景気づく」と村民の熱い思いが渦を巻き、駅開業の夢をかなえた!
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台地の街並みが浮かぶ天空の城下町、群馬県沼田市。歴史と伝統が残る街で手探りの旅に出る【徒然リトルジャーニー】
栃木県に接する群馬県北東部の沼田市。市域の8割が森林で、果樹・野菜栽培も盛んな地だが、どうにも全体像がつかめない。天狗伝説や大蛇伝説が語り継がれる天空の城下町とはいったい何なのか。魅力の一端を垣間見るべく、手探りの旅に出かけた。
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レンガ積みのトンネルを愛でながら長い長い道のりを散策【山梨県甲州市の大日影トンネル後編】
前編では勝沼ぶどう郷駅の旧スイッチバック駅構造と、大日影(おおひかげ)トンネルの入り口まで到達しました。後半はトンネル遊歩道を散策します。このトンネルは漏水と経年劣化対策工事で2016年から長期間閉鎖されていましたが、2024年3月に再開しました。トンネル内の遊歩道は見どころも多く、往復1時間以上はかかりました。
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世界遺産の古墳にお茶、刃物。そして居酒屋天国も! 大阪行くなら、昼も夜も「へぇ~」なスポットいろいろ堺市へ
古墳時代には世界文化遺産・百舌鳥(もず)古墳群がつくられ、かの千利休の生まれ故郷であり、中世にはポルトガルから伝わった鉄砲を大量に供出して大儲けした貿易都市・堺。梅田、なんばのいずれからも列車で30分圏内と意外に近い! 来たる大阪・関西万博にあわせて立ち寄りたい、身近でおもしろい町へ。
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役目を終えたホームは残りトンネルは遊歩道とワインカーヴとなった。【山梨県甲州市の大日影トンネル前編】
JR中央本線甲斐大和〜勝沼ぶどう郷駅間には、開業時からのトンネルが線路付け替えによって役目を終え、ワインカーヴとなった深沢トンネルとトンネル遊歩道となった大日影(おおひかげ)トンネルが遺されています。そして勝沼ぶどう郷駅はスイッチバック構造をいまに残し、旧ホームなどが残されています。前半はスイッチバック遺構を観察しながら、大日影トンネルの入り口まで行きましょう。
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領地を持つ武士として交易事業に尽力した按針と横須賀周辺。エミー賞、ゴールデン・グローブ賞受賞の米ドラマ 『SHOGUN 将軍』ゆかりの地を歩く【後編】
18部門にわたりエミー賞を受賞した、真田広之さん主演・プロデュースの『SHOGUN 将軍』。架空の世界が舞台となっているが、それは明らかに日本の戦国時代、それも関ヶ原の戦い前夜がモデルとなっている。真田さんが演じた主人公の吉井虎永は徳川家康、コスモ・ジャーヴィスさん演じる英国人船乗りジョン・ブラックソーンはウィリアム・アダムス(後の三浦按針)、アンナ・サワイさん演じる戸田鞠子は細川ガラシャ、平岳大さんの石堂和成は石田三成というように、歴史上の人物からインスパイアされている。物語は、冒険心あふれるイギリスの船乗りジョン・ブラックソーンが、危険を顧みず日本を目指し、伊豆沖で乗船が難破。強大な力を持つ大名・吉井虎永に保護され、虎永から通訳を命じられた戸田鞠子を通じて異文化の世界に身を投じ翻弄されていく。戦国時代の歴史に詳しくない人も、十分に楽しめるエンターテイメント作品に仕上がっている。
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日本初の洋式帆船が建造された港町・伊東。エミー賞、ゴールデン・グローブ賞受賞の米ドラマ 『SHOGUN 将軍』ゆかりの地を歩く【前編】
2024年9月15日(アメリカ時間)、テレビ界のアカデミー賞とも言われるエミー賞は、真田広之さんが主演・プロデュースを務めた『SHOGUN 将軍』が作品賞・主演男優賞・主演女優賞をはじめとした、史上最多18部門を受賞。そのなかで日本人受賞者を9名も輩出したという、まさに歴史的快挙を成し遂げたことで、大いに話題となった。これはジェームズ・クラヴェルが1975年に発表した小説『将軍』が原作で、1980年にもドラマ化されている。今回の作品はそのリメイクなのだが、単なる焼き直しではなく、違和感だらけになりがちな外国人が描いた日本の描写を、真田以下日本人スタッフが見事に“日本らしく”表現しているのだ。このたび、最初の2話が全国の映画館で上映されることから、ドラマの主人公のひとり、按針(あんじん)ゆかりの地を2回にわたり訪ねてみることにしたい。
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まだまだ現れる高輪築堤、田町駅周辺でも発掘された!見学会参加レポ
高輪築堤は、新橋〜横浜間を結んだ日本初の鉄道が開業する際、品川駅から北側の海に築かれた海上築堤です。JR東日本田町車両センター跡地「品川開発プロジェクト」大規模再開発の2019年に発掘され、高輪築堤と命名されました。高輪築堤の第七橋梁など一部の遺構は国指定史跡として現地保存され、その後も田町駅の山手線付近と品川駅側でも発掘されました。品川駅側で公開された見学会へ参加した模様をお伝えします。
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前田利家も里帰り!故郷・愛知県荒子を巡る「犬千代ルート」を案内いたす!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。早いものでいよいよ年の瀬、令和6年もこのさんたつにて様々な歴史の話を紹介して参った。本年最後となる此度の戦国がたりは折角だで“散歩の達人”らしく、名古屋の街へ繰り出してまいろうではないか!それでは早速、いざ出陣!
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町域の約7割を山林が占める埼玉県ときがわ町。巨木が息づく豊かな町の魅力に迫る【徒然リトルジャーニー】
町名の由来である都幾川(ときがわ)が町の西から東へと流れ下るときがわ町。三波(さんば)渓谷に代表される清流美も捨てがたいが、川の上流域を埋め尽くす豊かな山林がひと際印象深い。埼玉県中央部に位置しながら、のどかな雰囲気が残る町の魅力に迫るとしよう。
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一人の男が村人を救った「稲むらの火」。和歌山県広川町「百年の安堵」の町を歩く
安政元年(1854)の大地震で津波に襲われた小さな村。そのとき、一人の男が村人の命を救った物語が『稲むらの火』だ。史実の舞台・和歌山県広川町(ひろがわちょう)を訪ね、町に息づく防災文化や、文化財を再生して生かす知恵にふれてみよう。
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コンクリート天守、それは“城への愛”のあらわれだ
初めて行った街に城があると、なんだかワクワクする。もちろん城跡も趣深いものがあるのだが、やはり一番ワクワクするのは天守が見えてきた時だ。
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スイスでサステナブルな旅をしよう! 秋編⑤ 古城にブドウ畑にワインも。トゥーン湖をクルーズ
秋編の最終回はヴァレー州から飛び出して、お隣のベルン州へ。“2つの湖”という意味をもつインターラーケンの町を挟んで、ブリエンツ湖と対称に並ぶトゥーン湖が舞台です。王族・貴族の居城として建てられた美しい古城と、ブドウ畑の紅葉に癒やされるクルーズの旅に出ました。

史跡のスポット一覧

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南郷の曲屋(なんごうのまがりや)
主屋の竣工が天明5年(1785)と推定される、地元の名家である旧鈴木家住宅を一般に公開した施設。かつての沼田往還(日光裏街道)沿いにあり、馬を置くための厩(うまや)を備えた曲屋形式の主屋が目を引く。民具や農具を展示した土蔵も見学でき、江戸中期の街道風情を体感できる。『南郷温泉しゃくなげの湯』の源泉を引いた足湯も利用可。
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沼田公園(ぬまたこうえん)
地方の有力者であった沼田氏が天文元年(1532)頃に築いたとされる沼田城の跡地を整備した公園。西櫓(やぐら)台石垣・石段や本丸堀跡から往時の面影がうかがえる。谷川岳などの眺めもよく、数多くの動物が飼育される市民の憩いの場でもある。
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堂平天文台(どうだいらてんもんだい)
標高876mの堂平山山頂脇にある東京天文台堂平観測所跡。直径10.5mの半球状の観測ドームは町のシンボル的存在で、一帯はテントサイトやバンガローなどでの宿泊も可能な「星と緑の創造センター」として整備されている。天文台内は、施設の利用がなく管理人が対応可能な場合に限り見学が可能。
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岡部宿大旅籠柏屋(おかべしゅくおおはたごかしばや)
国登録有形文化財にもなっている貴重な旅籠の建物を活用し、当時の旅や宿場の人々の暮らしを伝える資料館。建物内は江戸時代にタイムスリップしたような空間で、旅衣装を身に着けて記念撮影もできる。併設の物産館「かしばや」では地場特産品や工芸品の販売のほか、喫茶コーナーで軽食も楽しめる。
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駿府城公園(すんぷじょうこうえん)
徳川家康が天正13年(1585)に築城し、大御所として晩年を過ごした駿府城跡に広がる市民公園。中堀を周遊する遊覧船「葵舟」は櫓や石垣を見上げ、駿府城の魅力を満喫できる。
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旧五十嵐歯科医院(旧五十嵐邸)
大正期以前に町家建築として建てられ、大正3年(1914)に当主が歯科医院を開業する際、町家を洋風に改築した建物。外観は洋風、内観は和風というユニークな造りなどが評価され、国登録有形文化財に指定されている。
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日蓮上人辻説法跡
日蓮上人が布教活動(辻説法)を行った場所として知られている。現在は、この場所に石碑が立っている。
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源頼朝の墓
鎌倉幕府初代将軍である源頼朝の墓。近くには北条義時の墓の跡や大江広元の墓もある。
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しもつけ風土記の丘資料館(しもつけふどきのおかしりょうかん)
「下野国分寺跡・下野国分尼寺跡」をはじめ多くの史跡や古墳が集まる天平の丘公園内にある資料館。古墳時代・飛鳥時代・奈良時代における地域の歩みをふんだんな図解とともに紹介している。2014年に国内で初めて発見された機(はた)織形埴輪(はにわ)も必見。
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下野薬師寺歴史館
約1300年前の飛鳥時代に建立され、奈良時代の761年には東大寺、筑紫観世音寺と並ぶ三戒壇(かいだん=僧の養成所)の一つが置かれた。発掘調査で出土した遺物展示や文献解説を交えながら、東国筆頭の寺院が歩んだ歴史を学べる。周辺の史跡散策もおすすめ。
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田楽辻子のみち(でんがくずしのみち)
金沢街道と並行し、滑川沿いを抜ける小さな道。近くにある釈迦堂に田楽師が住んでいたことから名づけられた。
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旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)
ヨーロッパでよく見られるハーフティンバー様式の建物。昭和4年(1929)に華頂宮博信侯爵邸として建てられた。
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