存在自体が奇跡のような町中華

『日の出』との出会いは強烈すぎた。あれは数年前の夏の夕方。新宿での仕事が思いのほか早めに終わり、どこかで軽く一杯だけやって帰ろうかという気分になった。駅方面に戻れば「思い出横丁」なんかも近いけど、逆に隣の大久保方面も遠くない。せっかくだし、普段行く機会の少ないそっちを攻めてみるかと思い立った。大久保といえばコリアンタウン。メイン通りはどこもかしこもそっち系の店で埋めつくされ、まるで韓国に旅行にきたかのような錯覚に浸れる大観光地と化している。が、その反対側、南口の裏通りに1本、ひっそりと、小さな飲み屋街があったはず。そこへ行ってみるか、と。

すると、1軒のいかにもな町中華が目にとまる。それが『日の出』だった。店前のショーウィンドーを覗きこむと、立地から考えられないほどにすべてが安い。ラーメンが400円、チャーハンが450円、メンチカレーが550円。一瞬で心は決まり、入店。

店自体は古そうだが、すみずみまで掃除が行き届いていて空気が澄んでいる気さえする。中途半端な時間ゆえ、店内には遅い昼食をとっているとみえるサラリーマンがひとりのみ。TVが見やすい空いた席に座ると、さっそく女将さんが声をかけてくれた。

「そこ、クーラーの風が直接あたる場所だけど、寒くない? 寒かったらいつでも移ってね」

こういうのには本当に弱い。

ちょっと一杯、だったはずが……

瓶ビールを頼んで一息つき、店内を見回すと、あらためて何もかもが安い。しかもメニューが膨大。オーソドックスな中華料理はもちろん、客のリクエストに応じてどんどん増えていったことが容易に想像できる定食類、つまみになりそうな一品料理の短冊が、整然と壁を埋めつくしている。

うれしいのは酒類も豊富なことで、ビールの大ビンが550円、生ビールは390円、酎ハイはうれしすぎる290円だし、ホッピーセットまである。もはや飲み屋じゃないか。嬉しくなり、軽くつまめそうな、にらのおしたし250円、しめじの竜田揚げ300円、酢どり400円の3つを頼んだ。

まずやってきた“にらのおしたし”が、ニラも、その上で踊る鰹節も、ものすごい量。シャキシャキと甘い大満足の美味しさで、求めていたつまみの量的には、これだけでも良かったくらいだと思った。

が、そこからがさらにすごい。初めて聞いたメニューである、しめじの竜田揚げは、なんとシメジ1本1本に丁寧に衣がコーティングされ、からりと揚げられているという手間のかけよう。ぽいぽいとつまみにするのに最高すぎるが、これまたひと房ぶんは使っていると思われる山盛り。

勝手にさっぱりした蒸し鶏系の小皿だと想像していた酢どりは、酢豚の鶏肉版だった。ゴロゴロと迫力ある巨大な唐揚げたちに甘酸あんが絡めてあり、絶妙な揚げ加減と、見た目に反して優しい味つけで最高にうまいが、いかんせん量が多い。

僕はモードを変え、さながらフードファイター気分で、チューハイをおかわりしつつそれらをガツガツと平らげた。古い町中華で、ちょっと気だるく一杯、なんて理想は遠くなってしまったが、それはそれでむしろ強く印象に残る、幸せな時間だった。

それからも近くを通るチャンスがあれば通った。初回の経験があるから慎重に、「『日の出』ならぜひあれを食べて」と友達が一押ししていたカレーライスも、半分カレーライス300円、なんていうありがたいメニューを駆使しつつ堪能した。店に行くときは必ず“にらのおしたし”を頼みたいけど、その他たっぷりとある選択肢も塗りつぶしていきたい。お腹を空かせて行って、定食ものだって食べてみたい。

それはとても幸せな悩みだったんだけど、まだ全メニューの1割も制覇していなかった2016年、『日の出』は、創業が昭和41年(1966)というから、ちょうど50年の歴史に幕を下ろしてしまった。それはそれは多くのファンに惜しまれつつ。

「えれぎ」の思い出

『日の出』に通っていたなかで、特に印象的な女将さんのエピソードがある。ある日、友達とふたりで行ったとき、どうしても一度、しめじの竜田揚げを食べてみてほしくて注文した。すると残念ながらシメジが品切れ。「“えれぎ”ならあるんだけど」という。えれぎ……あ、エリンギのことか! とそれをお願いした。

やってきたエリンギの竜田揚げは、シャキシャキした歯ごたえで、また違った美味しさがある。それを女将さんにお伝えすると、「そう? じゃあメニューに足しておこうか!? 」と、シメジのメニューを壁から取り外し、鉛筆で下書きを始めた。「なるほど、『日の出』のメニューはこうやって増えていくのか……」と、僕は静かに感動していた。

ところが、女将さんが「これでいいね?」と見せてくれたその文字を見て、僕らは思わずずっこけてしまった。だってそこには堂々と「えれぎ」と書いてあったから。女将さん、ちょっぴりなまっていたとかじゃなく、完全に、文字として、エリンギのことを「えれぎ」と認識していたのね。今思いだしても、なんと愛おしいエピソードだろうか。

そこからは、僕と友達、さらに、ちょうどやってきた酒屋の配達のお兄さんも交えて、

僕「『エリンギ』のほうがわかりやすいかもですね……」
女将さん「え? えれぎ?」
お兄さん「エリンギだよ、エ・リ・ン・ギ」
女将さん「え・り・れ……ぎ?」

と、コントのような時間が繰り広げられ、ついに新メニュー・エリンギの竜田揚げは誕生したのだった。

その後、何らかの事情によりメニューから降格になってしまったようで、「エリンギ」の文字の上には、いつしか白い紙が貼られていた。それを見るたび「自分はあの下に何と書いてあるか知っている」と愉快な気分になり、いっそう日の出で飲むのが楽しくなった。

文・撮影=パリッコ

大塚は僕の大好きな街のひとつだ。駅ビルは近年再開発されてとても立派なものになったけど、取り巻く周囲の町並みには、昔ながらの猥雑な空気感が色濃く残っている。JRの線路と交差するように路面電車が走り、チンチーン! というのどかな音を響かせる。どこか垢抜けない、だからこそたまらなく居心地がいい街。ちなみに界隈の酒飲みは、名店『串駒』『江戸一』『きたやま』『こなから』を称して、大塚の酒場四天王と呼ぶらしい。飲み屋の四天王が存在する街、僕が好きじゃない理由があるはずもない。
20代の前半から30歳になるくらいまでだから、ちょうど2000年代ということになるだろうか。僕は、とにかく高円寺という街に入り浸っていた。当時は実家に住んでいたものの、駅前にちょっとした溜まり場になっている友達の家があり、行くと常に誰かがいる。その知りあいがそのまた知りあいを連れてきたりして、どんどんよくわからない人の輪が広がっていく。それがおもしろくて、とにかくいつも、誰かしらとワイワイ酒を飲んでいた。当時は会社員をしていて、ふり返って見るとかなりのブラック企業。日々理不尽な仕事に追われヘトヘトだった。今ならば、まずは休息が第一と考えるところけど、その頃は今よりもずっと体力があったので、とにかく酒を飲んで騒ぐことが最重要事項だったのだ。例えば週末、昼間からその友達の家で飲み始め、夕方くらいになると、気分を変えようということになって街に出る。そこで向かう頻度が圧倒的に高かったのが、高円寺でくすぶる金のない若者たちの受け皿『あかちょうちん』だった。
大衆酒場とは、我々庶民が懐具合をあまり気にせず、気楽に酒を飲んで楽しめる店のことをいう。しかしながら、長い歴史のある酒場文化。創業から時を重ねれば重ねるほど、店に威厳や風格が出てしまうことは必然のことだろう。いわゆる老舗、名酒場と呼ばれる店に敷居の高さを感じ、その戸を開けることを躊躇してしまう酒飲みの方は、意外と多いのではないだろうか?ただ、考えてみてほしい。酒場の歴史が長く続いているということは、単純に、それだけ客が途切れずに店の存在を守り続けてきたということ。つまり、「いい店」であるということだ。そこでこの連載では、各地の名店と呼ばれる酒場を訪問し、大将や女将さんに、その店を、酒場を、楽しむコツを聞いていきたい。