眞島秀和
ましま ひでかず/1976年、山形県米沢市生まれ。1999年に映画『青~chong~』(李相日監督)でデビュー。その後、数多くのドラマや映画、舞台、CMで幅広く活躍。大河ドラマ『麒麟がくる』(2020)での好演や、新幹線を舞台にした『#居酒屋新幹線』(2021)、『#居酒屋新幹線2』(2024)の主演が話題に。現在、大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』に出演中。
上杉の城下町のすき焼きは赤身で候(そうろう)
—— 米沢といえば、まずはなんでしょう?
眞島 伊達政宗の生まれ故郷であり、上杉の城下町。歴史好きの人にはたまらない町だと思います。
市内の学校の体育館には、上杉謙信と上杉鷹山(ようざん)の肖像画が必ず飾ってあり、地元の人間は、初詣も七五三も上杉神社がお約束。社会科見学で行く上杉家廟所は、歴代当主のお墓がずら~っと並んでいて、初めて見る人は胸に迫るものがあると思いますね。
—— 歴史に思いを馳せながら、米沢の味を堪能するなら?
眞島 まずは米沢牛のすき焼き。それも、ぜひ赤身で食べてほしい。
すき焼きって、一般的にはA5等級クラスのサシが入った和牛をイメージすると思うんですが、米沢牛のすき焼きは赤身が抜群。すきやきは赤身だった! と概念が変わります。
それから小さな町に100軒もある、米沢らーめんもはずせません。自家製麺が格別なのは『そばの店 ひらま』。細いちぢれ麺で帰郷したら真っ先に食べに行きます。
もう一軒必ず訪れるのは、『江戸久(えどきゅう)餃子店』。僕が“日本一おいしい”と言い続けている餃子なのですが、野菜と肉のあんがすごく細かくて、舌ざわりがとってもなめらかなんです。
そうだな、たとえるなら、こしあん(笑)。米沢はこしあん好きが圧倒的多数です。
—— スイーツもお酒も愛する眞島さんですが、飲みに行くのはどのあたりでしょう?
眞島 米沢の中心街に、昭和の古きよき名残を感じるスナック街があるんです。むかしアルバイトしていた同級生が、いまはママをやっていたり。いまでもときどき訪れます。
でも、僕より社交的な父のほうが飲み歩くのが好きですね。週末には、ここで一杯、次はあっちで一杯……とはしご酒をしているみたい。
地元にいる頃から、知らない人に「お父さん、おもしろい人だねえ」と言われて、親父のどこが?と思っていました。大人になって一緒に飲むようになり、父が外で見せている愉快な面がうっすらとわかってきましたね。
—— そんなお父様の母校でもある、鷹山が創設した米沢興譲館高校に通ったとか?
眞島 そうなんです。勉強熱心な生徒が多い学校で、僕も上杉鷹山の時代の漢文を勉強したような……気がしますが、どっちかというとバスケットボールの部活に夢中でした。
「為(な)せば成る」という言葉は当時からずっと心にあります。
ただ10代の頃は、こんな雪深いところ、早く出て行きたいと思っていたかなあ。将来の夢もなかったし、俳優になろうともまったく思っていなくて。あ、でも『東京ラブストーリー』の台詞(せりふ)をつぶやいたりはしてたな(笑)。最上川上流の松川の河川敷に行って。甘酸っぱい思い出です。
『東京ラブストーリー』の “和賀部長”は人見知り
—— 高校卒業後の未来、2020年版に出演することになるその名ドラマの舞台へ。東京はいかがでしたか。
眞島 大学進学で上京し、成城と仙川の間くらいにあった学生寮に住んでいたんですよ。大学の寮ではなく、地元・置賜(おきたま)地区出身の学生たちが住む寮で。
—— ふるさと寮!? いいですね。
眞島 いま思えば、いいところもあれば悪いところもありましたね。中の世界に閉じこもって、外に行けなくなっちゃう性格の人間もいるわけで。
僕も寮だと方言でしゃべれるけど、標準語と使い分けるなんてできないから、大学で同級生と話すときには、頭の中で文章を反芻(はんすう)してから口に出すという。
でもそんな人見知りの僕が、どういうわけか学内で最初に仲よくなったのがダンサーを目指していた同級生。発表会を見に行ったとき、すごくカッコよくて、漠然と自分も何か表現したいと思ったのを覚えています。
—— そこから俳優の道へ?
眞島 俳優養成所に通い始め、大学よりもバイトを謳歌するようになって。飲食店や病院の夜間受付、工事の警備員……いろいろやりました。
お金を稼ぐというより、とにかく楽しかったから。夢をもっている同世代の人や、未知の世界で生きている大人との出会いに刺激を受けていた時期ですよね。
一番印象に残っているのは、学生寮の近くの中華屋さんでバイトをしていたときのこと。水谷豊さん、橋爪功さん、宍戸錠さんのご家族が来られていたんですよ。
19、20歳頃で、まだ明確に役者を目指していたわけじゃないけど、映画やドラマの中で活躍する人たちを間近に見て、自分の中で強烈に感じるものがあったように思います。
—— デビューから28年。代表作の一つ『#居酒屋新幹線』は東北・北陸が舞台でしたね。
眞島 ロケはどこも印象的で、金沢ではおでんが有名とか、初めて知ることもとても多かったですね。
東北が舞台のときは、幼少期に親しんでいた場所も多く、スイッチを切り替えるのにちょっと時間がかかったかな。母方の地元・宮城県古川のロケでは、「ここにデパートあったな、家族で歩いた道だな」と記憶が蘇り、大人になって仕事で訪れている不思議……。
子どもの頃、年に2、3回、祖父母が湯治をしている鳴子温泉に家族で行くのが恒例だったんです。硫黄泉の香りが漂うすごく大きな温泉街で、たしか「農民の家」というところで自炊しながら滞在した、楽しい思い出があります。
米沢にも小野川温泉という温泉街があって、歩いて回れる大きさで、また違った趣がありますね。
米沢版『#居酒屋新幹線』 のお品書きは……
—— では、米沢で『#居酒屋新幹線』のお品書きを作るなら?
眞島 絶対に入れるのは『香坂酒造』で買える、ポークジャーキー。これはもうダントツ! 日本酒に合うように作られていて、乾き物にありがちなカチカチ感がなくしっとり。味つけも絶妙なんですよ。
—— 一品目がジャーキー!(笑)
眞島 そう、そのくらい絶品です。ジャーキーをゲットしたら、じっくりお酒選びを。僕が好きなのは『香坂酒造』の「純米大吟醸 香梅」か、山形の酒米・雪女神で造った「大吟醸」。いま家の冷蔵庫には、取り寄せた大吟醸が冷えています。
三品目のメインは『松川弁当店』のお弁当かな。駅で買うのではなく、米沢駅前店でぜひ。注文してから詰めてくれるので、できたてのお弁当を持って帰れます。
日本酒を飲みながらなので、四品目は和菓子でいきましょうか。
僕がこしあん好きになったのは、『岩倉まんじゅう』の甘酒まんじゅうを小さい頃から食べていたから。皮が特にうまいです。
—— とても胸躍るラインアップです。米沢を旅する際、知っておくといい方言を。
眞島 「おしょうしな」は商売人の方がよく使うんですけど、買い物をしたり、店から出たりするときに「どうもおしょうしな~」と。ありがとうという意味なんです。
—— 「おしょうしな観光大使」もされている眞島さん。米沢へはいま、どんな思いが?
眞島 僕は一人っ子で、両親も暮らしているので、自分の原点であり、帰るべきところであることには間違いないですよね。
20代の頃は、仕事もそんなになかったし、地元のよさを振り返る余裕もなかったけど、40代になり、自分と同じように年をとった地元の同級生たちや幼なじみのことを思うとき、やっぱり僕はふるさとが好きなんだなあと改めて実感します。かつての仲間とつながると、感慨深いですね。
—— どんな方といまも縁が?
眞島 僕が米沢を案内するフォトブック(『眞島秀和PHOTO BOOK Home』)のアートディレクターを担当してくれたのは、高校のバスケ部仲間なんです。彼は僕が俳優を目指して大学を中退した頃に、デザインを学ぶために上京していて。20代前半、ともに未来が不確かな頃に励まし合った友人です。
そして、先ほどお品書きに選んだ『香坂酒造』の5代目は、大学時代、東京で寮生活をともに送った後輩です。仕事の顔で会うのは、お互いちょっと照れるけど(笑)。
—— では最後に、好きな旅について教えてください。
眞島 僕は、わんこと一緒に旅することが多いんです。チワワのはなちゃんはいま12歳。老犬といわれる年齢ですが、新幹線も乗りますし、ドライブも大好きで、旅はへっちゃらなんですよ。
最近では、泊まりで鬼怒川や修善寺へ、日帰りでは小淵沢へ大河ドラマの乗馬の稽古に、はなちゃんも連れて行きました。わんちゃんも入れるおそば屋さんを見つけて、楽しかったですね~。
—— 旅行好きなはなちゃん! ご自身にとってどんな存在?
眞島 ほぼ僕のすべて……です(笑)。ペットロスの記事を見ると、すごく読んじゃって。自分がその立場になったらどうなるんだろうと。でも、いまはまだまだ元気なはなちゃん。一緒にたくさん旅をしよう!と、時間があれば「わんこOK」な宿を調べる日々です。
聞き手=くればやしよしえ 撮影=平岩 亨
ヘアメイク=佐伯憂香 スタイリング=suzuki takayuki
『旅の手帖』2025年3月号より