観光と暮らしが同居する食の豊穣地帯
浅草は年中、祭りみたいなにぎやかさ。実際に住んでみてもリアルにそう思う。一年を通してイベントや祭事が多く、路地という路地に店が連なり、観光客は絶えない。たとえ毎晩出歩いたとしても、この街を飲み食べ尽くせやしないという安心感。なかでも寿司屋に鰻屋、天ぷら屋にそば屋と江戸四大名物食が元気なのも浅草らしい。ならば、景気づけに『紀文寿司』で握りをつまんでいこうか。暖簾(のれん)をくぐった途端、静寂な空気に外界を切り離された。おきまりでもお好みでも、つまみ多めでも、気分に合わせてつまめるのがありがたい。繁華な街に根をはる創業120年の老舗では、常連同様に一見客も観光客も多様な客を受け入れる懐の深さがある。
上野方面へと歩き出すと、老舗の街の風情に変化あり。2021年に突如登場した合羽橋に潜む『ヒノデ』は、一見入りづらいスナックに見えて、実は大衆酒場。クラフトビールに超絶爽快なレモンサワーに濃厚抹茶ハイ。日本酒のお𤏐も上手につける。14時からの営業とあり、昼飲みの救世主的存在である。浅草通りを渡った側には、2022年に『Maple Pizza』が誕生。ニューヨークスタイルのピザ専門店は、店の雰囲気もアメリカ的。この街になじむよう絶妙なチューニングをほどこしながら、心を現地へと旅立たせてくれる。
ガチ中華タウンの熱気に呆然
上野アメ横はもはや異郷。日本ではないどこかの国に迷い込んだ感がある。クセ強めのアクセントの日本語や外国語が飛び交い、コアな中華料理店が林立。上野広小路交差点、寄席『お江戸上野広小路亭』の向かいには、3階建てのビルまるごと一棟、中国式串焼き&焼き肉店になっていた。その『九年食班』に入ってみると、客も店員もみな大陸の人々。日本人はどこに行った?くらいの中国勢力を見せつけられる。日本語訳付きのタッチパネルで注文できるのが救いだ。ウリのアイスランド産羊の串焼きは、中国の赤い柳の枝に刺されて提供。焼き肉は、酸っぱい漬物を一緒に焼き、肉と一緒に食べるご当地流で。……悪くない。というより、めちゃ楽しい! 未知の体験に完全にはしゃいでしまう。
肥沃な居酒屋タウン、神田駅周辺は、酒販店のレベルもただごとじゃない。それぞれの酒の強みを持った優良酒販店の宝庫だ。日本初めてのジン専門酒販店『Global Gin Gallery』もこの街にある。ふくれたおなかをさすりながら、かつては健胃剤としても親しまれたジンを買って帰ろう。浅草から神田までわずか約6㎞にして、古典からネオへ、江戸からワールドへ放たれる旅のような散歩であった。
『紀文寿司』創業120年、懐深き江戸前寿司[浅草]
通りの喧騒をシャットダウンするような静寂な空間は、まるで江戸の風情。江戸前の仕事をした寿司を味わおう。上質なマグロにきりりと締めたコハダ。旨味あふれるツメをのせた穴子。酢飯のおいしさもさすが。
・12:00~14:00、17:00~19:30最終入店(日は12:00~19:00)、水休(不定休あり)
・☎03-3841-0984
『Maple Pizza』「ピッツァ」じゃなくて「ピザ」です[田原町]
ナポリスタイルでも、日本の宅配ものでもなく。ニューヨークスタイルの「サクッ、モチッ」な食感の生地がクセになる。直径約50cmの巨大なピザをカットして1切れずつ販売。550円~。
・11:30~19:00LO(日は~17:00)、火・水休(各日売り切れ次第終了)
・☎070-2434-1818
『ヒノデ』キーワードは #昼飲み #コの字 #大衆酒場[田原町]
看板メニューのおでん150円~は、鰹節、鯖節、鶏ガラの出汁の深い味わい。ダイコンの下ゆでと煮込みは計3時間をかけ、豆腐は国産大豆でつくる浅草『市川食品』を採用。樽生クラフトビール780円~。角柱氷を入れたグラスに注ぐ強炭酸レモンサワー550円は圧倒的な爽快さ!
・14:00~21:00LO、不定休
・☎非公開
『寿湯』露天にサウナに深夜営業。通う楽しみを生むユーモアも[稲荷町]
古典的な店構えでいて、改装を繰り返した浴場内は客を思う工夫がいっぱい。都内最大級(※男湯)の露天風呂や水風呂、遠赤外線サウナを備える。一風変わった薬湯もお楽しみ♪ 清潔第一をモットーに、営業中もこまめに清掃。
・11:00~翌1:30完全閉店、第3木休
・☎03-3844-8886
『上野萬屋酒舗』「ミルクブリュー」って知ってる?[稲荷町]
生ビールや総菜の販売など充実の角打ちで知られる老舗の酒販店。日中、その一角で牛乳でコーヒー(蔵前を拠点とするロースタリー「LEAVES COFFEE」使用!)を抽出したミルクブリュー300円を販売。店主の手作りパンも!
・14:30~19:00、土・日休
・☎03-3831-3900
『mic 上野本店』職人の作業場を見学できる財布専門店[稲荷町]
皮革問屋や職人が集う地に、革財布専門の製造元として1961年創業。かつて展示室だった場所を、2011年に店舗として改装オープン。アンテナショップ的に活用する。支払いの電子マネー化が進むなか、スマホホルダーなど時代に合わせた商品の開発にも積極的。
・11:00~17:00、土・日休
・☎03-5816-1821
『B2D』国産小麦100%。もちっとした生地に感涙![上野]
手作りパン渇望地帯に、2023年6月に現れた待望のパン屋。フランスで修業を積んだ木村遼介さんが手掛けるのは、国産小麦のみを用い、湯だねを手ごねする日本人好みのもちもち感をたたえたパン。クロワッサンやパン・ド・ミーなどシンプルなパンにこそ実力が出る。
・10:00~17:00、日・月休
・☎070-2037-3368
『九年食班 烤五花広小路店』レトロチャイナ空間で未体験の焼き肉を[上野広小路]
1980~90年代の中国カルチャーをテーマとした中国東北地方式串焼き店『九年食班』の姉妹店。現地流の焼き肉も提供する。特製東北酸菜を一緒に焼くのが特徴。自家製辛味調味料もご一緒に。3階にはカラオケを完備。
・12:00~15:00、17:00~24:00。(土・日は12:00~24:00)、無休
・☎03-6679-5085
『木村硝子店・直営店』お気に入りグラスを連れて帰ろう[末広町]
高品質かつ繊細なデザインのグラスで知られる木村硝子店。プロ向けに販売を続けてきたが、ブランドの世界観をより多くの人に知ってもらうため、週3日のみ、個人向けの直営店を開店。大事な時間をつくる自分用にも、贈り物にも。
・12:00~19:00、日~水休
・☎03-3834-1782
『Global Gin Gallery(グローバル ジン ギャラリー)』ジントニックで映える150種が一堂に[上野広小路]
2017年に開業した日本初のジン専門酒販店。ブームに湧く国内外の数多のジンから、トニックウォーターに合わせて輝くもの、あるいはマティーニなどカクテルにしたときに映えるものという目線で選んで揃える。ジンをおいしく飲めるトニックウォーターも販売。
・13:00~21:00、不定休
・☎03-6260-9303
【名店をたずねる】『大根や』「叱られる」を大笑いできる酒場[田原町]
安藤幸子さんは、下町は深川の生まれ。職業婦人の走りとして都バスの車掌を務め、ワンマン化が進むと多局への移動を拒み、きっぱり独立。1967年に『大根や』を開いた。
私が初めて訪ねたのは2018年頃。都立浅草高校夜間部・国語教師の神林桂一さんに連れて行ってもらった。下町を中心に45年に渡って食べ歩きをするグルマンで、何しろ、先生の最も愛する店だと言う。「ここはね、叱られに来る酒場なの」と先生。引き戸を開けると「今日はしとりじゃないのね」と女将。「ひ」と「し」が入れ替わる完全な江戸弁や、味のある品書きの文字にシビれる。「かっこいいでしょ〜」と先生は自慢気だった。
「トイレお借りしても?」と聞けば、「聞かなくていいから早く行きな」(さっそく、1叱られ)。カウンターの総菜に迷い、「ちょっとずついただきたい」と伝えれば、「しょうがないねぇ!」(はい、2叱られ)。すぐさま女将の洗礼を浴びる。
皿に少しずつ盛られた総菜は、煮物にはりはり漬け、きんぴらごぼうにお浸し。地味で滋味な料理にうれしくなる。短冊の文字がかっこよすぎる「もつ」は、臭みなど皆無。とろけるように柔らかい。みそ豆やたたみいわしといった何てことないつまみがべらぼうにうまい。
翌日、店の前を通ったら、提灯は仕舞われ、幻だったかのように『大根や』は目立たくなっていた。
2020年夏、神林先生は急逝し、私は一人で『大根や』を訪ねるようになった。引き戸を開けるといつも、先生のようにこの店を愛する常連がいる。何年も、何十年にも渡って通う客ばかり。先日は、仙台から毎月通っているという女性客がいた。
最近は、女将の記憶力が心もとない。3分前のビールの注文が飛んでしまう。でも「贅沢(ぜいたく)言うんじゃないよ」「どの口が言ってんだい」とツッコミはキレキレ。記憶の曖昧さはフリみたい。常連の社長も、女性客も、器屋の店主も女将につられて大笑い。この時間が永遠に続けばいい。
取材・文=沼 由美子 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2023年12月号より